西郷隆盛にはなぜ3人も妻がいたのか?彼女達との離婚や別れを解説

「西郷隆盛」について世界一わかりやすく解説いたします。

幕末・明治の偉人たちの中で、「坂本龍馬」と並び人気が高いのが「西郷隆盛」

彼はどのような人で、何をした人なのか?

西郷は260年続いた「江戸幕府」を倒した人。しかも清廉潔白で、誰からも愛される性格の男だったのです。


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この記事を短く言うと

・薩摩藩で生まれた西郷隆盛は、「徳川幕府」を倒し、その後「西南戦争」で亡くなった

・西郷隆盛が成し遂げたことは「江戸城無血開城」を実現し、徳川家康が開いた「徳川幕府を倒した」こと

・西郷隆盛は、「有事の人」、つまり「戦争で能力を発揮する人」で、国家経営を得意とする「大久保利通」とは異なる能力を持つ人だった


《西郷隆盛のプロフィール》

まずは、西郷隆盛の経歴を紹介します。

西郷隆盛
『引用元ウィキペディアより』

西郷隆盛は、1827年に薩摩の下級藩士・西郷吉兵衛隆盛の長男として誕生。

元来、西郷家は薩摩藩に仕える武家でしたが、その身分は低いものでした。

そのためか、16歳になった西郷は郡方書役助という、出世の見込みがない職業に任命。

郡方書役助とは、農村の現況を調べて年貢を収集する仕事です。

西郷はこの職を務める中で、年貢の取り立てに苦しむ農民の実情に触れ、薩摩藩に対し農政についての嘆願書を提出。

この嘆願書がきっかけとなり、当時の藩主・島津斉彬の側近として仕えるようになったのでした。

1850年代に入ると、時代の流れが大きく変わり始めます。

江戸幕府による下田と箱館の開港と、日米修好通商条約の締結で、日本は外国勢力と急速に接近。

さらに、この頃は将軍の継嗣問題も持ち上がり、一橋慶喜(後の徳川慶喜)を推す薩摩藩と、徳川家茂を推す井伊家が対立。

結果、家茂が将軍となり、幕府における井伊家の地位は安泰となります。

この継嗣問題が決着すると、幕府大老井伊直弼により、反幕府派への弾圧が起こります。

いわゆる「安政の大獄」の始まりです。

安政の大獄は、薩摩にいる西郷にも影響を及ぼしていきました。

この頃、島津斉彬はこの世を去っており、斉彬の死や幕府に追われる身となった自身を悲観した西郷は、僧侶「月照」とともに海に身を投げますが、奇跡的に助かっています。

1859年には幕府に睨まれた西郷を薩摩藩は奄美大島へ送り、幕府の目から西郷を遠ざけました。

その4年後、同郷である大久保利通の執り成しにより、鹿児島へ戻ることになります。

しかし、帰藩してすぐに、当時の藩主・島津久光と対立したことで、今度は徳之島へ、さらに沖永良部島へと流されたのでした。

2年後にようやく薩摩に戻ることが許されると、西郷は大久保らとともに「徳川幕府打倒」に向けて活動を開始。

西郷は薩摩藩のリーダーとして先頭に立ち、薩長同盟の締結や江戸城無血開城に尽力。

1868年についに江戸幕府が廃絶となり、明治新政府が誕生しました。


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明治維新後、西郷は薩摩へ帰ることを望んでいましたが、新政府には課題が山積みであり、大久保たちは「西郷の力を借りたい」と強く引き止めます。

新政府に残った西郷は、陸軍大将や近衛都督など重要ポストを任された他、廃藩置県を行うなど新政府のために力を尽くしました。

1873年、アメリカやヨーロッパ諸国へ派遣されていた岩倉具視率いる「岩倉使節団」が帰国すると、新政府内で不穏な空気が流れ始めます。

というのも、「当時鎖国していた朝鮮を開国させようとする人たち」と、「それよりも先に国政の安定を目指す人たち」との間で意見が分かれていたのです。

西郷は朝鮮開国派に交じり朝鮮への使節派遣(征韓論)を提案するのですが、海外視察を終えた岩倉や大久保らはそれに反対。

両者の意見は平行線をたどり、ついに西郷は官職を辞め鹿児島へ戻ることを決めました。(明治六年の政変)

その後、旧薩摩藩士らと新政府軍による戦争「西南戦争」が勃発。

西郷は旧薩摩藩士のリーダーとして、大久保利通ら盟友たちと戦うことになるのです。

そして、1877年、新政府軍に追い詰められた西郷は、別府晋介の介錯で切腹、51年の生涯を閉じました。


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《西郷隆盛の簡単年表!》

次に、西郷隆盛に係わる事柄について、彼の功績も交えて簡単に年表にまとめました。

● 1827年
薩摩藩士の長男として生まれる

● 1844年
郡方書役助に任命され、薩摩藩へ出仕する

● 1853年
西郷家の家督を継ぐ

● 1854年
島津斉彬の側近として江戸へのぼる

● 1858年
「安政の大獄」により、奄美大島へと隠れ住む

● 1862年
大久保利通らの執り成しで奄美大島から帰還するも、藩主・島津久光と対立し、数ヶ月で徳之島と沖永良部島へ流される

● 1864年
罪が許され、京都における薩摩藩責任者となる

● 1866年
西郷隆盛と木戸孝允による薩長同盟が結ばれる

● 1868年
戊辰戦争勃発。西郷は東征総督府参謀として指揮し、江戸城無血開城へ導く。「江戸幕府」が消滅

● 1873年
大久保らと意見の対立が起こり、官職を辞め鹿児島へ戻る

● 1877年
西南戦争勃発。新政府軍に追い詰められ自刃する

こうしてみると、西郷隆盛は幕末と明治の動乱期を駆け抜けて行ったことがよくわかると思います。

また、西郷は戊辰戦争では倒幕派のリーダーの一人として、西南戦争では旧薩摩藩士らのリーダーとして若者たちを率いていたことから、彼のリーダーとしての資質を垣間見ることができるでしょう。


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《西郷が成し遂げた業績とは》

ここまで西郷隆盛の経歴について解説してきましたが、最後に西郷の業績について2つ紹介します。

● 倒幕へと導いたこと
西郷は配流先から戻ってきた1864年以降、盟友の大久保利通らとともに倒幕への道に進みます。

その中で、西郷は当時薩摩藩と敵対関係にあった長州藩と手を結ぶことを模索。

この時「長州藩」は尊皇攘夷を目論んでいると幕府から危険視されており、この長州藩と手を結べば幕府の弱体化と軍備の増強に繋がると考えたのです。

1866年、坂本龍馬らの仲介により、薩摩の西郷隆盛と長州藩の木戸孝允の間で、ついに薩長同盟が結ばれたのでした。

これにより、倒幕への弾みがついたといえるでしょう。


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● 江戸城無血開城

戊辰戦争における江戸城の無血開城は、西郷隆盛の業績の中で最も評価できる出来事でしょう。

江戸城の無血開城とは、幕府軍・勝海舟と新政府軍・西郷隆盛の会談により、武力衝突が起きる前に、江戸城が新政府軍に引き渡された出来事です。

この時、新政府軍は徳川家の莫大な所領を手に入れ政治運営の財源にしようと考えており、江戸城への総攻撃を始めようとしていました。

武力衝突が起これば、江戸の町が戦火に巻き込まれ、多くの市民の犠牲が出たことでしょう。

西郷と勝の会談により衝突が回避され、勝海舟を含め、多くの江戸の市民を西郷が救ったといえるのです。


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《『西郷隆盛』について、レビュー(評論)!》

西郷隆盛・・・・「討幕の密勅」を朝廷から引き出すものの、徳川慶喜による「大政奉還」で、倒幕に失敗。

その後「王政復古の大号令」を起こし、幕府を廃止。徳川慶喜を新政府から締め出そうと画策しますが、「山内容堂」や「松平春嶽」の猛抗議により断念。

「討幕の密勅」も「王政復古の大号令」も失敗。西郷は無理やり「幕府側」を挑発。江戸でゲリラ活動をして、薩摩藩邸を幕府サイドの「庄内藩」に襲撃させ、さらには京都へ進軍してくる幕府軍を挑発。「鳥羽伏見の戦い」を引き起こします。

錦の御旗」・・・岩倉具視たちがつくった「官軍(天皇の軍)」を示す旗ですが、この旗を薩長軍が掲げたことで、幕府軍は壊滅。3倍もの兵力を誇る幕府軍は、わずか5000足らずの薩長新政府軍に敗退したのでした。

本来、鳥羽伏見の戦いは、勝てる見込みのない戦いでした。

慶喜も「15000」の大軍を繰り出せば、相手は戦いを仕掛けてこないだろうと考えていたはずです。

しかし、大久保利通と西郷隆盛は戦争を決断!

今ここでやらねば、新しい日本は完成しないと思ったのでしょう。この鳥羽伏見の戦いで勝利したことにより、実質的に徳川幕府の滅亡が決まったのです。


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西郷は「有事の人(戦争が得意な人)」でした。彼は戦争が起こっているときは、非常に優秀ですが、新しい国家の基礎(法律)をつくる手腕は「大久保利通」「岩倉具視」「木戸孝允」に遠く及びません。

西郷自身、それがわかっていたのでしょう。

そんな「有事の人」西郷を、「廃藩置県」「廃刀令」で、特権を奪われていく士族(元武士)が放っておくはずがありません。

武士をないがしろにする明治新政府を倒し、もう一度「維新」を成し遂げる・・・西郷どんはそんな士族を抑えられずに、亡くなりました。

西郷隆盛・・・・不世出の英雄であることは確かですが、新しい明治の世の中に、最も向いていない人だった気がしてなりません。


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《まとめ》

本日の記事をまとめますと

いかがでしたでしょうか。

西郷隆盛についてまとめると、

・下級藩士の身分から始まり、最後は明治維新の立役者までのぼりつめた

・多くの人を率いるリーダーとしての資質を持っていた

・最大の功績である江戸城無血開城によって、多くの江戸市民を救った

といえるでしょう。

西郷隆盛の人気が高いのもこうした業績があったからでしょう。
以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました

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