近代日本のスタートとなった「明治維新(めいじいしん)」。
明治維新は、いつ起こったのか?
「明治維新」とは、どういう意味なのか?
その「明治維新」について、分かりやすく解説したいと思います。
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この記事を短く言うと
・明治維新とは、「徳川幕府」を倒し、日本を1つにまとめあげ、「近代国家とする」改革や政策のこと
《明治維新とは?簡単に解説!》
明治維新とは明治時代初期に行われた大改革のことです。
「ひとこと」で言ってしまうと明治維新とは「革命」です。
それまで日本を統治していた「江戸幕府」が西郷隆盛率いる新政府軍によって倒され、新しく「明治新政府」が誕生したことを「明治維新」と呼ぶのです。
江戸時代までの日本は「封建社会」でした。
武士である大名がそれぞれ土地(=藩と呼びます。)に割拠し、その藩の中で、世襲の大名・家臣が藩の住民を統治する社会のことです。
大名・家臣は非生産者ですが、生産者である農民を身分的に支配しており、経済は貨幣でなく「お米」中心でした。
その大名の最大の者が徳川家であり、徳川家はその武力をもって、各大名を統制してきました。
ただ、徳川家は大名統制はしていましたが、各領地内の事までは支配権はおよばず、日本は大小300ほどの藩の集合体だったわけです。
幕末の黒船来航以来、日本は外国からの侵略に対して、非常な危機感をもちました。
外国からの危機を跳ね返すには、日本も欧米並みの近代化をしなければならない。
しかし、日本の政治形態が細かく分割され、土地に執着していては、とても無理であると一、部の開明家は考えたわけです。
そこで、討幕(江戸幕府を倒す)をし、日本をひとつにしようと考えました。
戊辰戦争を経て討幕は成り、明治新政府が樹立。
日本史の中で初めて強力な中央集権国家が誕生したのです。
最高行政機関である太政官により、明治新政府は次々と政策を打ち出します。
版籍奉還、廃藩置県、学制改革、地租改正、徴兵令、太陽暦の採用、司法制度の整備、断髪令、徴兵令、四民平等、廃刀令…。
これまでの武士による封建社会を根こそぎ変えるものでした。
富国強兵・殖産興業のスローガンの下、政府主導の産業育成も始まります。
今や世界遺産である富岡製糸場もそのひとつです。
そして、次第に新時代「明治」の雰囲気が醸成されていき
- 人力車や馬車の普及
- 鉄道の開通
- シルクハット・燕尾服・革靴・こうもり傘などの洋装やザンギリ頭
- パン・牛乳・牛鍋・ビールなど洋食の流行
- ガス灯の設置や煉瓦造りの西洋建築
などがみられるようになっていきます。
《明治維新は、いつ起こったの?》
開始時期については諸説ありますが、狭義では明治改元に当たる「明治元年旧9月8日(1868年10月23日)」となります。
しかし、一般的にはその前年にあたる「慶応3年(1867年)の大政奉還、王政復古以降の改革」を指すことが多いようです。
終了時期については、廃藩置県の断行(明治4年、1872年)、西南戦争の終結(明治10年、1877年)、内閣制度の発足(明治18年、1885年)、立憲体制の確立(明治22年、1889年)までとするなど、諸説あります。
《坂本龍馬は何をしたの?》
前述の通り、日本をひとつにするため討幕は必要であると、開明家は思っていました。
しかし、討幕後に具体的にどのような政治体制にすればよいかを、はっきり思い描いていた人はいませんでした。
そんな中で、坂本龍馬だけは新しい政治体制を思い描いていました。
1867年、龍馬は上京する途中の船中にて、同乗した土佐藩参政(藩行政の最高責任者)後藤象二郎に8カ条の新しい国家構想を示します。
それは政権を幕府から朝廷に奉還し、朝廷(天皇)のもとに、大名および新たに登用された人材(議員)によって様々な事を公の議論により決め、開国、法律制定、軍事力設置、貨幣統一などによって国家の体制を整えようとしたものでした。
龍馬の船中八策は当時としては画期的なものでした。
その後、後藤象二郎は将軍徳川慶喜に建白(政府や上役などに自分の意見を申し立てること)し、政権を幕府から朝廷に奉還(大政奉還)することとなります。
その結果成立した明治維新政府は、この船中八策の内容を受け継いだ「五箇条の御誓文」を発布します。
「五箇条の御誓文」は明治天皇が天地神明に誓約する形式で、公卿や諸侯などに示した明治政府の基本方針です。
坂本龍馬は明治新政府の方向性を指し示したと言えます。
《まとめ》
本日の記事をまとめますと
・明治維新とは封建社会だった日本をひとつの国家にし、近代国家となるための政策を打ち出したことです。
・明治維新の開始時期には諸説あります。一般的には慶応3年(1867年)の大政奉還、王政復古以降の改革を指すことが多いようです。
・坂本龍馬は明治新政府の基本方針である、「五箇条の御誓文」の基となる船中八策を起草しました。
封建社会のままであれば、日本は外国に侵略されていた、という仮定はありえると思います。
明治維新は当時の社会を抜本的に変えてしまいました。現在の日本があるのは明治維新のおかげと言えます。
以上です。
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