西郷隆盛と大久保利通はなぜ対立した?2人の関係を物語る逸話とは!

「西郷・大久保という名コンビが、最期はなぜ対立したのか」、その原因や結末を、わかりやすく解説いたします。

「維新三傑」と呼ばれた幕末の英雄「西郷隆盛」と「大久保利通」

兄弟のように育ち、ともに成長した二人は、どうして対立してしまったのか?

2人は「征韓論」という朝鮮半島への介入で対立し、「西南戦争」で激突するのです。


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この記事を短く言うと

西郷隆盛大久保利通は、「征韓論」という考えの違いで対立し、西郷が政治家を引退。そして西郷は新政府に不満を持つ「元サムライ」達にまつりあげられ、二人は「西南戦争」で戦うこととなる

・西郷が亡くなった時、大久保は狂ったように泣き「あなたの死とともに、強い日本が生まれる」と、西郷の死に大いなる意味があると、願うようにつぶやき続けた

・「紀尾井坂の変」で暗殺された大久保のふところには、西郷から送られた手紙があった


「西郷隆盛」と「大久保利通」が「西南戦争」で対立した理由とは?

西郷隆盛大久保利通はともに薩摩の下加治屋町で育ち、年少の頃からお互いを認め合い、親友・同志となりました。

しかしながら、その性格や考え方は異なります。

西郷には大いなる徳望がそなわっており、権力への反抗意識がありました。

《西郷隆盛》
『引用元ウィキペディアより』

一方、大久保は事を成すためには権力を手にする必要がある、という権力に対して一種の憧れがありました。

《大久保利通》
『引用元ウィキペディアより』

討幕段階では西郷は表舞台で活躍し、大久保は岩倉具視と共に裏舞台で権謀術数を駆使し、西郷を助けます。

この討幕という革命では表舞台・裏部隊の両方ともが実にうまく機能し、見事に討幕を成すこととなります。

討幕後、西郷はなんと薩摩へ帰ってしまうのです。

清廉潔白な西郷隆盛、いかに権力欲が薄いかが分かります。

大久保は明治政府の「参議」という役職に就任。

閣僚にあたる卿より上位で、職掌分担なしに閣僚たちを指導する、集団制の政府首班として位置づけられる明治政府の重職です。

大久保は参議として、明治新政府の中央集権体制確立のため、次々と政策を推進してゆきます。

大久保はその暗殺まで一度も、権力の座を降りることはありませんでした。

その後大久保の懇願により、ようやく西郷は上京し「参議」の職に就きます。

しかし、西郷と大久保は「征韓論」をめぐって対立。

この時、朝鮮半島は「鎖国」政策をとっており、西欧列強はもちろん日本との国交も拒絶する有様でした。

挙句の果てには、朝鮮半島の最高権力者「大院君」が恐るべき命令を、朝鮮半島全土に宣言します。

「日本は野蛮な国になってしまった。まるで獣と変わらぬ様子だ。

もしも我が朝鮮国で、日本人と交流するものは、即刻処刑する」

当時の朝鮮半島には、約2000人の「居留民(朝鮮に住む日本人)」がいました。これを救い出すためにも、朝鮮半島を開国させて日本との国交を行い、この危険極まりない命令を辞めさせなくてはいけません。

朝鮮に全権大使として赴き開国・通商をせまる考えの「西郷隆盛」と、朝鮮との戦争を恐れ、内治を優先させたい「大久保利通」の考えが、真っ向からぶつかったのです。

さらに「大久保利通」は、朝鮮半島に「西郷」が行けば、生きて帰ってこれないだろうと考えていました。西郷も、生きて帰ってこれないことをしっていました。

それでも西郷は命を捨てて、朝鮮半島の日本人を救おうとします。大久保は大切な盟友で親友、兄にも似た「西郷」を死なせたくない一心で、西郷を止めます。

ここに、西郷と大久保の「征韓論争」がおこるのです。

自らの命の危険もかえりみずに居留民を救いたい西郷。命を捨てようとする西郷を死なせたくない大久保。すれ違いです。悲しいことに対立は激化の一途をたどります。

結果、西郷は政争に敗れ、下野(辞職)し鹿児島に帰ります。(明治六年の政変)

西郷を慕う多くの薩摩人(約600人)も、職を投げうって鹿児島に帰りました。

大久保は、最大の後ろ盾にして協力者だった「戊辰戦争最大の英雄・西郷隆盛」を失いますが、それにより、自らの改革を邪魔する「土佐・肥前」の反対勢力「江藤新平」らを政府から排除することに成功します。

西郷は大久保に政争で敗れたわけですが、西郷が大久保を恨んだかというと全くそうではありません。

鹿児島へ帰る前に、西郷はこんな意味のことを言っています。

「新政府は大久保と岩倉の二人がいれば、心配ない。」

政敵であるはずの大久保と岩倉具視を信じ切っているのです。

その後、鹿児島で隠遁生活を送っていた西郷をかついで西南戦争が勃発します。

当初大久保は西郷はその決起の集団の中に入っていないと思っていましたが、西郷が加わっていることを知り、衝撃を受けます。

それでも大久保は明治政府の権力を守るために、政府軍を総覧するため京都へ行き積極的に戦局を指揮します。

新しい近代国家である日本をつくるには、明治新政府を守ることが唯一無二であると信じている大久保と、薩摩の不平士族の為にその身を預け、再維新を果たそうとした西郷。

その両者の考え方の違いが西南戦争での対立を生じさせました。

しかし前述したように、西郷は大久保を信頼しきっており、会うことはなくてもその友情は終生変わらなかったのです。


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「西郷隆盛」が亡くなったことを知った「大久保利通」の様子

西南戦争で西郷は新政府軍に敗れ、薩摩の城山で死にます。

西郷の死を聞いた大久保は涙しながら時々鴨居に頭をぶつけながらも家の中を歩き回り・・

「おはんの死と共に、新しか日本が生まれる。強か日本が……」

とつぶやいていたそうです。

西郷と薩摩軍の幹部は、浄光明寺墓に鄭重に葬られます。

政府への反乱者への扱いとしては異例でした。

そして大久保は戦後、鹿児島県民へ米を送るなどの慰撫策を打っています。

また、大久保は歴史家に西郷伝の作成を委託しています。

西郷に対する供養と、自分と西郷がいかに仲が良かったかを、後世に伝えたかったのでしょう。


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「西郷」と「大久保」は、お互いをどう思っていたのか?

西郷と大久保は討幕において、野球の相性の良い投手と捕手のように、実に息の合ったコンビでした。

お互いを信頼しあい、阿吽の呼吸で行動する事ができたのです。

西郷が島津久光に配流されたとき、西郷を必要とした大久保は、西郷の赦免に尽力し呼び戻します。

また、明治維新を成し遂げた直後、大久保は鹿児島へ帰ってしまった西郷に、新政府への参加を懇願するのです。

西郷と大久保は投手と捕手ですから、どちらかが欠けても成り立ちませんし、どちらもお互いを唯一無二の存在として、代わりの選手を求めなかったのです。

西郷と大久保は政治に対する考え方が異なっていても、互いに信頼し、尊敬し合っていたのです。


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「大久保利通」が、死ぬときに、胸に隠し持っていた「モノ」

大久保は家族にも秘密で、生前の西郷から送られた手紙を入れた袋を持ち歩き、暗殺された時にも西郷からの手紙を2通懐に入れていました。

血まみれになった手紙の1通には、大久保が写真を好み、撮影した写真を西郷に送った際の返事が記されていました。

「決して美男子とは言えないから、写真撮影などもうおやめなさい」

まるでおとなしい兄が、新しいもの好きでヤンチャな弟を諭すような、そんな優し気な手紙です。

この手紙を、大久保は肌身離さず持っていたのです。

大久保は常に西郷を想っていたということでしょう。

その手紙は、大久保の死後、西郷隆盛の従兄弟「大山巌」に渡ったと言われています。


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「西郷隆盛」と「大久保利通」について「ひとこと」いいたい

西郷隆盛と大久保利通は、「投手と捕手」のような関係だと申しました。

実は「大久保利通」以外に一人だけ、西郷隆盛と「投手と捕手」の関係になり得た人物がいたのです。

江藤新平・・・・「佐賀の七賢人」の一人であり、参議の一人です。

司法の原型を作り上げた実務家。

ゼロから政府の基礎を作り上げた官僚タイプの人であり、大久保利通と似たタイプの人です。

江藤新平は、大久保利通が「岩倉使節団」で2年弱もの間、欧米を視察していた際に、西郷隆盛とともに政府を主導。

数々の改革を成し遂げています。

帰国し、江藤新平がまるで自分の代わりのように、西郷の側を固めていることを知った大久保・・・。

その江藤新平は、大久保を強く批判していました。

「薩長だけで政治を独占している」と言って、長州の「山県有朋」や「井上馨」などを、汚職を理由に次々と辞職に追い込んでいるのです。

大久保は、江藤新平を失脚させようと考えます。

そして西郷隆盛に協力してほしいとお願いするのです。

しかし、西郷は江藤を支持。

これまでどんな時でも大久保の味方をしてくれた西郷が、よりにもよって大久保の宿敵「江藤新平」のほうが正しいと、江藤を応援すると言ったのです。

幼いころから兄弟のように育った西郷は、どんなことがあっても、自分を応援し手助けしてくれるはずだ・・・無邪気にそう信じ切っていた大久保は、大嫌いな江藤の肩を西郷が持っていることに絶望したはずです。

大久保は、貧困で苦しんだ幼いころ、近所の優しいお兄さんだった「西郷隆盛」に何度も救われています。

夕飯時、お腹が空くと、幼い大久保は西郷家の食卓の末席に座ります。

西郷は笑顔でそれを迎え入れ、自らの乏しい食事を分け与えていたのです。

西郷は自分も空腹であるにもかかわらず、そんな姿を全く見せず、大久保を暖かく支え、励ましてくれていました。

いつも優しく、いつも味方でいてくれた西郷が、自分の宿敵「江藤新平」を支え、応援し、自分を批判している。

大久保は、まるで嫉妬に狂ったように、西郷をとりこんだ江藤新平を敵視ししはじめるのです。

大久保は悔しかったことでしょう。

「明治六年の政変(征韓論争)」で敗れた「江藤新平」を、大久保は「佐賀の乱」の首謀者にまつり上げられるよう、巧みに罠を仕掛け、最期は斬首刑で処刑してしまいます。

江藤を処刑した大久保は、「大満足」という言葉を残しています。

西郷隆盛を想う大久保利通・・・それは愛情というか、男同士の「義恋」というか、きわめて男性的な愛を含んだものだった気がします。

歴史小説「三国志」に登場する英雄「曹操」が、敵将「関羽」に恋をしたように。

そんな大久保利通は、「西南戦争」で西郷隆盛を死なせてしまう運命をたどります。

たとえ西郷を葬ってでも、成し遂げなくてはならないことが、自分にはある。

「近代国家実現の夢」が、大久保を突き動かしたのです。


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まとめ

本日の記事をまとめますと

・権力への反抗意識のある西郷と、権力へのあこがれをもつ大久保。2人の考え方が全く異なることにより、征韓論を経て西南戦争での対立をうみます。

・西南戦争による西郷の死を聞いた時大久保は号泣し、家の中を歩き回ったとの事です。

・西郷と大久保は政敵となりますが、個人としてはお互いを信頼し、尊敬しあっていました。

・大久保が暗殺された時、西郷からの手紙を所持していました。大久保は常に西郷とともにあったのです。

西郷の死は明治10年。大久保の死は明治11年。西郷の後を追うようにして大久保も死にました。
これにより討幕、明治維新を果たした薩摩の一大勢力がなくなり、次の世代を担う人々へ日本が引き継がれることになったと言えます。

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


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