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藤原道長の子孫は現在だれ?家系図と総理大臣・有名人との意外な関係

平安時代中期、貴族社会の頂点に君臨し「この世をば わが世とぞ思ふ」と詠んだ藤原道長。大河ドラマ『光る君へ』などでその生涯が注目されるたびに、「あれほどの権力を誇った道長の血筋は、現代の日本にも続いているのだろうか?」と疑問を抱く方は少なくありません。

結論から申し上げますと、藤原道長の子孫は千年の時を超えて脈々と続いています。それどころか、現在の皇室や歴代の総理大臣、そして意外な有名人の中にまで、その血脈は確実に受け継がれているのです。道長が築き上げた繁栄の礎は、私たちが想像する以上に深く、現代日本の深層に根を張っています。

この記事では、複雑に入り組んだ家系図をわかりやすく紐解きながら、現代に生きる「藤原道長の正統なる後継者」たちの姿を明らかにします。教科書には載っていない驚きの血縁関係や、一族にまつわる遺伝の真実まで、歴史ミステリーの旅へご案内しましょう。

信長さん

この世は私のためにあるのだ!と歌った藤原道長ですが、その子孫が今も続いているなんて本当なのでしょうか?筆者にはちょっと信じられない気がします。教科書にも載っているような有名人と、本当に血が繋がったお方が、現代を生きているのでしょうか?その証拠はあるのか?なんて、思ってしまうのですよ。と思っていたら、筆者も藤原氏の末裔でしたw道長さんの子孫ではありませんが、道長さんと同じ、藤原鎌足(中臣鎌足)の子孫なのだとか・・。まぁ、DNAが本当に一致しているかどうかは、筆者も確信が持てていないですけどね。

この記事のポイント
  • 現在の皇室や今上天皇陛下も藤原道長の直系子孫である歴史的事実
  • 近衛文麿や細川護熙など歴代総理大臣と道長の知られざる関係
  • 「佐藤」「伊藤」などの苗字と道長との正しいつながりとルーツ
  • 道長の死因となった病と子孫に受け継がれた遺伝体質の真実

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目次

藤原道長の「現在の子孫」は誰?皇室や名家に繋がる驚きの系譜

まずは、藤原道長の子孫たちが現在どのような地位にあるのか、その全体像を整理してみましょう。道長の血脈は、大きく分けて「皇室」「公家(五摂家)」「武家」の3つのルートで現代に繋がっています。

系統藤原道長との関係性現代への影響
皇室(天皇家)直系の女系子孫(道長の娘たちが国母となったため)今上天皇陛下へ直結
五摂家直系の男系子孫(近衛・九条・二条・一条・鷹司)旧華族・名家として存続
徳川家・武家婚姻関係により血が混ざっている可能性が高い御三家などの末裔に継承

今上天皇陛下も道長の直系子孫!千年の時を超える血の繋がり

藤原道長
引用元「Wikipediaコモンズ」より

驚かれるかもしれませんが、今上天皇陛下は、紛れもなく藤原道長の直系子孫にあたられます。これは単なる比喩や伝説ではなく、系譜学的に証明されている事実です。

平安時代、道長は自身の権力を盤石にするため、「一家三后(いっかさんごう)」と呼ばれる前代未聞の偉業を成し遂げました。長女の彰子(しょうし)、次女の妍子(けんし)、四女の威子(いし)を次々と天皇の后(きさき)にしたのです。さらに六女の嬉子(きし)も東宮妃となりました。

彼女たちが産んだ皇子たちは次代の天皇として即位し、その血統は脈々と受け継がれていきました。しかし、道長との繋がりは平安時代だけのことではありません。時代が大きく下った近代においても、決定的な「血の再結合」が行われています。

大正天皇の皇后であられる貞明皇后(ていめいこうごう/旧名:九条節子さま)は、藤原道長の直系である「九条家」のご出身です。つまり、昭和天皇、上皇陛下、そして今上天皇陛下には、母方を通じても極めて濃厚な藤原道長の血が流れているということになります。

貞明皇后
引用元「Wikipediaコモンズ」より

宮内庁が公開している皇室の系図を見ても、歴代の皇后や妃に多くの藤原氏出身者が名を連ねていることがわかります。道長が望月の歌で誇った栄華は、日本の象徴である皇室の中に遺伝子を残すという形で、現代においても輝き続けているのです。

「五摂家」を知っていますか?道長の血を引く公家たちの現在

歴史の授業で「摂関政治」や「五摂家(ごせっけ)」という言葉を習った記憶があるでしょう。この五摂家こそが、藤原道長の正統なる後継者たちであり、現代まで続く名家中の名家です。

道長の長男・頼通(よりみち)の子孫たちは、鎌倉時代にかけて家系が分立し、以下の5つの家が成立しました。これらはすべて、道長の血を引く男系の子孫です。

  • 近衛(このえ)家:五摂家筆頭。京都の陽明文庫に多くの国宝を伝来。
  • 九条(くじょう)家:近衛家に次ぐ格式を持ち、多くの后妃を輩出。
  • 二条(にじょう)家:九条家から分立。
  • 一条(いちじょう)家:九条家から分立。
  • 鷹司(たかつかさ)家:近衛家から分立。

これらの家は、明治維新まで代々の天皇を補佐する「摂政」「関白」の職を独占的に務めてきました。そして現在でも、その家系は絶えることなく続いています。

例えば、旧公爵近衛家の現当主である近衛忠煇(ただてる)氏は、長きにわたり日本赤十字社の社長を務めるなど、社会福祉の分野で国際的に活躍されています。彼らは現代においても「ノブレス・オブリージュ(高貴なる者の義務)」を体現するかのように、文化や社会への貢献を続けているのです。


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徳川家康や豊臣秀吉も?戦国武将たちと藤原氏の意外な関係

公家だけでなく、武士の世界においても藤原氏の影響力は絶大でした。戦国時代の覇者たちの中にも、藤原氏の血を引く、あるいは藤原氏を名乗った人物が存在します。

最も有名な例は、天下人・豊臣秀吉でしょう。農民出身とされる秀吉は、関白(天皇の補佐役)の位に就くために、なんと五摂家の筆頭である近衛家の養子となり、「藤原秀吉」と名乗った時期がありました。これは血縁関係こそありませんが、当時においても「権力の頂点に立つには藤原氏のブランドが必要だった」ことを如実に物語っています。

三英傑
引用元「Wikipediaコモンズ」より

また、江戸幕府を開いた徳川将軍家も、代々五摂家の娘を正室(御台所)として迎えることが慣例となっていました。これにより、徳川家の歴代将軍たちの中にも、母方を通じて藤原道長の血が入り込んでいます。武力で国を治める武士たちにとっても、千年の歴史を持つ藤原氏の血統は、支配の正当性を高めるために不可欠な要素だったのです。

さらに、織田信長も、当初は藤原氏を名乗っていたのです。その後、平清盛の子孫であることを主張し始め、平氏を名乗るようになったのです。つまり三英傑は、全員が藤原氏を名乗り、その血と縁を結ぼうとしたのでした。

信長さん

ちなみに、同じ藤原北家の流れを汲む一族として「藤原道兼(道長の次兄)」の子孫たちもいます。藤原道兼の子孫は、宇都宮氏と呼ばれて北関東を支配。南北朝時代には、あの名将・楠木正成すら恐れて勝負を避けたといわれるほど宇都宮氏は猛将ぞろいだったとか。「藤原道隆(道長の長兄)」の子孫は、菊池一族と呼ばれ、なんと西郷隆盛も道隆の子孫なのだといいます。西郷隆盛の隆の字は、道隆の隆の字が引き継がれたのだといわれています。


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歴史を動かした「総理大臣」たちも道長の子孫だった

藤原道長の血脈は、現代の政治の中枢にも深く関わっています。日本の舵取りを担った歴代総理大臣の中には、驚くべきことに道長の直系子孫や、その縁戚にあたる人物が複数存在します。

総理大臣藤原道長との関係特徴・備考
近衛文麿直系子孫(第30代当主)五摂家筆頭、公爵。昭和の国民的宰相。
細川護熙母方が近衛家(道長の血)肥後細川家第18代当主。殿様総理。
麻生太郎親戚関係(妹が皇室へ)華麗なる閨閥の一員。吉田茂の孫。

近衛文麿:道長の直系にして、昭和の激動を率いた総理大臣

近衛文麿(右下の人物)
引用元「Wikipediaコモンズ」より

昭和初期、国民的な人気を背景に三度も総理大臣を務めた近衛文麿(このえ ふみまろ)。彼はまさに、藤原道長の直系中の直系、五摂家筆頭・近衛家の第30代当主でした。

身長180cmを超える長身と、育ちの良さを感じさせる貴公子然としたルックスで、当時はアイドル並みの人気を博しました。しかし、彼が支持された最大の理由は、その容姿だけではありません。「藤原鎌足、道長と続く名門の末裔がついに国政のトップに立つ」という事実に、国民が一種の夢や希望を託したからに他なりません。

彼が政治の中枢に立ったことは、平安時代の摂関政治が形を変えて昭和の世に蘇った瞬間だったとも言えます。結果として日本は戦争への道を歩むことになりましたが、道長の子孫が現代史の重要な局面で決定的な役割を果たしていた事実は、記憶にとどめるべきでしょう。


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細川護熙:戦国大名と藤原氏の血を引く元総理

細川護煕とクリントン(1993年APEC)
引用元「Wikipediaコモンズ」より

第79代内閣総理大臣を務めた細川護熙(ほそかわ もりひろ)氏もまた、道長の濃厚な血を引く一人です。彼は肥後熊本藩主・細川家の第18代当主として有名ですが、実は母方の祖父が先述の近衛文麿なのです。

つまり細川氏は、父方からは清和源氏(足利氏支流)の武家の血を、母方からは藤原北家(道長流)の公家の血を引いており、まさに源氏と藤原氏という日本の二大貴種のハイブリッドと言える存在です。

総理大臣在任時の、ある種浮世離れした気品や、政権をあっさりと投げ出した際の「殿様」と揶揄された振る舞いは、祖父・文麿の気質、ひいては雅を愛した平安貴族の美学(エステティズム)を受け継いだものだったのかもしれません。

細川護熙氏の祖先には、明智光秀の娘である「細川ガラシャ」もいます。彼女の数奇な運命と子孫については、以下の記事で詳しく解説しています。

明智光秀の娘「細川ガラシャ」について解説!

麻生太郎:華麗なる一族に見る道長との意外な接点

麻生太郎
引用元「Wikipediaコモンズ」より

第92代内閣総理大臣・麻生太郎氏も、この華麗なる一族のネットワークの中に位置しています。麻生氏の母方は、明治の元勲・大久保利通から牧野伸顕、そして吉田茂元首相へと続く名門の系譜です。

麻生氏自身が道長の直系子孫であると断定するのは系譜学的に複雑ですが、彼の妹である信子さまが寛仁親王(ともひとしんのう)に嫁がれているという事実は重要です。これにより、麻生家は皇室を通じて藤原氏の系譜と深く結びついていると言えます。

日本の政財界、いわゆる「エスタブリッシュメント」の家系図を広げると、そこには驚くほど密接な婚姻関係の網の目があり、その中心に近い部分には常に「藤原氏」の影が見え隠れしています。道長が千年前に行った「娘を嫁がせて親戚になる」という手法は、形を変えて現代の上流階級でも生き続けているのかもしれません。


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【要注意】芸能界や有名人の「藤原氏」の噂、その真偽を検証

クリス・ペプラーさんは明智光秀の末裔だが「源氏」である理由

テレビやラジオで活躍するナビゲーターのクリス・ペプラーさんが、戦国武将・明智光秀の末裔であることは非常に有名な話です。しかし、ここで歴史好きの方ほど混乱しやすいポイントがあります。「明智光秀の子孫なら、名門だし藤原氏とも関係があるのでは?」という疑問です。

結論から言うと、明智光秀は藤原氏ではなく「源氏(清和源氏)」の系統です。明智氏は、美濃国の守護大名であった土岐(とき)氏の支流とされており、土岐氏は源氏の名門です。したがって、藤原道長の家系図とは全く別の流れになります。

インターネット上では「歴史上の有名人の子孫=みんな藤原氏に関係している?」と混同されることがありますが、系譜学的には「源氏」と「藤原氏」は明確に区別されます。クリス・ペプラーさんは「源氏の末裔」ということになります。

クリス・ペプラーさんと明智光秀の時を超えた類似点や、光秀にまつわるミステリーについては、こちらの記事でさらに深掘りしています。

明智光秀の肖像画の逸話とは?


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葉加瀬太郎さんも?有名人と「藤原氏」のつながりを探る

世界的ヴァイオリニストの葉加瀬太郎さんも、その公家のような気品ある風貌や「葉加瀬」という珍しい名前から、「藤原氏の末裔ではないか?」とネット上で噂されることがあります。

しかし、現時点で彼が藤原道長の直系子孫であるという確かな公的資料や家系図は確認されていません。これはあくまでファンの間での「イメージ」や都市伝説の域を出ない話と言えるでしょう。

芸能界には「伊達みきお(サンドウィッチマン/伊達政宗の子孫)」や「武豊(騎手/薩摩藩士・西郷隆盛の遠縁とも言われる)」のように、歴史上の人物の子孫が多く活躍しています。しかし、藤原道長の直系となると、やはり旧華族や皇室関連の方々に限られてくるのが実情のようです。

現代に息づく「藤原」のDNAとは

特定の有名人が直系子孫であると断定するのは難しい場合が多いですが、視点を変えてみましょう。道長が生きたのは今から1000年以上も前です。

統計学的に見れば、1000年という歳月の中で世代交代が進むにつれ、子孫の数はねずみ算式に増えていきます。国立遺伝学研究所などの研究によると、日本人の遺伝的背景は非常に均質であり、遠い過去に遡れば多くの人が共通の祖先に行き着くとされています。(出典:国立遺伝学研究所の研究成果より

つまり、現代日本人の多くが、どこかで薄く広く藤原道長の血を引いている可能性は十分にあります。彼らが残した文化、美意識、そして遺伝子は、形を変えて現代の私たちの中に確実に息づいていると言えるでしょう。


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【家系図解説】なぜ「藤原」という苗字は今の日本に少ないのか?

「佐藤」「伊藤」「斎藤」…あなたの苗字は道長ではなく「武士の藤原」かも

「私は苗字に『藤』がつくから、道長の子孫かも!」と期待された方、少しお待ちください。日本で最も多い苗字の一つである「佐藤」や、「伊藤」「斎藤」「加藤」といった苗字の多くは、藤原道長(北家御堂流)の直系子孫ではなく、「藤原秀郷(ひでさと)」など、地方で武士となった藤原氏(武門の藤原)の末裔であることが大半です。

彼らは、自分のルーツである「藤原」と、役職や地名を組み合わせて新しい苗字を作りました。

  • 伊藤:伊勢国の藤原氏
  • 加藤:加賀国の藤原氏、または加藤景廉(かとうかげかど)に由来
  • 斎藤:斎宮寮(さいぐうりょう)の長官を務めた藤原氏
  • 佐藤:左衛門尉(さえもんのじょう)という役職に就いた藤原氏

これらは広義には同じ「藤原氏」という巨大な一族の枝葉ですが、道長のような公家(貴族)の系統とは別の、武士としての道を歩んだ人々の証です。

信長さん

余談ですけれども、豊臣秀吉の親戚で、賤ヶ岳七本槍のひとりである加藤清正も、藤原氏の子孫であると考えられます


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権力を独占するためのシステム「五摂家」による苗字の変化

では、なぜ本家の「藤原」という苗字が現代の日本には少ないのでしょうか。それは、道長の子孫たちがあまりにも権力を持ちすぎ、一族が増えすぎたため、家を区別する必要に迫られたからです。

鎌倉時代以降、道長の直系子孫たちは、住んでいる場所(京都の通りの名前など)や屋号をとって「近衛」「九条」「鷹司」などと名乗るようになりました。これが先ほど紹介した「五摂家」です。彼らにとって「藤原」とは苗字(名字)ではなく、天皇から賜った「氏(うじ)」という神聖な称号でした。そのため、日常生活では「近衛」などを使い、公式文書でのみ「藤原朝臣(ふじわらのあそん)〇〇」と名乗るという使い分けをしていました。

明治維新と華族令:現代まで続く名家のプライド

明治時代になり、すべての国民が苗字を持つことが義務付けられると、彼らはそのまま「近衛」「九条」などを戸籍上の苗字として登録しました。あえてありふれた「藤原」に戻ることはせず、それぞれの家が数百年にわたり築いてきた歴史とブランド(家名)を選んだのです。

その結果、現代の日本には「藤原道長の直系子孫」は数多く存在するものの、「藤原」という苗字の人はむしろ支流や分家、あるいは明治期に新しく名乗った家系が多いという、一見すると不思議な逆転現象が起きています。


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栄華の裏側:藤原道長の死因と、子孫に残した「呪い」とは?

満月を愛でた権力者を襲った、現代でいう「糖尿病」の恐怖

栄華を極めた藤原道長ですが、その晩年は決して幸せなことばかりではありませんでした。彼を苦しめ、死に至らしめたのは、当時「飲水病(いんすいびょう)」と呼ばれた病気、すなわち現代の「糖尿病」です。

満月
引用元「Wikipediaコモンズ」より

当時の日記『小右記(しょうゆうき)』には、道長が激しい喉の渇きを訴えて水を大量に飲み、視力が急激に低下していく様子が克明に記録されています。これは典型的な糖尿病の症状です。貴族特有の美食や運動不足に加え、熾烈な権力争いによる激しいストレスが発症の引き金になったと考えられています。

最終的に道長は、背中にできた「癰(よう=大きな腫れ物)」が悪化し、高熱と激痛に苦しみながら62歳でこの世を去りました。現代医学の観点から見れば、糖尿病の合併症による易感染性(感染症にかかりやすくなる状態)が原因で敗血症を引き起こした可能性が高いとされています。(出典:国立国際医療研究センター等の一般医学情報より推察

遺伝と体質:子孫たちに受け継がれた健康問題

さらに恐ろしいのは、この病が道長個人の問題にとどまらなかったことです。歴史記録を紐解くと、道長の父・兼家、兄・道隆、そして叔父の伊尹(これただ)も、同様の症状で亡くなっていることがわかります。

藤原氏は、権力を一族の中に留めるために、叔母と甥、従兄妹同士といった濃い血縁関係での結婚(近親婚)を繰り返してきました。これは政治的には有効でしたが、医学的には特定の遺伝的な病気のリスクを高める結果となりました。糖尿病になりやすい体質もまた、栄華の代償として子孫たちに受け継がれてしまった「呪い」のようなものだったのかもしれません。

紫式部も仕えたこの時代の煌びやかさと、その裏にある健康問題については、彼女の子孫についての記事も併せて読むと、より平安時代のリアリティを感じられるでしょう。

信長さん

ちなみに平家物語に登場する平重盛と、その子・維盛は、紫式部の女系子孫なのだそうですよ。清盛の最初の妻が、紫式部の子孫で、重盛を産んだのだそうです。その重盛の子である維盛は、紫式部の子孫であることを、知ってかしらずか、「光源氏の再来」と呼ばれるほどの美男子だったといわれています。富士川の戦い・倶利伽羅峠の戦いで惨敗した維盛は、平家の滅亡を決定付け、絶望して那智の海に入水し亡くなったのでした。

紫式部の子孫は現在も続いているのか?


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まとめ:藤原道長のDNAは、今も日本の中心に生き続けている

  • 現在の皇室および今上天皇陛下は、藤原道長の直系子孫にあたられる
  • 「五摂家(近衛・九条など)」は道長の正統な後継者であり、現在も日本の名家として存続している
  • 近衛文麿、細川護熙、麻生太郎など、近現代の総理大臣にも道長の血を引く人物がいる
  • クリス・ペプラーは明智光秀の子孫だが「源氏」であり、道長(藤原氏)の子孫ではない
  • 「佐藤」「伊藤」などの苗字は、主に武士化した藤原氏(藤原秀郷流など)の末裔である
  • 道長自身は糖尿病(飲水病)に苦しみ、それが一族の遺伝的特徴でもあった
  • 道長の権力基盤であった「外戚政策」の結果、彼の血は千年にわたり日本の支配層に深く組み込まれている

参考文献


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【深掘り】世界記憶遺産『御堂関白記』に見る道長の人間味

藤原道長という人物を語る上で、避けて通れないのが彼自身の日記『御堂関白記(みどうかんぱくき)』です。この日記は、世界最古の自筆日記としてユネスコの「世界記憶遺産」にも登録されている国宝中の国宝ですが、そこに記されている内容は、絶対権力者のイメージを覆すほど人間味に溢れています。

完璧超人ではない?小心者で愚痴っぽい素顔

「この世をば…」と豪語した道長ですが、日記の中では意外なほど繊細で、時には情けない姿さえ晒しています。

例えば、重要な儀式の手順を間違えて焦ったり、ライバルとの出世争いに神経をすり減らして不眠を訴えたり、宮中の人間関係にイライラして愚痴を書き殴ったりしています。また、時には宴会で泥酔してしまい、翌日二日酔いに苦しみながら後悔の念を綴ることもありました。

信長さん

現代の私たちも仕事でミスをしたり、飲みすぎたりしますよね。千年前の最高権力者も同じような悩みを抱えていたと思うと、急に親近感が湧いてきませんか?

この日記が現存していること自体が奇跡的ですが、それ以上に、歴史の教科書には載らない「等身大の道長」の息遣いが感じられることこそが、子孫たちにとって最大の遺産と言えるかもしれません。彼は単なる独裁者ではなく、悩み、恐れ、そして喜びながら生きた一人の人間だったのです。


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【聖地巡礼】京都・宇治に残る藤原道長の面影を歩く

記事を読んで藤原道長やその一族に興味を持たれた方のために、現在も訪れることができるゆかりの地をご紹介します。子孫たちが守り、あるいは再興した場所を巡ることで、平安の雅な空気を肌で感じることができるでしょう。

土御門第跡(つちみかどていあと)

道長が暮らし、あの有名な「望月の歌」が詠まれた邸宅の跡地です。現在は京都御苑の仙洞御所などの敷地の一部になっていますが、案内板でその場所を確認することができます。

かつてここには広大な寝殿造の屋敷があり、天皇の行幸を仰ぎ、豪華絢爛な宴が夜ごと繰り広げられていました。現在は静かな公園となっていますが、満月の夜にこの地を訪れれば、道長が見上げたのと同じ月を見ることができるかもしれません。

宇治・平等院鳳凰堂

平等院鳳凰堂
引用元「Wikipediaコモンズ」より

10円玉のデザインでもおなじみの世界遺産・平等院鳳凰堂。これを建立したのは道長の息子・頼通(よりみち)ですが、元々は道長の別荘「宇治殿」があった場所です。

道長はこの宇治の地をこよなく愛し、晩年の多くをここで過ごしました。目の前に広がる宇治川のせせらぎを聞きながら、極楽浄土に思いを馳せていたのでしょう。藤原氏の栄華が、形として最も美しく、そして完全な状態で残っている貴重な場所です。

廬山寺(ろざんじ)

京都・盧山寺

京都御所の東側に位置する廬山寺は、紫式部の邸宅跡として知られています。ここで『源氏物語』の執筆が行われたとされており、道長もこの屋敷を訪れた可能性があります。

京都・盧山寺

境内には「源氏庭」と呼ばれる美しい庭園があり、紫式部と道長が生きた時代の雰囲気を今に伝えています。道長の娘・彰子に仕えた紫式部の視点から、藤原氏の栄華を追体験できるスポットです。

ちなみに、この廬山寺から歩いて数分のところに、藤原道長が亡くなった法成寺の跡があります

京都・法成寺跡

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よくある質問:藤原道長の子孫について

最後に、藤原道長の子孫に関してよく検索される疑問について、Q&A形式で簡潔にお答えします。

Q1. 藤原道長の子孫で、現在一番有名な人は誰ですか?

A. 今上天皇陛下、および旧公爵近衛家の当主・近衛忠煇氏などが挙げられます。
知名度で言えば、第79代内閣総理大臣を務めた細川護熙氏や、麻生太郎氏(親戚関係)も非常に有名です。芸能界の噂については確証がないものが多いので注意が必要です。

Q2. 「藤原」という苗字の人は、全員道長の子孫ですか?

A. いいえ、そうとは限りません。
現在の「藤原」姓の多くは、明治時代に新しく名乗ったケースや、道長とは別の系統(藤原秀郷流など)の末裔であるケースが含まれます。道長の直系子孫は「近衛」「九条」などの五摂家の苗字を名乗っていることが一般的です。

Q3. 藤原道長の血筋は途絶えてしまった時期があるのですか?

A. いいえ、一度も途絶えていません。
五摂家(近衛・九条・二条・一条・鷹司)を中心に、男系・女系ともに脈々と受け継がれています。特に皇室に入った娘たちの血筋は、現代の皇室に確実に継承されています。

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