西郷隆盛はなぜ西南戦争を起こしたのか?その【3つの理由】を解説!

日本での最後の内乱となった西南戦争。

その大将は明治維新の最大の功労者である西郷隆盛。

西郷はなぜ西南戦争を起こしたのでしょうか?

その理由を説明したいと思います。


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この記事を短く言うと

西郷隆盛は、勃発してしまった西南戦争の被害を最小限とするため、自ら士族を率いた

・西郷自身に、西南戦争を起こすつもりは全くなかった

・西南戦争後、武力での反政府運動は終わり、自由民権運動が起こっていった


≪1.西南戦争を起こした3つの理由≫

袂を分かつ「西郷隆盛」と「大久保利通」

明治維新以後、日本は急ピッチで近代国家へ改革を成し遂げていきます。

版籍奉還廃藩置県により中央集権国家が形作られ、様々な制度が整えられていったのです。

軍政制度に関しては徴兵令が施行され、陸海軍が設置。

また身分制度は士農工商を廃し、四民平等がうたわれ、廃刀令が出されます。

これにより、江戸時代の士族の特権はなくなったのです。

戊辰戦争を戦ったのは、長州藩の奇兵隊等を除き、主に士族です。

自分たちが命を懸けて戦い、討幕を果たしてみると、藩はなくなり、士族の特権はなくなってしまっていました。

しかも、明治政府に仕えた一部の者は栄華を極めている現実・・・。

そうすると、多数の士族は

「命をかけて戦ったのは、こんな世の中にするためだったのか。」

と思ってしまうわけです。


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その頃、西郷隆盛は明治政府で、「参議」という首脳陣のひとりでした。

西郷は不平士族を連れて朝鮮に出兵し、鎖国している朝鮮を開国させようとします。

これが西郷の「征韓論」です。

しかし、大久保利通を中心とする内治派に敗れ、参議の職を投げうって鹿児島に帰ってしまいます(下野{げや})。

西郷を慕う旧薩摩士族も官を辞し、鹿児島に帰りだします。それも大勢・・・。

明治政府にとって、鹿児島に帰った西郷が、不平士族を率いて武装蜂起するのではないかと非常に恐れました。

一方西郷は、共に下野した不平士族たちを統率することと、県内の若者を教育するために、鹿児島に「私学校」をつくります。

西郷の構想では、将来外国と摩擦が起きた時、私学校を率いて行動に出るつもりであったとか。

その後、不平士族の反乱が次々と起こります。

佐賀の乱神風連の乱秋月の乱萩の乱などです。

反乱は各個に、短期間に明治政府軍により鎮圧されます。

各乱の首領はいずれも自らが立ち上がれば、西郷も立ち上がり、それにより全国の不平士族が立ち上がり、明治政府は転覆できると信じていました。

萩の乱「前原一誠」は、全国の反乱と連携を目指す動きを見せています。

佐賀の乱「江藤新平」は、直接西郷と会って決起を要請しています。

しかし・・・彼らと一緒に西郷が立ち上がることはありませんでした。

明治政府は各地で起こる不平士族の乱を鎮圧しながらも、鹿児島・西郷を恐れ、脅威と感じていました。

明治政府の要である大久保利通と警察組織を束ねる川路利良は、薩摩出身の中原尚雄ら24名の警察官を「帰郷」の名目で鹿児島県に送り込み、不平士族の離間工作を図りました。

中原らは西郷の私学校生徒に捕らえられ、苛烈な拷問が行われた結果、川路が西郷を暗殺するよう指示したという「自白」がとられてしまったのです。

この件は、私学校の人間を憤激させるとともに、西郷にも強い衝撃を与えました。

西郷は大久保とは征韓論で袂を分かったとはいえ、幕末以来、同士として行動をともにし、今でもお互いに尊敬の気持ちを持ち続けていると信じていたからです。

この刺客問題が私学校暴発の巨大なエネルギーとなったのです。


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西南戦争・勃発!

その時期、明治政府では鹿児島にある火薬庫・兵器庫の武器弾薬を大阪に移動しようとし、秘密裏に汽船を差し向けました。

これに気付いた私学校生徒が火薬庫を襲い、武器弾薬を奪いました。

それを知った西郷は、「しまった!」と叫んだとのこと。

これは政府に対する挑戦と受け取られ、政府に鹿児島討伐の名目を与えるものでした。

火薬を襲ったという既成事実と西郷への刺客により、私学校では武装蜂起と決し、西南戦争へと突き進みます。

私学校での評議の中、裁断を求められた西郷は

「自分はこの体を差し上げますから、あとはよいようにして下され」

と暴発を認め、士族たちに同意します。

何故、西郷は私学校の軍事的暴発を認めたのでしょうか?

以下3点が推定されていますが、戦争遂行中も西郷が進んで戦略、戦術を考えた形跡はなく、はっきりとは分かりません。

西郷が、西南戦争を起こした「3つの理由」

・「不平士族を自ら率いることで、内戦の被害を最小限に抑えようとした」

・「政府の腐敗を正すため、力により政府を問いただそうとした」

・「負けた場合には、西南戦争を最後の士族反乱にしようとした」

もしかしたら西郷は、「政府に対して未だに自分の名声を発揮できる」と信じていたのかもしれません。


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≪2.西郷は西南戦争を起こすつもりはなかった≫

西郷は盟友として、大久保利通を信頼していました。

彼がつくる政府なら間違いはないだろうと。

また、征韓論に敗れて下野して以来、田舎で猟をしながら生きてゆく隠遁とした生活をしながらも、私学校で日本のためになる人材を育てる事にも力を入れていました。

そんな西郷ですから、首領として武装蜂起をして政府を転覆することなどは考えていなかったでしょう。

それでも、愛すべき私学校生徒のために自分自身をささげたのですね。

「仁者」としかいいようがありません。


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≪3.西南戦争後、日本は何が変わった?≫

西南戦争は徴兵を主体とした政府軍が勝利したことで、士族出身の兵士も農民出身の兵士も戦闘力に違いはないことが実証され、徴兵制による「国民皆兵」体制が定着しました。

併せて、新政府に対する武力蜂起の不可能なことを国民に悟らせ、以後、反政府運動は自由民権運動へと形を変えていきます。

また、巨額の西南戦費支出はインフレーションを引き起こし、のちの大蔵卿「松方正義」は、増税、官営企業の払い下げ、通貨整理を行って兌換紙幣発行に漕ぎ付け、通貨の信用回復により日本が欧米列強に並ぶ近代国家になる下地が作られました。


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≪まとめ≫

本日の記事をまとめますと

各地で不平士族の乱が立て続けに起こる中、鹿児島を恐れた政府の挑発により私学校は武装蜂起をしてしまいます。西郷は自分の名声で政府に圧力がかけられると思い、私学校生徒の反乱に乗っかることとなります。

西郷は西南戦争を起こす気は全くありませんでした。しかし、愛すべき私学校生徒の為に自分の体を預けました。

西南戦争後は武力による反政府運動はなくなり、自由民権運動に移っていきました。また、軍事的、経済的に近代国家の下地がつくられたのです。

日本最後の内乱である西南戦争。

西郷を担げば各地の士族が群がり、政府は恐れ入り、徴兵による政府軍は弱いと考えていた薩軍の戦略は疎漏でした。

しかしながら、各戦線での薩軍の勇気と戦いぶりは驚嘆すべきものであり、政府軍を何度も退けます。

最後は兵器の質、物量などの差により敗れますが、見事に武士最後の戦いを飾ったと思います。

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

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ありがとうございました


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