「西郷隆盛」の「死因」が何なのかを調査し、わかりやすく解説します。
死因は「腫れ物」?それとも「自刃」?
西南戦争と西郷隆盛の死を最期に、日本で内戦は起こっていません。
日本最期の内戦「西南戦争」は、どうして起こったのか?理由も解説いたします。
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この記事を短く言うと
・西郷の死因は「別府晋介」による介錯(斬首)・・・象皮症を患っていたため、腫れ物で苦しんだ
・西南戦争は、不平士族(元武士)による最期の士族反乱
・西郷は西南戦争で、最初から勝てないとわかっていた
《西郷隆盛の死因は?腫れ物?》
西郷隆盛・・・・薩摩藩士・・。
下級武士だったが、名君「島津斉彬」に見出されて活躍。
明治維新において、「薩長同盟」「王政復古」「江戸城無血開城」などの政策を次々と成功させた功臣。
西郷は最期の士族反乱「西南戦争」の首謀者として決起。
しかし、敗北・・・。
「1877年9月24日」に亡くなっています。
その死因は、何だったのか?
一部噂では「腫れ物が原因」と言われているようですが、間違いです。
西郷は、ファラリアという寄生虫感染症が原因で、「象皮症(ぞうひしょう)」という皮膚が肥大化・硬化する病気にかかっていました。
病気の影響で、陰嚢がカボチャほどの大きさに肥大化したといわれています。
その為、晩年は馬に乗ることもできず、もっぱら進軍は駕籠(かご)を利用・・・。
西郷さんは、100kgオーバーの肥満が原因で、かなり苦しんだと言われています。
死因は斬首。
西南戦争の終わり頃、腹部と足の付け根あたりに二発も被弾した西郷は、別府晋介という元軍人に命じて、自分の首を討たせたそうです。
「晋どん。もうここいらでよか」
それが西郷の最期の言葉でした。
その首は、政府軍に取られないように、一時埋葬されたと言われています。その後、別府も自刃。
埋葬された首は、政府軍に押収され、山縣有朋が検分し西郷本人であると断定しています。
西郷の死を聞いた、親友・大久保利通は、家の中をうろうろと歩き回り、
「あなたの死とともに、新しく強い日本が生まれます」
とつぶやいていたのだとか・・・。
《西南戦争は、なぜ起こった?》
西南戦争は、「武士の身分を剥奪された事による、武士の不満が爆発した反乱」といえます。
この西南戦争が勃発する前年の1876年3月に「廃刀令」、8月に「金禄公債証書発行条例」が発布されました。
この2つの法は、武士の特権であった「帯刀」と「俸禄支給(米)」を剥奪するものでした。
武士は、農工商のように、商売や生産をして稼ぐのではなく、領地から俸禄をもらうことで収入としていたのです。
次々と特権を奪われた武士たちは、不満を募らせていきました。
さらに「徴兵令」が出されていたため、一般人が軍事力として活用されたことで、武士の立場はますます無くなっていきます。
そのため、次々と武士たちの反乱「不平士族の反乱」が勃発。
神風連の乱・秋月の乱・萩の乱・・・・などなど・・。
反乱が次々と失敗する中、不平士族たちは、最期に最も人望のあった「西郷隆盛」の元に集結。
西郷はこの時、明治政府から下野し、故郷の鹿児島で「私学校(しがっこう)」という教育機関を作り、後進育成を行っていました。
この時、大久保利通からの「サイゴウヲシサツセヨ」という電報が、「中原尚雄」という警察官に届けられます。
「シサツ」という情報は西郷の耳にも入り、西郷の周囲は激怒。
実は「刺殺」ではなく「視察」だったらしいのですが、西郷たちは、冷静さを既に失っていました。
「政府へその真意を問う」という名目で、3万もの軍が、鹿児島から北上。
西南戦争が勃発したのです。
《西郷は、敗北するとわかっていた》
実は西郷は、敗北するとわかっていました。
歴戦の名将である「西郷」が、勝てるわけがないと考えるのは、非常に自然なことです。
当時の戦争で最も大切なのは「補給」。
消耗戦となると、「援軍・兵員」「軍用糧食」「武器弾薬」の補給などなど。
明治政府軍では、大久保利通が「補給」の重要性を熟知しており、次々と補給を繰り返していました。
しかし、西郷率いる「薩摩軍」に、安定した補給などあるはずがありません。
この西南戦争の後、士族の反乱は起こらなくなります。
なぜか?
「武力で新政府に逆らっても、勝利できない」と、日本中が思い知ったからです。
西郷は、自らが士族を率いて反乱を起こすことで、今後起こるだろうの士族反乱を、未然に封じ込めたのでしょう。
自らが生贄になることで、今後の反乱を未然に防ぐことができる・・・。
それが、西郷の目的だったのかもしれません。
「西郷隆盛の子孫」について、以下のリンク記事で、詳しく解説させていただいております。
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《まとめ》
本日の記事をまとめますと
・西郷は「象皮症」を患っていたが、死因は自害
・西南戦争は、士族(元・武士)による不平不満が爆発したために起こった戦争
・西郷は、おそらく「勝ち目がない」ことを知っていたんだろう
以上となります。
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