明治維新の英雄「西郷隆盛」の「子孫」は、今も続いているのか?そしてどこにいるのでしょうか?
くわしい「家系図」の画像付きで、わかりやすく解説いたします。
鹿児島には「西郷隆盛の子孫が経営するカフェ」がある!
女医タレント「友利新」さんの夫が、西郷家の末裔だった!
歴史専門サイト「レキシル」にようこそ。
拙者は当サイトを運営している「元・落武者」と申す者・・・。
どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。
この記事を短く言うと
・西郷隆盛の遠縁としては、競馬騎手「武豊」や、法務大臣だった「西郷吉之助」がいる
・「鹿児島県鹿児島市」に、西郷隆盛の子孫が経営するカフェがある
・女医タレント「友利新」の夫が、西郷の子孫らしい
・現在、直系5代目の子孫として「西郷隆太郎」さんという方がおられる。
西郷隆盛の家系図
西郷隆盛の兄妹たち
西郷隆盛は、薩摩藩島津家に仕えた人物。
父「西郷吉兵衛隆盛」
母「満佐子」
兄妹は、
妹「琴」
妹「鷹」
妹「安」
三男「信吾(後の海軍大臣・西郷従道)」
四男「小兵衛」
西郷の「3人の妻たち」
西郷隆盛は、生涯に3度の結婚をしています。
1人目の妻が「伊集院須賀」・・・・西郷隆盛が留守がちだったため、実家に帰ってしまい、離婚。
2018年大河「西郷どん」では、女優「橋本愛」さんが演じておられました。
2人目の妻が「愛加那(あいかな)」・・・・長男・菊次郎(後の京都市長)と、長女「お菊(菊草)」が生まれています。
ドラマ「西郷どん」では、「二階堂ふみ」さんが演じておられて、5月に登場・・手に刺青をしている姿が印象的でした。
愛加那とは、西郷隆盛が流罪となった「奄美大島」で結婚しましたが、西郷が鹿児島に帰還する時・・・一緒に連れていけない法律があったため、離婚。
3人目の妻が「糸子」・・・寅太郎(後の侯爵)・牛次郎・酉三と、三人の子が生まれ、さらに「菊次郎」と「お菊(菊草)」を引き取って育てています。
ドラマ「西郷どん」で、女優「黒木華」さんが演じておられますね。
糸子は西郷の死後、二番目の妻「愛加那」に仕送りまでする、よくできた妻。
西郷隆盛の5人の子供たち
西郷菊次郎
西郷隆盛と二人目の妻「愛加那」の長男。(西郷隆盛の第1子)
1860年、奄美大島で誕生。
のちに結婚する3人目の妻「西郷糸子」に引き取られます。
西郷には、糸子との間に「寅太郎」という子供が誕生していました。そのため、「菊次郎」は「庶子(非嫡出子)」として扱われ、寅太郎が長男あつかいされたのです。
非常に勉強好きな人物で、11歳の時、叔母「西郷琴(市来琴)」の息子で「市来宗介」を保護者代わりにして、一緒にアメリカへ留学。
1877年、西南戦争に父とともに参戦し、右足を負傷。そのときに右足を失い、義足に。
桐野利秋の機転により、永田熊吉にかつがれて政府軍に投降。西郷従道は甥である菊次郎の降参を喜び、熊吉に深く感謝したとのことです。(ちなみにその後、熊吉は従道から「兄弟」同然にあつかわれ、従道とともに暮らして亡くなります)
西南戦争の後、菊次郎は傷の治療をしながら隠れるように生活。自らの家庭教師でもあった「川口雪篷」が義足を手配したと言われています。
その後、明治20年には再びアメリカへ留学。
帰国後はアメリカ留学の経験を活かして「外務省」「アメリカ大使館」などで活躍。
さらには日清戦争で割譲された「台湾」へ「宜蘭支庁長」としておもむきます。
台湾で6年務め、その間にインフラ整備に力をつくし、今でも台湾の方々から愛されているようです。特に「宜蘭川堤防」をつくった功績は高く評価されています。
その後「第二代京都市長」として京都市へ赴任。
最期は薩摩の「島津家・山ケ野金山鉱業」の館長として活躍。足の怪我による後遺症に苦しみ、館長を辞職。
1928年(昭和3年)に亡くなります。享年67歳。
現在は、鹿児島市にある「西郷家の墓地」で静かに眠っています。
西郷菊草(大山菊子)
西郷隆盛と二人目の妻「愛加那」の長女(第2子)
西郷菊次郎の妹
「安政の大獄」から逃れるために「奄美大島」へ潜伏していた「西郷」でしたが、薩摩へ帰還することとなります。
西郷が薩摩へ帰還したあとで生まれたのが「菊草」です。
彼女もまた、兄「菊次郎」と同じく、12歳のときに鹿児島の「西郷糸子」に引き取られて育ちます。(引き取られたのは西南戦争で西郷隆盛が亡くなる2~3年前と考えられています)
菊草が薩摩へ引き取る際、西郷隆盛は「愛加那」へ手紙を送っています。その内容が、非常に気を使っている内容なのです。当然です。菊草を引き取られたら、愛加那は子供二人を失い、1人になるのですから。
そして菊草が薩摩へ引き取られたこの瞬間が、菊草と愛加那親子の永遠の別れとなったのです。
菊草は菊次郎と違い、二度と母「愛加那」と会うことはありませんでした。
薩摩へ渡った「菊草」は、14歳のときに、父・隆盛の従兄弟(菊草のいとこおじ)にあたる「大山誠之助(大山巌の弟)」と婚約。
しかし、「大山誠之助」は1877年の「西南戦争」に、兄「菊次郎」とともに参戦。
1877年、西南戦争が終わると、菊草の婚約者「誠之助」が、宮城県の監獄に収監。2年後には釈放され、1880年2月12日、菊草(17)と大山誠之助(30)は結婚。
しかし、菊草の結婚生活は苦労の連続でした。
「米子」「慶吉」「綱則」「冬子」たち4人の子供を授かったものの、夫「誠之助」が事業に失敗。多額の借金を抱えることになります。
挙句の果てには菊草は、「誠之助」の家庭内暴力に苦しめられることに・・・
それを見かねた義理の姉(兄・菊次郎の妻)の協力で、1907年に夫「誠之助」と別居。
兄「菊次郎」のもとで生活するも、1909年に死去します。
墓地は東京都杉並区の「大円寺」。離婚はしていなかったので、大山菊子という名前で夫「誠之助」の隣に眠っています。
父・隆盛に引き取られ、その後一度も母「愛加那」に会わなかった「菊草」。夫と別居したことを恥じていたのかもしれません。
ちなみに彼女の4人の子供たちは、1893年(明治26年)に、「誠之助」の兄「大山巌」とその妻「捨松」に引き取られていました。(捨松は、岩倉使節団に同行した女性)
借金で生活に困窮した菊草を、大山巌は助けたかったのでしょう。その時「大山巌」が菊草に残した言葉が「弟の不始末を詫びる」とのこと。大山巌は「西南戦争」で英雄であり恩人の「西郷隆盛」と戦っており、そのことを生涯悔やみ続け、二度と故郷の「鹿児島」に帰らなかったと言います。「菊草」の父「西郷隆盛」を死なせたことを、娘の菊草に対して、申し訳なく思っていたのでしょうね。
西郷寅太郎
西郷隆盛と三番目の妻「西郷糸子」の長男「西郷寅太郎」(第3子)
1866年に誕生。
菊次郎は「兄」にあたるが、庶子としてあつかわれた菊次郎に代わって「長男」として育てられます。
1877年9月、西南戦争で父「西郷隆盛」が死去。この時、寅太郎は11歳。
1884年、父の盟友「吉井友実」や「勝海舟」のすすめ、そして明治天皇の思し召しもあり、13年もの長期間「ドイツ」へ留学。
父「西郷隆盛」が西南戦争を起こした逆賊であるはずが、明治天皇に大切にされていることから考えても、明治天皇が西郷隆盛をどれほど信頼していたかがわかります。
1889年、西郷隆盛の死後わずか12年後、「大日本帝国憲法」発布にともなう大赦で、父の名誉が回復。
1902年には父の維新の功績を讃えられ、「侯爵」という異例とも言えるほど高い爵位を与えられます。同時に「貴族院議員」にも就任。
その後は、「東京捕虜収容所」「習志野捕虜収容所」の所長を歴任。
1919年(大正8年)元日に、スペイン風(インフルエンザ)が原因で死去します。
寅太郎の妻「ノブ」は実業家「園田実徳」の娘。(園田実徳は北海道銀行の創始者)。その「ノブ」はかなりの浪費家だったため、実家に帰されたのだとか。
この「園田実徳」が、競馬騎手「武豊」「武幸四郎」の兄弟のご先祖様であるため、「寅太郎」を通じて、西郷家と「武」兄弟は親戚ということになります。
寅太郎亡き後、寅太郎の子供たち「八男四女」は、弟の「午次郎」が引き取っています。
そして寅太郎の三男「吉之助」は、のちに法務大臣を務めています。
西郷午次郎
西郷隆盛と西郷糸子の次男(第4子)
糸子が産んだ3人の子供たちの中で唯一、母「糸子」よりも長生きしたのがこの「午次郎(うまじろう)」。
午次郎は、政治家だった「菊次郎」や軍人だった「寅太郎」とは異なり、実業家として活躍しています。
日本郵船(三菱)の社長秘書として務め、実業家の一歩目を踏み出します。
妻の父が「堀藤十郎」という、銅山を経営する実業家だったため、非常に裕福な生活をしていました。そのためか、母「糸子」を引き取り、3年の間一緒に生活しています。(糸子は非常に明るい人で、孫たちを楽しませる名人だった、と午次郎の妻が回想している)
日本郵船を退職した後、叔父「西郷従道」の土地(西郷山公園)をゆずられ、とても裕福な生活をしたとのこと。
子供は4人、「芳子」「隆一」「隆次」「正二」
午次郎の孫娘「伊津子」が、薩摩藩主だった「島津家」の当主「修久(島津久光の玄孫)」と結婚。
あとで解説しますが、伊津子と修久の息子「島津忠裕(ただひろ)」さんは、「島津興業」と「島津リテールサービス」の社長さんです。
西郷酉三
西郷隆盛と西郷糸子の末っ子(第5子)。
1903年(明治34年)10月21日、死去。享年30歳。
死因は「肺結核」。
結婚することなく亡くなったため、子供はいません。
家系図を、画像付きでくわしくご紹介!
あとで詳しく解説いたしますが、西郷さんの子孫たちをざっと解説いたします。
現代まで続く血縁としては、、西郷隆盛・糸子の子「寅太郎」が、競馬騎手「武豊」の遠縁。
「寅太郎」の息子「西郷吉之助」は、佐藤栄作内閣で法務大臣を務めた、自由民主党参議院議員。
しかし「西郷吉之助」は問題を起こしたので、自民党を離党。
さらに、長男「菊次郎」の孫は、陶芸家「西郷隆文」で、平成の現代も活躍なさっておられます。
以下に最も詳細な「西郷隆盛」の家系図をご用意いたしました。
見えにくいかもしれませんが、何卒お許しくださいませ
コチラの家系図には名前が登場しませんが、西郷隆盛の5代目直系の子孫に「西郷隆太郎」さんという方がおられます。
「西郷隆太郎」さんは、西郷隆盛の息子「寅太郎」の孫「西郷吉太郎」さんの息子です。
この記事の一番下に、「西郷隆太郎」さんのお顔が確認できる動画への「リンク」をご用意致しております。
西郷隆盛の子孫は、現在「カフェ経営」
現在、鹿児島市には、「西郷隆盛の子孫が経営するカフェ」があるとの噂です。
「西郷隆盛展望ホール K10カフェ」
住所は「鹿児島県鹿児島市城山町2-30 二之丸ビル5F」
10~18時まで営業。
経営しているのは、西郷隆盛との三番目の妻「糸子」の息子「寅太郎」の孫に当たる「西郷隆夫」さん。(西郷隆盛のひ孫)
店長は、西郷隆盛の妻「糸子」の父の末裔で、元自衛官「若松宏」さん
また、このカフェに協力している人として、西郷隆盛の息子「菊次郎」の孫で陶芸家の「西郷隆文」さん。隆文さんの弟「等」さんも陶芸を手伝っておられます。
西郷隆盛の弟・西郷従道の末裔で画家の「山内大童」さんも、カフェで西郷隆盛の「エピソードや秘話」を語ってくれるとのことです。
タレント女医「友利新」さんの夫が、西郷隆盛の子孫
タレント女医「友利新(ともり あらた)」さん
彼女のご主人が、どうやら「西郷隆盛」の末裔だそうですよ。
ご主人の名前は定かではありませんが、どうやら企業経営をなさっておられるみたいです。
とはいえ、西郷隆盛の直系というわけではなく、西郷さんの弟が出自・・・・。
西郷隆盛の弟といえば「吉二郎」「従道」「小兵衛」と3名いますが・・・海軍大臣・西郷従道かもしれません。
ご主人様の母方の家が「西郷家」らしいので、苗字は「西郷」ではない可能性が高いです。
友利新さんは、先日お子さんを出産したので、この子も「西郷隆盛」の子孫ということになります。
140年前の偉人、「西郷隆盛」・・・その血筋は、各方面で活躍なさっておられるのですね
その他の子孫、遠縁たち
孫「西郷隆輝」さん
「隆輝」は、西郷隆盛の孫に当たります。西郷隆盛の息子「寅太郎」の次男。
寅太郎の長男「隆幸」とが若いうちになくなったため、父「寅太郎」がスペイン風邪で亡くなると、次男「隆輝」が西郷家を継ぎ、「侯爵」の爵位を継承することになりました。
しかしその直後に、父の後を追うように「隆輝」も20歳の若さで亡くなってしまいます。
この「隆輝」さんの弟「吉之助」さんは、法務大臣となっています。
孫「西郷吉之助」
西郷隆盛の息子・寅太郎の三男「西郷吉之助」。西郷隆輝さんの弟。西郷隆盛の孫に当たる人物です。
東北帝国大学を卒業後、銀行員として務めています。
その後、戦前戦後に渡り「貴族院議員」を務め、戦後は「参議院議員」として活躍。
第二次佐藤栄作内閣で「法務大臣」に就任。
しかし、癒着が原因で、自民党を離党する羽目になり、失脚。
その後、1997年10月12日に死去。
「西郷隆盛」に似て、かなり大柄な体格だったと言われています。
「吉之助」さんの息子は、4代目「吉太郎」さん。その「吉太郎」さんの息子で「吉之助」の孫が、西郷隆盛から5代目に当たる「隆太郎」さんです。
ひ孫「西郷吉太郎」
「西郷吉太郎」さんは、法務大臣「西郷吉之助」の息子。
西郷隆盛のひ孫に当たる人物。会社員をなさっておられたとのことですね。
直系5代目「隆太郎」さんのお父上です。
ひ孫「西郷隆文」さん
西郷菊次郎の孫。つまり西郷隆盛のひ孫が、この「西郷隆文」さん。
現在は鹿児島県で「日置南洲窯」を経営する「陶芸家」として活躍なさっておられます。
「隆文」さんの弟「西郷等」さんも、一緒に陶芸を手伝っているみたいです。
ちなみに「隆文」さんは、鹿児島県出身ではなく、奈良県出身です。
玄孫「西郷隆太郎」さん
1983年生まれ。西郷隆盛本家直系の5代目(玄孫)
西郷吉太郎さんの息子さんです。つまり法務大臣「西郷吉之助」の孫。
2018年12月に行われた「西郷隆盛生誕191年・上野公園銅像建立120年」を祝うイベントに参加していました。
遠縁・競馬騎手「武豊」と「武幸四郎」兄弟
「武豊」さんと、その弟「武幸四郎」さんも、西郷隆盛の遠縁だと言われています。
二人の「ひいおじいさん」の兄弟に「園田実徳」という人がいます(北海道銀行の創始者)
この園田実徳の娘「ノブ」さんが、西郷隆盛の息子「寅太郎」と結婚しているのです。
武豊・武幸四郎兄弟に、西郷さんの血は流れていませんが、遠縁ということになるのです。
ちなみに「ノブ」さんは、浪費家だったことが原因で、実家に戻されています。
西郷従道の末裔「大藤圭子」さん
大藤圭子さんは、西郷隆盛の弟・海軍大臣「西郷従道」の子孫。
東京音楽大学を卒業後、「チェロの演奏者」や「ベリーダンサー」として活躍なさっておられます。
従道の玄孫「西郷真悠子」さん
大河ドラマ「西郷どん」に、西郷従道の娘「桜子」役で出演しているのが、この「西郷真悠子」さん。西郷従道の玄孫(孫の孫)です。
日本大学演劇学科出身の女優さん。
まだ若い女優さんですので、今後の活躍に注目です。
隆盛のひ孫「島津忠裕」さん
薩摩藩主の「島津家」当主「島津忠裕(ただひろ)」さん。(昭和47年生まれ)
「島津興業」と「島津リテールサービス」という企業の社長さんです。
西郷隆盛の玄孫であり、同時に薩摩藩国父「島津久光」の玄孫でもあります。
西郷午次郎さんの孫「伊津子」さんが、島津家当主「島津修久」さんと結婚。(修久さんは2018年、80歳で他界)
また、島津忠裕さんは、元内閣総理大臣「近衛文麿」の子孫にも当たられます。ということは、近衛文麿の先祖であり西郷隆盛を支援した公家「近衛忠煕(天璋院篤姫の養父)」の末裔でもあるということです。
超一流の血筋を持つお方ということですね。
まとめ
本日の記事をまとめますと
- 西郷隆盛、子孫には元法務大臣「西郷吉之助」、遠縁に「武豊」がいる
- 鹿児島市に、西郷の子孫が経営するカフェがある
- タレント女医「友利新」さんのご主人が、西郷の弟の末裔らしい
以上となります。
本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。
よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。
ありがとうございました
「西郷隆盛」関連記事
よろしければ以下のリンク記事も、お役立てくださいませ。
これらの記事でも「西郷隆盛」の「逸話」や「功績」を簡単に理解できるように、極めてわかりやすく解説させていただいております。
「西郷隆盛」の記事一覧
「西郷隆盛」の関係者 記事一覧
コメント