西郷隆盛が奄美大島へ島流しになった理由!島での生活は幸福の絶頂?

西郷隆盛は、「安政の大獄」の際に「奄美大島」へ流されていますが、どうして流されたのか理由をご存知でしょうか?

実は西郷さん・・・「奄美大島」に島流しになったわけではなく、潜伏・逃亡していただけなのです。

「島流し」と言われると、苦しいことのように感じられますが、実際には西郷さん・・・この「奄美大島」での生活が、妻や子に囲まれて、最も平穏で幸せな時間だったかもしれません。

この記事では、西郷さんが奄美大島へ行った理由や、島での生活がどのようなものだったのかを、わかりやすく解説いたします。


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この記事を短く言うと

西郷隆盛が奄美大島へ行ったのは、島流しではなく、「安政の大獄」からの逃れるため

・奄美大島で妻「愛加那」と子供「菊次郎」に恵まれ、幸せで平和な生活をしていた

・奄美から帰ってきた直後、西郷さんは命令違反をおこし、帰って間もなく「沖永良部島」へ流罪になっている


《「奄美大島」へ行ったのは、島流しではなかった》

西郷隆盛は2回島流しにあったと思っている人は少なくないでしょう。

《西郷隆盛》
『引用元ウィキペディアより』

しかし一回目は「島流し」ではなく、ある理由があり、奄美大島に行ったのです。

当時の日本では、徳川将軍家の跡継ぎ争いで、一橋派と紀州派が闘争していました。

そんな中で、一橋派の重鎮である主君の薩摩藩主・島津斉彬が亡くなります。

その後すぐ井伊直弼が安政の大獄を起こし、西郷隆盛は指名手配されていました。

同じ指名手配を受けた仲間である「月照」というお坊さんと薩摩へ逃亡。

しかし薩摩では、幕府を恐れ、「月照」を追い出すように命じます。

隆盛は絶望し、責任を取るために月照と共に死ぬことを決意し、二人で船から錦江湾へ入水。

その結果、西郷隆盛だけは奇跡的に助かり、月照の一生は幕を閉じました。

西郷隆盛の生存の知らせを受けた薩摩藩は、幕府には死んだことにして、「菊池源吾」と名前を変えさせ、奄美大島へ流したのです。


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《奄美大島での生活は、快適で幸せの絶頂だった》

奄美大島に行っても、西郷隆盛は当初、自暴自棄の状態でした。月照だけを死なせ、生き残った自分を責めていたのでしょう。

そんな隆盛は、徐々に島の人と打ち解けてゆき、ついに2番目の嫁「愛加那」と出会います。

愛加那は、隆盛の身の回りの世話をしていた名家の娘。

隆盛は愛加那にだんだん惹かれていき、周囲のすすめもあって、夫婦になります。

夫婦仲はよく、二人は人目をはばからずイチャイチャしていて、観ている人が恥ずかしがるくらいだったとか。

隆盛にとってそれまでの人生の中で、この島での生活が一番充実した日々だったかもしれません。

2人の間に、長男「菊次郎」が誕生します。

隆盛は島での生活にも慣れていき、かわいい子供もでき、このまま島でずっと暮らそうと家まで建てています。


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《その後「沖永良部島」へ島流しに!》

奄美大島で穏やかな生活をしていた西郷隆盛でしたが、再び薩摩に戻るよう命じられます。

安政の大獄を起こした大老「井伊直弼」が、「桜田門外の変」で暗殺され、西郷が追われる心配がなくなったのです。。

幕府はこの頃、幕府だけでの国政は困難だと考えて、朝廷と力を合わせる「公武合体運動」に力を入れます。

この時、すでに薩摩藩の実権を握っていた藩主の父「島津久光」は、自らも公武合体運動を実現させるため、国政に乗り出そうと考えていました。

幕府に力づくでの政治改革を迫るため、軍を率いての上京計画が立てられ、隆盛は島津久光から「下関で待機」するように命令されました。1862年のことです。

しかし、「京都の過激派・薩摩藩士」が爆発寸前であることを聞いた西郷隆盛は、彼らを説得するために久光からの待機命令を破って大坂へ。

命令を破ったことに対して久光は怒り、西郷隆盛は奄美大島から戻ったばかりであるにも関わらず、沖永良部島へ流罪になりました。


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《『西郷隆盛』について、レビュー(評論)!》

「奄美大島」で生活していた西郷隆盛は、本当に平穏な生活をしていたことでしょう。

大久保利通が、西郷に「戻ってこい」と言っても、「帰りたくない」と断っています。

明治維新・・・・薩摩藩は当初、幕府に政治改革をさせ、薩摩藩も政治に加わろうとします。しかし、徳川慶喜が「薩摩藩」らの政治介入を次々と妨害。

これに怒った「島津久光」は、「幕府に政治改革をさせる」という方針を転換して「倒幕」・・・つまり「幕府を倒す」ことを決意します。

西郷はこれにより、倒幕のために数々の工作を行い、徳川慶喜と激しい攻防を繰り広げます。

「討幕の密勅」「大政奉還」「王政復古の大号令」「鳥羽伏見の戦い」「戊辰戦争」「江戸城無血開城」を経て明治維新を完成させます。

次に「北越戦争」「会津戦争」「箱館戦争(五稜郭の戦い)」

明治維新を成し遂げた後も、西郷さんは「廃藩置県」や「征韓論争」など、苦闘を続け、「西南戦争」で亡くなっています。

西郷さんの一生を見渡すと、この「奄美大島」での潜伏生活こそが、最も平穏なものだったのです。


《まとめ》

本日の記事をまとめますと

・西郷隆盛の「奄美大島」での生活は、「流罪」ではなく「安政の大獄」から逃れるための潜伏

・この「奄美大島」での生活は、西郷隆盛の人生で最も穏やかで平和な日々だった

・奄美大島からもどった西郷隆盛だったが、直後に「沖永良部島」へ流罪になった

以上となります。

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