上野公園「西郷隆盛像」のお顔は、実際の西郷さんとは別人だと言われているが、なぜなのか?
妻「糸子」さんが、上野の西郷像に対して「うちの人はこんな人じゃなかった」と叫んだのだとか。
本物の西郷さんと顔が違う理由とは?
有名な西郷さんの写真、弟「従道」と従兄弟「大山巌」の顔を組み合わせたものだった。
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この記事を短く言うと
・上野に設置された「西郷隆盛」像を観て、妻の「西郷いと」さんは「うちの人は、こんなのじゃなかった」と叫んだ
・西郷は写真を嫌っていたため、写真が存在しない
・「いと」さんが「こんなのじゃなかった」と叫んだのは、「顔が似ていない」という意味ではなく、みすぼらしい服装をする人ではなかった、という意味である・・という説がある
西郷隆盛像へ妻「いと」が放った言葉とは?
西郷隆盛
「引用元ウィキペディアより」
その妻「西郷いと」さん
「引用元ウィキペディアより」
1898年12月18日に行われた、西郷隆盛の銅像の除幕式に招かれた西郷夫人「西郷いと」は
「うちの人は、こんなお人じゃなかった」
と言いました。
銅像は、身長370.1cm、胸囲256.7cm、足55.1cmの大きさで写真で、見れば頭が大きく見えるが、像の足元から見れば遠近法でちょうど良く見える、という寸法で作られています。
また、樺山資紀の息子・樺山愛輔や東郷平八郎らは、特徴ある唇がうまく表現できていない、少し太りすぎているなど、外見的な違いを述べています。
しかし「いと」の発言は、そういった外見的な違いでのものではなく、昭和50年代に配られた鹿児島県の教科書には、多くの人間の前に正装ではなく、普段着で出るような礼儀をわきまえない人間ではない、という文脈で解説しています。
外見的な顔が似ていないとかではなく、生活面の現れとしての表現のされ方に違いを感じた、と言われています。
なぜ西郷隆盛の顔がはっきりしないのか?
西郷隆盛は、生涯で一度も写真撮影をしていない、と言われています。
理由としては、幕末から明治初期にかけ、暗殺される可能性があるから、肥満で写真を撮りたくなかったから、単純に写真が嫌いだったから、西南戦争の原因にもなったとも言われる西郷暗殺の噂があり、写真をすべて処分したなどのことが言われています。
明治天皇に提出を要求されても拒否するほど、また写真撮影をした大久保利通に苦言を言うほど写真が嫌いでした。
そのため、死後に描かれた肖像画は、似ていると言われる弟の「西郷従道」やいとこの「大山巌」の顔を参考にしたりするなどしたため、はっきりとした顔が残っていないです。
西郷さんの素顔とは?
西郷隆盛の素顔は写真も残っていない、
肖像画も実物からの肖像画ではなく、似ていると言われる銅像や、似ていると言われる親族をモデルとして描かれています。
そのため、実際の素顔を知ることはできません。
ですが、上野の西郷隆盛像は妻の「いと」は「うちの人はこんなんじゃなかった」と言いましたが、それは外に出る服装などの、身だしなみなどのことであり、顔自体は最も似ている・・と言われています。
まとめ
本日の記事をまとめますと
・上野の西郷隆盛の像を見て、妻の「いと」は「うちの人はこんなんじゃなかった」と発言。
・西郷隆盛は写真が嫌いで、写真を撮っていないため、顔がはっきりしていない
・西郷隆盛像を見て、妻の「いと」がこんな人じゃなかったと言ったが、身だしなみが違うということで、顔は上野の西郷像が最も似ていると言われている
以上となります。
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