西郷隆盛と大久保利通の関係が悲しい!対立した末の『血塗られた手紙』

英雄「西郷隆盛」と大政治家「大久保利通」。なぜ二人は親友でありながら殺しあったのかを、わかりやすく解説いたします。

西南戦争で「西郷」は、新政府軍の総大将「大久保」に撃破され、死亡。

大久保は、その1年後に暗殺。ふところには「血染めの手紙」がおさめられていた


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この記事を短く言うと

西郷隆盛大久保利通は、ともに鹿児島で育った幼馴染だった

・二人は明治維新後に、方針の違いから対立。その後に起こった西南戦争で西郷は亡くなった

・大久保は、西郷が亡くなった1年後に「紀尾井坂の変」で暗殺された。その懐には「西郷からの手紙」があった

・大久保利通は、西郷隆盛という男に、心からほれこんでいた


《西郷隆盛と大久保利通の関係》

西郷隆盛大久保利通は、ともに薩摩の下加治屋町で育ち、年少の頃からお互いを認め合い、親友・同志となりました。

西郷隆盛
『引用元ウィキペディアより』

大久保利通
『引用元ウィキペディアより』

家は、通りを隔てて隣同士であり、幼馴染でした。

両家とも下級武士の家柄で貧乏でしたが、大久保の家はより赤貧だったのです。

大久保は、食事時に空腹でたまらなくなると西郷の家に行き、黙って、西郷の兄弟の端っこに座ったと言います。

西郷はそれを見ると、黙って兄弟の飯椀から少しずつご飯を分けて、大久保の前に出しました。

大久保は、それを黙って食べると再び自宅に戻ったという逸話があります。

こういう年少の結びつきを経て、後に革命の指導者となります。

西郷が京にいて大久保が薩摩にいる場合、お互いのそれぞれの活動を円滑にするための行動があうんの呼吸でできていたらしく、このふたりの呼吸の合い方は常人では理解できないほどの域に達していた様です。

まさに盟友というにふさわしい関係だったのですね。


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《2人が対立した理由と、西郷隆盛の最期》

実は、西郷と大久保の性格や考え方は異なりました。

西郷には大いなる徳望がそなわっており、権力への反抗意識がありました。

一方、大久保は事を成すためには権力を手にする必要がある、という権力を求める様子があったのです。

討幕段階では西郷は表舞台で活躍し、大久保は岩倉具視と共に裏舞台で権謀術数を駆使し、西郷を助けます。

この討幕という革命では表舞台・裏部隊の両方ともが実にうまく機能し、見事に討幕を成すこととなります。

討幕後、西郷はなんと薩摩へ帰ってしまいます。いかに権力欲が薄いかが分かります。


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大久保は明治政府の「参議」という役職を歴任。

閣僚にあたる卿より上位で、職掌分担なしに閣僚たちを指導する、集団制の政府首班として位置づけられる明治政府の重職です。

大久保は参議として明治新政府の中央集権体制確立のため次々と政策を推進してゆきます。

大久保はその暗殺まで、一度も権力の座を降りることはありませんでした。

その後、大久保の懇願により、ようやく西郷は上京し参議の職に就きます。

しかし、西郷と大久保は「征韓論」をめぐって対立(明治六年の政変)。

朝鮮に全権大使としておもむき、開国・通商をせまる考えの西郷と、朝鮮との戦争を恐れ、内治を優先させたい大久保の考えが真っ向からぶつかったのです。

結果、西郷は敗れ下野(辞職)し鹿児島に帰ります。

西郷を慕う多くの薩摩人も職を投げうって鹿児島へ。

西郷は大久保に政争で敗れたわけですが、西郷が大久保を恨んだかというと全くそうではありません。西郷はこんな意味のことを言っています。

「新政府は大久保と岩倉の二人がいれば、心配ない。」

政敵であるはずの大久保と岩倉具視を信じ切っているのです。


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その後、鹿児島で隠遁生活を送っていた西郷をかついで西南戦争が勃発。

当初大久保は西郷はその決起の集団の中に入っていないと確信していました。

しかし西郷が加わっていることを知ると、大久保は強い衝撃を受けます。

大久保は西郷を説得するため、鹿児島へ行こうとしますが、伊藤博文らが大反対。

当然です。鹿児島では「版籍奉還」「廃藩置県」「徴兵令」「四民平等」「廃刀令」などの「武士の特権」を廃止する改革を次々と行う「大久保利通」は、ひどく憎まれていたのです。それは大久保利通が最近まで、鹿児島に分骨されなかったことでもわかると思います。

話を戻しましょう。

西郷が西南戦争に参加していると知っても、大久保は明治政府の権力を守るために、政府軍を総覧するため京都へ行き積極的に戦局を指揮します。

新しい近代国家である日本をつくるには明治新政府を守ることが唯一無二であると信じている大久保と、薩摩の不平士族の為にその身を預け、再維新を果たそうとした西郷。

その両者の考え方の違いが西南戦争での対立を生んだのです。


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西南戦争で薩摩軍は薩摩士族の驚異的な勇敢さを見せつけ善戦しますが、戦況不利になり故郷で死ぬことを願って政府軍の重囲いを突破して鹿児島へ還って城山に籠ります。

政府軍は5万人以上の兵で城山を囲み、遂に総攻撃。

西郷隆盛は銃弾の飛び交う最前線に行き、2発の小銃弾を被弾。

西郷は、つんのめるように倒れますが、すぐ体を起こし後ろの別府晋介(薩摩軍幹部のひとり)を振り返り言います。

「シンどん、もうここでよか。」

別府晋介は

「ごめんなってもんし(お許しください)」

と言って、西郷の首を介錯。

西郷の死を聞いた大久保は涙しながら時々鴨居に頭をぶつけながらも、狂ったように家の中を歩き回り・・

「おはんの死と共に、新しか日本が生まれる。強か日本が……」

とつぶやいていたそうです。

大久保は歴史家に西郷伝の作成を委託しています。

西郷に対する供養と、自分と西郷がいかに仲が良かったかを後世に伝えたかったのでしょう。


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《大久保利通の最期!『血塗られた手紙』に込められた友情》

大久保は西南戦争からわずか1年後に紀尾井坂で暗殺されます。(紀尾井坂の変

実行犯は石川県士族「島田一郎」をはじめとする6名でした。

暗殺の日の朝、大久保は馬車に乗って太政官へ出かけます。

持参すべき書類をいつもの様に風呂敷につつみますが、その際西郷からきた古い手紙2通も一緒につつみます。

1通は戊辰戦争の折、江戸へ政党軍を送るにあたり、外国人によく趣旨を言い聞かせてほしいとの内容でした。

もう1通は、大久保が欧州に視察に行った際に撮った写真を西郷に送った返事で、

「あまり美丈夫とも思えぬから、以後撮影しない方がよいぞ」

というユーモラスなものでした。

事件後は大山巌が血染めになったそれを所持したとされています。

他人が何と言おうと、大久保は常に西郷を想っており、二人は深い友情でつながっていたのです。


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《『西郷隆盛』『大久保利通』について、レビュー(評論)!》

西郷隆盛と大久保利通
二人は「友」というよりも「男同士の恋」というか、義恋とでもいえばいいのか、そんな関係だったのではないでしょうか。

歴史小説「三国志」の英雄「曹操」が、宿敵「劉備」の義弟「関羽」に恋をし、彼を仲間にするために、狂ったように策謀を重ねた、という逸話があります。

大久保利通は西郷隆盛に対して、曹操が関羽を想ったような「男気にほれ込む」とでも言えばよいのでしょうか・・・そんな感情を抱いていたのではないでしょうか。

江藤新平」・・・「佐賀の七賢人」と呼ばれる幕末の官僚です。彼は大久保利通が「岩倉使節団」で2年の間、海外視察をしているときに、西郷隆盛と組んで改革を主導しています。

この江藤新平と西郷隆盛が、非常に相性が良かった・・・それを知った大久保利通は・・・江藤新平と激しく敵対することとなるのです。

江藤は大久保の罠にはまり、「佐賀の乱」の首謀者として祭り上げられ、処刑されます。

この処刑について大久保は

「大満足」

と言っているのです。

嫉妬心・・・「西郷を取られた」・・・これまで西郷とともに戦っていたのは自分なのに。

個人的には「大久保利通」は、最高の大政治家だと思っているのですが・・・そんな大久保は西郷を心の底から想っていた気がしてなりません。

「大久保利通」と「西郷隆盛」の関係については、以下の書籍がとても面白いので、よろしければご覧くださいませ。

 

ちなみに、この書籍ですが、とてもおもしろい作品でした。

「大久保利通」
西郷亡きあと、わずか1年で亡くなるわけですが・・・その胸に手紙があったかどうか、実ははっきりとしていないみたいです。

とはいえ、拙者は「あった」と信じたいです。


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《まとめ》

本日の記事をまとめますと

・西郷と大久保は薩摩の下加治屋町で育ち、親友・同志となりました。

・お互いを認め合ってはいましたが、性格はまるで違いました。それが征韓論でぶつかり、敗れた西郷は下野し薩摩に帰ってしまいます。

・西郷は薩摩の不平士族に担ぎ上げられ、西南戦争を起こし敗死します。西郷の死を聞いた大久保は号泣します。

・西南戦争の1年後大久保は紀尾井坂で暗殺されます。その際には西郷から届いた2通の手紙を所持していました。変わらぬ友情が伺えます。

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


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