西郷隆盛の死因は腫れ物?最期は病気・寄生虫症で皮膚が硬直してた

西郷隆盛の最期とは、どういうものだったのか?

死因は「腫れ物」が原因だった?

最期は、寄生虫症により、皮膚が硬直していたのだとか


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この記事を短く言うと

西郷隆盛は、西南戦争で敗北し、自刃している

・「象皮症」という難病を患っていたらしい

・西郷が尊敬されている理由は、「明治維新の功労者」だから


西郷隆盛の最期・死因は?

西郷隆盛の最期とは、どういうものだったのか?

亡くなったのは「1877年(明治10年)9月24日

享年49歳。

西郷隆盛といえば、最期の士族反乱「西南戦争」において、指導者となった人・・・。

西南戦争の直前、西郷隆盛の親友「大久保利通」は、政府の中枢にいました。

西郷隆盛はというと、政府中枢の盟友たちによる腐敗が気に入らず、鹿児島で「私学校」という学校を作り、後身の育成をしていました。

圧倒的な求心力を持っていた「西郷」を警戒していた大久保利通は、西郷を見張らせていた密偵に対して次のような電報を送りました

「サイゴウヲ シサツセヨ」

シサツ・・・「視察せよ」という意味だったらしいのですが、「刺殺」と読んでしまった密偵・・・。

そしてなぜか、その電報は西郷の周辺の目にも入ることとなったのです。

激怒した西郷の弟子たちは、「シサツ」という言葉の真意を政府に問うために、3万人もの大軍団で鹿児島から北上し熊本へ。

西南戦争の勃発です。

しかし、圧倒的な補給能力を持っていた新政府軍に、西郷軍は敗北。

西郷は、腹部と股に被弾し、「別府晋介」に対して介錯(とどめ)を頼みました。

別府晋介は、西郷の首を切り落としました。

西郷の死因は、自刃・・・。

西郷ほどの男でも、新政府軍には勝てなかったのです。

この西南戦争の終結によって、新政府軍に武力行使で勝利しようという声はなくなりました。

西郷が犠牲となり、最期の反乱を起こすことで、やっと日本・新政府は、国内をまとめることが出来たのです。


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寄生虫症で皮膚が硬直!

西郷隆盛には、非常に厄介な「持病」が2つありました。

「肥満」と「フィラリア」です。

豚肉や甘いものが大好きだった「西郷隆盛」は、かなり太っちょだったようです。

身長は180cm・体重は100kgオーバー

そして「フィラリア」です。

フィラリアと言うのは、寄生虫。

これが原因で「象皮症(ぞうひしょう)」という病気を患っていたみたいです。

「象皮症」というのは、皮膚が硬化し、象の皮膚のようになってしまう病気のこと。

これが原因で、西郷さんは晩年、馬に乗ることもできなかったと言われています。

肥満対策のために、狩猟を好んだという西郷。そのため猟犬を大切にしていたらしいですが・・・。

西南戦争の時、主に移動は「駕籠」を利用していたみたいです。

この象皮症が原因で、全く歩くことが出来なくなった人もいるようです。

西郷は、一時期「奄美大島」へ流罪になっていたことがありましたが、どうやらそこの劣悪な環境が、フィラリアへ感染した原因だったみたいです。


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そもそも西郷隆盛は、何をやった人なのか?

どうして西郷隆盛は、後世において「偉い」と言われているのか?

何を成し遂げた人なのか?

そもそも西郷隆盛さんは、人格者だったため、周囲から尊敬を集めていました。

そのため、たくさんの人を率いることが出来たのです。

その「人気」によって、「薩長同盟の締結」や、大政奉還の後の「王政復古の大号令」を主導し、さらに戊辰戦争に「指導者」として参戦。

何よりも、徳川幕府・勝海舟と会談し、「江戸城無血開城」を成し遂げ、江戸を戦火から守りました。

新政府でも、参議として活躍し、陸軍大将も務めて、明治政府に貢献・・・。

新政府において「征韓論」・・・朝鮮半島への出兵を主張しますが、大久保利通らの反対にあって断念し、下野・・・これが「明治六年の政変」

この後、鹿児島に戻って「私学校」を作り、後進育成をしていたのですが・・・・この生徒たちに祭り上げられて「西南戦争」を戦うこととなってしまったのです。

西南戦争に敗北し、西郷隆盛は自刃し亡くなります。

反乱の首謀者でありましたが、死後に名誉を回復されて、現在でも上野公園に銅像がたてられるほど、尊敬を集めています。

つまり、西郷は「明治維新の功臣」というわけです。


西郷隆盛の子孫」については、以下のリンク記事で、詳しく解説させていただいております。

↓↓↓↓↓

「西郷隆盛の家系図を調査!子孫はカフェ経営やタレント女医の夫に?」の記事はコチラ

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まとめ

本日の記事をまとめますと

・西郷の死因は自刃。西南戦争で自害した

・西郷は「象皮症」という病気にかかって、足が硬直していたらしい

・西郷は、明治維新の功臣であり、反乱戦争を起こしはしたが、死後20年足らずで名誉回復されている

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


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