皆さんは清少納言の子孫の現在を、ご存知でしょうか?
この記事の内容を簡単にまとめますと以下のとおりです。
- 清少納言の【現在の子孫】不明
- 【有名人・芸能人の子孫】不明
- 清少納言の【主要な子孫】橘則長、小馬命婦、小馬命婦の娘、橘則季、橘清信、橘清則、橘清成、橘光季、橘成季
この記事では「清少納言の子孫」を、わかりやすく、カンタンに解説いたしました。
今は「清少納言の子孫」について、漠然としか知らなかったとしても、大丈夫です。
これを読めば、誰かに説明できるほど、「清少納言の子孫」に詳しくなれます。
歴史専門サイト「レキシル」にようこそ。
どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。
清少納言の子孫の現在
清少納言の子孫の現在について、徹底的に調査致しましたが、見つかりませんでした。
実は清少納言の子孫は、歴史に埋もれ、断絶したのか続いているのか、はっきりしていないのです。
このあとくわしく解説いたしますが、清少納言には二人の子がいました。
そのうち最初に儲けた息子の子孫は、しばらく続いたものの、その後ゆくえがわからなくなっているのです。
清少納言の子孫の現在については、今後も調査を継続します。
わかり次第こちらに追記いたします。
清少納言は、一説によれば、かなり悲惨な最期を遂げたとされています。
家は没落し、子孫は出世からも見放されていたといわれています。
もしかすると、徐々に没落していった清少納言の子孫は、断絶しているのかもしれません。
清少納言の子孫に有名人・芸能人はいるのか?
清少納言の子孫に、有名人や芸能人がいるのかどうかは、不明です。
調査しましたが、わかりませんでした。
先ほど申しました通り、清少納言の子孫が、現在も続いているのかどうか、はっきりしないのです。
清少納言の子孫に有名人・芸能人がいるかどうか、わかり次第こちらに追記いたします。
清少納言の主要な子孫一覧
ここでは清少納言の主要な子孫を一覧でご紹介いたします。
ただ、清少納言の子孫は、それほど多くありません。
そのため、名前がわかっている人を、可能な限り取り上げました。
これ以外にも子孫がいましたら、是非ともコメントにてお教えいただけましたら幸いです。
橘則長
清少納言の息子。
清少納言の最初の夫である橘則光の息子。
平安時代中期の貴族で、官位は越中守。
50歳を過ぎて越中守に任命され、任地である越中(富山県)で亡くなった。
歌人として有名な人物で、その名を残している。
小馬命婦
清少納言の娘。
清少納言の再婚相手である藤原棟世のあいだに生まれた娘。
女流歌人。
母親である清少納言は、一条天皇の皇后である藤原定子に仕えていた。
それに対して小馬命婦は、藤原定子のライバルである一条天皇の中宮・藤原彰子につかえていたという。(彰子には、紫式部も女房としてつかえていた)
定子の兄・藤原伊周と、彰子の父・藤原道長は、甥と叔父の間柄だが、ライバル関係だった。
結果として、定子と伊周は、藤原道長との権力闘争に敗北し、没落。
清少納言も、定子の女房という地位を失った。
小馬命婦の娘
清少納言の孫娘。
小馬命婦の娘。
紫式部の孫にあたる高階為家と恋愛関係にあったという。
ところが高階為家に捨てられてしまったのだとか。
それにもかかわらず、高階為家は関係を修復しようと、葵の花を送った。
激怒した小馬命婦の娘は、高階為家に対して、和歌を送ったという。
その色の 草ともみえず 枯れにしを いかに言ひてか 今日はかくべき
あなたの心は、もう枯れた草のように思っていたのに、どうして今日になって、このようにお誘いになられるのかしら(誘いには乗りませんよ)
二人の間に子供がいたという記録はない。
しかし高階為家は、他の女性とのあいだに子供を複数儲けている。
高階為家の子孫は、その後も続き、ひ孫が平清盛の最初の正室となっている。
高階為家のひ孫と平清盛のあいだに生まれたのが、小松殿と呼ばれた内大臣・平重盛。
つまり平重盛は、紫式部の子孫にあたる。
橘則季
清少納言の孫。
橘則長の息子。
清少納言が仕えた一条天皇の孫・後冷泉天皇の時代に活躍した。
官位は、正五位下・陸奥守。
祖母・清少納言の作である随筆「枕草子」の巻末に、枕草子を世に広めた人物として、橘則季の名前がある。
1063年、わずか39歳で亡くなったという。
橘則孝という兄弟がいた。
橘清信
清少納言のひ孫。
橘則季の子。
母は橘忠望の娘。
橘清則
清少納言の玄孫(孫の孫)。
橘清信の子。
橘清成
清少納言の子孫。
橘清則の子。
橘光季?
清少納言の夫である橘則長の子孫だとされている。
鎌倉時代初期の人物。
ただ、清少納言の子孫であるかどうかは、不明。
橘成季?
橘光季の養子。
鎌倉時代中期の人物。
官職は、伊賀守。
1230年頃には、九条道家の臣下として、競馬などで活躍したという。
競馬の他に、詩文そして管弦さらには絵画も得意としていたというが、琵琶だけは師である藤原孝時から破門された。
1272年より以前に亡くなったという。
説話集「古今著聞集」の作者。
これ以降の、清少納言の子孫のゆくえは、わかりませんでした。
つまり清少納言の子孫は、鎌倉時代中期から以後は、行方不明ということになるのかもしれません。
ちなみに橘成季の主君である九条道家の息子は、鎌倉幕府4代将軍・藤原頼経である。
この鎌倉幕府4代将軍・藤原頼経は、藤原道長の異母兄・藤原道綱の子孫にあたる。
九条道家が藤原道長の子孫なので、当然ながらその息子である将軍・藤原頼経は、道長の子孫でもある。
まとめ
本日の記事をまとめますと
- 清少納言の【現在の子孫】不明
- 【有名人・芸能人の子孫】不明
- 清少納言の【主要な子孫】橘則長、小馬命婦、小馬命婦の娘、橘則季、橘清信、橘清則、橘清成、橘光季、橘成季
以上となります。
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