大河ドラマ「西郷どん」の冒頭に登場する「西郷菊次郎」とは、どんな人?
「台北県支庁長」や「宜蘭庁長」を歴任後、京都市長に!
右足がなかった?
菊次郎の子孫が現在、鹿児島県内で活躍中!
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この記事を短く言うと
・西郷菊次郎は、西郷隆盛の長男で、隆盛の二人目の妻「愛加那」との間の子
・菊次郎は、12歳でアメリカ留学し、帰国後「西南戦争」に参戦し、右足を失った
・菊次郎の子孫は現在、鹿児島県日置市で、陶芸家として活躍している
「西郷菊次郎」とは、何者?
西郷菊次郎・・・明治維新を成し遂げた「維新三傑」の一人「西郷隆盛」の長男。
母は「奄美大島」で西郷隆盛と出会い、二人目の妻となった女性「愛加那」
お尋ね者となっていた「西郷隆盛」が、幕府の追求をかわすために、奄美大島へ潜伏し、「愛加那」と知り合って「菊次郎」が誕生。
その後、西郷隆盛は薩摩へ帰国。
当時の島の法律により、島民は罪人帰国時に一緒に行くことが出来ず、愛加那と菊次郎・・・そして菊次郎の妹・菊子(大山巌の弟・誠之助の妻)は奄美に残留。
菊次郎が8歳の時、妹・菊子とともに鹿児島の西郷隆盛のもとに引き取られ、12歳で留学し、2年半の間アメリカで過ごしました。
帰国した3年後、菊次郎は父「西郷隆盛」に従って、「西南戦争」に参戦しています。
「西郷隆盛と篤姫の関係」については、以下のリンク記事で、詳しく解説させていただいております。よろしければご利用下さいませ。
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「西南戦争」から「京都市長就任」まで
西南戦争に参戦した菊次郎は、右足に重症を負い、膝から下を失いました。
菊次郎は、西郷隆盛の家人「熊吉」に背負われて、西郷隆盛の弟・・つまり叔父にあたる「西郷従道」に降伏。
この降伏を受けた西郷従道は、甥・菊次郎が無事だったため、大喜びで保護したと言われています。
この後、英語が得意だった菊次郎は、外務省に入省。
日清戦争後は「台湾」へと渡り、「台北県支庁長」や「宜蘭(ぎらん)庁長」を歴任。
その後1904年から6年半の間、「京都市長」を務めています。
ちなみに異母弟の「西郷寅太郎」は、西郷隆盛の名誉回復を命じた「明治天皇」の御威光で、13年も「ドイツ」へ留学
陸軍大佐となった後、1919年「肺炎」で亡くなっています。
「西郷隆盛が西南戦争を始めた理由」については、以下のリンク記事で、詳しく解説させていただいております。よろしければご利用下さいませ。
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子孫が鹿児島で活躍!
京都市長「菊次郎」さんの子孫が、現在も活躍なさっておられます。
「西郷隆文」さんと、その弟「西郷等」さん
西郷菊次郎の息子・隆泰を父に持つ方々
西郷隆文さんは、奈良市出身・・・5歳で鹿児島県日置市へ。
「西郷等」さんとともに「日置南洲窯」を開き、代表に就任。
現在も陶芸活動を行っておられます。
ちなみに、西郷隆文さんの「日置南洲窯」の住所は
「鹿児島県日置市日吉町日置5679」
「西郷隆盛の子孫」については、以下のリンク記事で、詳しく解説させていただいております。よろしければご利用下さいませ。
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まとめ
本日の記事をまとめますと
・西郷菊次郎は、西郷隆盛の2人目の妻「愛加那」との間に産まれた長男
・菊次郎は、12歳でアメリカ留学し、17歳で西南戦争へ参戦。負傷し、右足膝から下を失った
・菊次郎の子孫「西郷隆文」さんと弟「西郷等」さんが、鹿児島県日置市で陶芸家として活躍しておられる
以上となります。
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