「西郷隆盛」は、刀傷のせいで「刀」が持てない身体だったという説を、わかりやすく解説いたします。
しかし西郷さんは、熱心な「刀」の収集家で、数々の名刀を持っていた。
西郷さんはどのような名刀を持っていたのか?
そしてその刀は、今どこにあるのでしょうか?
刀の名前を「一覧表」でご紹介します。
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西郷隆盛は、刀傷が原因で腕が動かなかった?
江戸城無血開城を成し遂げ、「江戸・徳川幕府」を終わらせた人物。
明治になると、新政府の中心的人物となり、その清廉潔白な人格者ぶりから圧倒的な支持を集めた偉人ですね。
「引用元ウィキペディアより」
そんな西郷隆盛・・・見た目がかなりゴツいので、「坂本龍馬」や「桂小五郎」のような剣の達人をイメージしがちですが・・・実は彼・・・右腕があまり動かなかったせいで剣術は苦手・・。
1839年・・・西郷が11歳の頃、同じ村の仲間が、近所の子供と喧嘩になりそうになったのを仲裁。
刀を抜いた相手に右腕内側の神経を斬られてしまい、刀が握れなくなりました。
剣術を諦めて、相撲と学問に打ち込んだという西郷さん・・・。
人格者ぶりと、その圧倒的な人望で、明治維新を成し遂げたものの、戦闘能力に秀でていた!というエピソードはそれほどありません。
そんな刀が握れなかったはずの西郷さんですが、なんと趣味は「狩猟」と「刀剣収集」・・・。
刀を使えなかったはずなのに、刀集めが趣味だったのです。
名刀をいくつも所持していた!
西尾号さんは刀集めが趣味だったらしく、その所蔵品は「南洲遺愛刀台帳」という書面にまとめて記載されています。
それによると、西郷さんはかなりの数の名刀を所持していたようです。
1,信國
鹿児島市城山にある西郷像で、腰に帯びている「軍刀(サーベル)」が、この「信國」
2,手掻包永(てがいかねなが)
西郷の愛刀で、西南戦争の後、弟・従道によって明治天皇へ献上。
3,来国行
征韓論で政争に敗北し、下野した西郷が知人に贈った愛刀。
4,長篠一文字
長篠の戦いで戦功を上げた「奥平貞昌」に対して、織田信長が与えた名刀
西郷が所持していたが、後に「山縣有朋」の手に渡る
5,志津
西郷が、ある藩主から手に入れた品物
6、小烏丸
三条実美から西郷隆盛に対してプレゼントされた刀
7,兼定(短刀)
西南戦争で、西郷が身につけていた代物
8,雲次
島津斉彬の甥で、久光の息子「島津忠義」から西郷隆盛に与えられた刀
かなりの数の名刀を所持している西郷さん・・・おそらく刀が握れなかったので、刀に強い憧れを抱いていたのではないでしょうか。
余談かもしれませんが、「長篠一文字」の由来である「織田信長」が愛用した名刀一覧については、以下のリンク記事をどうぞ。
西郷の愛刀・今どこにある?
これだけある西郷さんの愛刀・・・・現在はどこにあるのでしょうか?
実は上記名刀のほとんどが、現在「個人所有」となっています。
しかし、「2」の「手掻包永」だけは、「東京国立博物館」に所蔵されているみたいですね。
どうやら西郷は、所有欲がそれほど強くなかったため、刀集めが趣味であるにも関わらず、手に入れた刀を簡単に人に与えてしまう癖があったとのこと。
坂本龍馬にも「陸奥守吉行」という刀を与えた・・・なんて説があるのだとか。
坂本龍馬の「吉行」は、兄から贈ってもらった・・・という説があったはずですが・・・・。
まとめ
本日の記事をまとめますと
・西郷は子供の頃の怪我で右腕で剣を握れなかった
・西郷は多数の名刀を所持していた
・手掻包永は、東京国立博物館に所蔵されている
以上となります。
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