西郷隆盛の生涯年表を世界一簡単にまとめてみた!

西郷隆盛は、江戸幕府を解体し、新しい日本の仕組みを作った一人です。

日本の歩みを語る上で外すことのできない西郷について、彼の生い立ちや偉業を簡単に紹介して行きます。


スポンサーリンク

歴史専門サイト「レキシル」にようこそ。

拙者は当サイトを運営している「元・落武者」と申す者・・・。

どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。

この記事を短く言うと

・西郷隆盛とは、幕末から明治にかけて活躍した偉人

・西郷の功績は多く、明治新政府・明治日本の土台を作り上げた

・西郷隆盛がいなかったら、近代化は遅れ、明治政府は崩壊していたかもしれない


《西郷隆盛の年表まとめ》

それではさっそく、西郷の生涯を年表で追っていきましょう。

西郷隆盛

『引用元ウィキペディアより』

● 1827 年
薩摩藩(現在の鹿児島県)に生まれる。

● 1844年
薩摩藩の郡方書役助に任命され、農民の貧しさを知る。

● 1854年
藩主・島津斉彬の側近として江戸へ行く。

● 1864年
禁門の変で、薩摩藩の軍隊を率いて長州軍に勝利する。

● 1866年
長州藩士・木戸孝允薩長同盟を結ぶ。

木戸孝允

『引用元ウィキペディアより』

● 1868年
江戸幕府の勝海舟と会談し、江戸城無血開城を実現させる。この年「王政復古の大号令」が起こり、江戸幕府が廃止される。

● 1871年
岩倉具視使節団」による海外視察中に、明治新政府の「留守番政府」を任される。

● 1873年
大久保利通らとの意見の相違が原因で、政府の官職を辞めて鹿児島に戻る。

● 1874年
鹿児島に私学校を設立し、若者の教育を行う。

● 1877年
西南戦争勃発。新政府軍に敗れ、自決する。享年49歳


スポンサーリンク

《年表から、西郷の偉業をピックアップ》

西郷隆盛の生涯を簡単に紹介しましたが、年表の中から西郷が成し遂げたことをいくつかピックアップしてみましょう。

①薩長同盟

当時の薩摩藩と長州藩は、経済力があり国内において勢力の強い藩でしたが、両者長年敵対関係にありました。

1864年に京都で起きた、幕府と長州藩による武力衝突(禁門の変)でも、薩摩藩士と長州藩士が睨みあう形となりました。

しかし、薩摩軍を率いていた西郷隆盛は、長州藩との歩み寄りを模索します。

禁門の変の後、西郷は討幕のために動くのですが、同じく討幕派である長州を仲間に引き込むことで、幕府の弱体化と武力の増強を狙っていました。

1866年、坂本龍馬の仲介でついに薩摩と長州の会談が実現し、薩長同盟が結ばれました。

坂本龍馬

『引用元ウィキペディアより』

この功績は、討幕の道へ歩みを加速した瞬間でもありました。

②江戸城無血開城

討幕派と幕府が衝突した戊辰戦争では、西郷隆盛はやはり若者たちの先頭に立ち軍隊を率いていました。

討幕派の中には武力を持って幕府を排除すべしとの声が上がっていましたが、西郷は平和的解決を望んでいました。

そこで西郷は、幕府側の指揮官・勝海舟との会談により、江戸城総攻撃の中止にこぎつけました。

勝海舟

『引用元ウィキペディアより』

いわゆる、江戸城無血開城の実現です。

ひとたび攻撃が始まれば、江戸の町は戦火に巻き込まれ、多くの市民が犠牲となったことでしょう。

何万人にも及ぶ江戸市民を西郷が救ったのでした。


スポンサーリンク

③廃藩置県の決行

明治新政府にとって最重要事項の一つに「廃藩置県」がありました。

廃藩置県は、全国に残る大名が所有する土地と人民を、すべて朝廷へ返還させる政策のことです。

これまで各地で行われていた政権を中央(=朝廷)に集中させるもので、各地の大名を説得しなければならない難しい事業だったのです。

事業成功に向けて激論が繰り広げられる中、有事の人である「西郷隆盛」は

「暴動が起きれば自分が鎮圧する」

と静かに告げました。

この一言により、明治政府は事業の開始を決意し、1871年に廃藩置県が行われました。

西郷が結成した明治政府直属の軍隊が効力を発揮したのか、かつての大名による暴動やめだった混乱もなく無事に廃藩置県を終えることができました。


スポンサーリンク

④留守番政府

1871年、岩倉具視が率いる使節団が海外視察のために出発しました。

岩倉具視

『引用元ウィキペディアより』

この使節団には西郷の盟友である大久保利通も参加しており、新政府の主要人物が不在となってしまいました。

大久保利通

『引用元ウィキペディアより』

当時はまだ明治新政府ができたばかりであり、国政は不安定な状態にありました。

そのため、西郷隆盛が政府の留守番役として抜擢されたのでした。

このとき西郷は、佐賀藩出身の「江藤新平」達と協力して、次々と今後の日本に必要な政策を打ち立てていきました。

その具体例は下記の通りです。

地租改正
・学制の発布
・各府県に裁判所を設置
・陸軍省および海軍省の設置
・人身売買の禁止令を発布
・散髪や廃刀の自由
・仇討ちの禁止
・キリスト教の解禁
・太陽暦の採用
・徴兵令の布告
・身分間を問わない自由な結婚制度

中でも、キリスト教の解禁太陽暦の採用、華族・士族・平民の垣根を超えての結婚制度は、新しい日本の始まりを象徴する政策と言えるでしょう。


スポンサーリンク

《西郷隆盛がいなかったら、日本はどうなっていた?》

数多くの功績を残した西郷ですが、彼が存在していなかったら日本はどうなっていたのでしょうか。

歴史のターニングポイントともいえる、江戸城無血開城西南戦争を引き合いに考えてみましょう。

そもそも西郷がいなかったら討幕はならなかったのでは、と考える方もいるかと思いますが、「倒幕」自体は、西郷がいなくとも大久保利通や岩倉具視、木戸孝允などによって実現していたでしょう。

しかし、江戸城無血開城については、勝海舟が希望した平和的解決を受け入れる「西郷の度量」がいなければ成し得なかった出来事でしょう。

無血開城が実現しなければ、確実に江戸の町は戦火に焼かれ、倒幕を果たしたとしても明治新政府は大規模な町の復興に追われ、世直しに必要な政策に一向に手がつけられなかったと考えられます。

当然、諸外国への視察もできないまま、日本の近代化は大いに遅れていたと思われます。

また、西南戦争は政府の対応に不信を抱いた士族によっておこりましたが、最後は止む無く士族の先頭に立った西郷の自決によって終息した内乱でした。

これも西郷がいなければ戦争が終息しないばかりか、士族による内乱が続くことで国政は不安定なままだったでしょう。

もしかしたら、この隙に欧米諸国に攻められ日本は植民地となり、明治政府の崩壊の可能性も考えられます。


スポンサーリンク

《まとめ》

いかがでしたでしょうか。

最後に、西郷隆盛についてまとめると、

・西郷隆盛は幕末から明治の動乱期に活躍した人物

・西郷隆盛は数多くの功績を残し、新しい日本の基盤を作った。

・西郷隆盛がいなければ近代化は大幅に遅れ、明治政府の崩壊の危機にさらされた

といえるでしょう。

こうしてみると、今の日本があるのは「西郷隆盛」という人物が存在していたことが大きく影響していると感じさせます。

以上です。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


西郷隆盛」について、よろしければ以下のリンク記事も、お役立てくださいませ。

↓↓↓↓↓↓


スポンサーリンク



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする