戊辰戦争は鳥羽伏見の戦いを皮切りに、戦線は北上してゆきました。
そして、官軍は江戸に迫り、江戸総攻撃の予定が一転江戸城無血開城となりました。
なぜ無血開城が実現したのでしょう。
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この記事を短く言うと
西郷・勝の会談で話し合われたこととは?
幕臣の山岡鉄太郎(鉄舟)と西郷隆盛との下交渉を経て、幕府側の最高責任者である会計総裁・大久保一翁、陸軍総裁・勝海舟と、大総督府下参謀・西郷隆盛との江戸開城交渉は、田町(東京都港区)の薩摩藩江戸藩邸において、1868年3月13日・14日の2回行われました。
第一回交渉(3月13日)
静寛院宮(和宮)の処遇問題と、以前山岡に提示された「徳川慶喜の降伏条件」の確認のみで、突っ込んだ話は行われず、若干の質問・応答のみで終了となりました。
第二回交渉(3月14日)
3月14日の第二回交渉では、勝から先般の降伏条件に対する回答が提示されました。
(1)徳川慶喜は故郷の水戸で謹慎する。
(2)慶喜を助けた諸侯は寛典(寛大な処分)に処して、命に関わる処分者は出さない。
(3)武器・軍艦はまとめておき、寛典の処分が下された後に差し渡す。
(4)城内居住の者は、城外に移って謹慎する。
(5)江戸城を明け渡しの手続きを終えた後は即刻田安家へ返却を願う。
(6)暴発の士民鎮定の件は可能な限り努力する。
これは、以前に西郷から山岡に提示された条件に対する全くの骨抜き回答であり、事実上拒否したに等しいと言えます。
しかし、西郷は勝・大久保を信頼し、翌日の江戸城進撃を中止。
自らの責任で回答を京都へ持ち帰って検討することを約したのです。
ここに、江戸城無血明け渡しが決定されました。
そして、西郷は江戸城総攻撃中止命令を出したのです。
西郷・勝の会談は、何がそんなにすごいのか?
「王政復古の大号令」を経て、「鳥羽伏見の戦い」で敗れた後、徳川慶喜は江戸に帰り、徳川家の菩提寺である上野・寛永寺で謹慎し恭順の意を表明していました。
しかし、当初新政府軍の参謀である西郷隆盛は、慶喜には切腹させ、徳川家を殲滅しないと新政府による新しい政治はできないと信じていたのです。
ですので、3月15日は江戸城総攻撃と、固く決めていました。
西郷と勝の談判が決裂したとしたら、新政府軍により江戸城総攻撃となったに違いありません。
もしそうなっていたら、当時世界最大規模と言われた江戸の町は火の海となり、100万人の江戸の住民の多くは焼け死に、家を失なっていました。
西郷・勝が成し遂げた江戸城無血開城により、江戸の町と多くの江戸の住民を救ったのです。
無血開城が実現した結果、どうなったのか?
徳川家のお膝元である江戸が新政府に降伏したことで、日本の政治が江戸幕府から新政府に移った象徴ともいえる事件でした。
旧幕臣であるジャーナリスト福地桜痴が著書『幕府衰亡論』で江戸幕府の滅亡を江戸開城の時としているのは、そのインパクトの大きさを物語っています。
江戸が無傷で新政府の手に入った結果、日本の首都が江戸=東京となり、新国家建設に大きな役割を果たしたのです。
余談ですが、新政府の大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允はじめ維新の功臣は大坂(現在の大阪)遷都案をもっていました。
かつて織田信長、豊臣秀吉が目を付け、日本列島の中心にあり、瀬戸内海の水運が便利だったからです。ところが、新政府には金がありません。
大坂に遷都するには宮廷、役所、邸宅、学校等みんな新築となり、とてつもない金がかかってしまいます。
ところが、江戸にはそれらが全て整っていて、実に都合がよい。
そこで、前島密の薦めもあって、大久保は江戸遷都に踏み切ったのです。
もし、江戸が焼け野原になっていたら、現在大阪が日本の首都になっていたかもしれません。
『勝海舟の最期の様子』については、以下のリンク記事で、さらにくわしく解説しております。
まとめ
本日の記事をまとめますと
- 西郷、勝の会談で徳川慶喜の水戸謹慎、諸侯は寛大な処分とする等が取り決められ、江戸城総攻撃は中止となりました。
- 江戸城無血開城は江戸の町と100万人の住民を戦災から救いました。
- 江戸城無血開城により、江戸幕府から新政府へ政権移行が明確になり、日本の首都と定められたのです。
新政府軍としては、革命戦争の象徴として、江戸城を殲滅するつもりでいました。
ところが西郷隆盛の英断により江戸は救われます。
勝海舟が言ったように、西郷はまさしく「江戸の大恩人」であると言えます。
以上です。
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