薩長同盟とは何かわかりやすく解説!同盟締結の場にいた人物は誰?

薩長同盟と聞くと、坂本龍馬が薩摩藩、長州藩を仲介して協力関係を作ったといったイメージがあると思います。

しかし、その目的やそれまでの経緯については、あまり知られていないのではないでしょうか。

この記事では、薩長同盟がどういったものか、この同盟の主要人物達の紹介、同盟の結果として何が起こったのか、その3点を簡単に説明していきたいと思います。


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この記事を短く言うと

・薩長同盟は、元々は幕府による「長州征伐」への対策でしかなかった

・薩長同盟締結の場には「薩摩」「長州」「土佐」の藩士たちが同席した

・「長州征伐」対策のための薩長同盟が、その後、倒幕を成し遂げた


《薩長同盟とは何か?その内容と目的をわかりやすく解説!》

結論から言いますと「薩長同盟」とは、外様大名「毛利家」の「長州藩」と、こちらも外様大名「島津家」の「薩摩藩」による同盟のこと。土佐藩の坂本龍馬が仲介したことで有名な同盟です。

まず、薩長同盟が起こる前の状況からお話していきます。

「薩摩藩」が、幕府の開国路線を支持しつつ幕政改革(公武合体論)を求めたのに対し、「長州藩」は攘夷論を奉じて反幕的姿勢を強めるなど、もともと両藩は協力関係にはありませんでした。つまり両藩は当初、目的を異にする藩だったのです。

薩摩藩は、1863年(文久3年)、1864年(元治元年)にそれぞれ八月十八日の政変禁門の変と呼ばれる事件で、幕府の味方とも言える会津藩と協力し、長州藩を京都から追い出しました。

禁門の変の結果、長州藩は幕府から第一次長州征伐を受けるなど、とても危うい状況に立たされています。

結果として「第一次長州征伐」は、長州藩が責任者であった「三人の家老」を処刑することで幕府に謝罪・・・つまり実質的に長州藩が幕府に「降伏」したことで、戦争にはならずに終了します。(徳川慶喜は、長州藩の領地を減らすべきと主張しましたが、薩摩などの運動により、領地削減は実現しませんでした)


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何故この両藩が同盟を組んだのでしょうか。

幕政改革を主張していた薩摩藩内でも、先に向けた展望を開くことができず、大久保利通西郷隆盛らを中心に、長州藩同様の強硬論が高まっていたという背景がありました。

しかし、薩摩藩だけで倒幕を進めるリスクは大きいため、幕末に影響力を持っていた土佐藩に仲介を頼み、長州藩と協力することにしました。

つまり、薩長同盟とは、薩摩藩が長州藩を秘密裏に支援するという程度の内容であり、当初は「軍事同盟」ではなかったのです。

薩長同盟は、戊辰戦争など、倒幕への布石のように見られがちですが、あくまでも、第一次長州征討の時のように、長州藩の状況が悪くなったら薩摩藩は長州藩を支援するという内容であって、まだ倒幕へ向けて積極的に動き出そうとするレベルのものではありませんでした。

しかし、この薩長同盟を締結したことで、長州藩は薩摩名義で「武器」「軍艦」を次々と導入することに成功。その武器の力や「高杉晋作」「大村益次郎」「山田顕義」などの力によって、15万の幕府軍を「第二次長州征伐(四境戦争・幕長戦争)」で撃破

幕府の権威は大いに失墜することとなり、倒幕へと一気に加速していくこととなります。


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《薩長同盟締結の場にいた人物をご紹介!》

薩長同盟は、1866年(慶応2年)に京都の薩摩藩家老・小松帯刀の邸宅で締結されました。

その際薩摩藩からは、西郷隆盛、小松帯刀、大久保利通、吉井友実、島津伊勢、桂久武、奈良原繁が代表者として参加しました。

一方の長州藩からは、桂小五郎品川弥二郎、三好軍太郎が参加し、両藩の仲介役として、土佐藩の坂本龍馬も参加しています


同盟締結の結果、何が起きたのか?

同盟締結後、幕府による第二次長州征伐が行われましたが、幕府は薩摩藩と協力した長州藩にあっさりと負けてしまいました。

薩摩藩が薩長同盟を結んだため、幕府からの出兵要請を拒否したので、幕府側の兵力は第一次長州征伐より脆弱だったのです。

当初は「長州征伐への対策」だった薩長同盟でしたが、結果的に大政奉還や戊辰戦争など、江戸幕府滅亡に向けて動き出し、明治維新が現実のものとなったのでした。


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《まとめ》

本日の記事をまとめますと

・薩長同盟は長州征伐対策であった。

・薩長同盟は薩摩、長州、土佐の代表が集まって締結された。

・あくまで長州征伐対策であった薩長同盟が、結果的に明治維新に繋がった。

薩長同盟は倒幕のために、念入りに計画された協力関係のように見られがちですが、まだその場しのぎような簡単な関係であったようです。

そして、幕府も第一次長州征伐の時に協力してくれた薩摩藩が、まさか敵側に回るとは思ってなかったかもしれません。

結果的に滅亡の道を歩んでいくとは、少々恐ろしい気がします。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


坂本龍馬」「西郷隆盛」について、よろしければ以下のリンク記事も、お役立てくださいませ。

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