幕末・明治の偉人「大久保利通」は、相当な高身長だったが、やせ気味だったのだとか。
また西郷隆盛は、後年に「命の危機」を迎えかねないほどの「肥満体系」となったようです。
「大久保利通」は178cm。
西郷隆盛は、体重100kgを超えていた、と言われています。
この記事では、大久保利通の身長と体重、そして大久保の「威厳」について解説いたします。
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この記事を短く言うと
《大久保利通の身長と体重は?》
幕末は日本人の平均身長が一番低くなった時代でもあり、男性で155cmとかなり小柄だったといわれます。
そんな中で病弱で痩せてはおりましたが、大久保利通の身長は178cmと平均より23cmも高かったとそうです。
彼の親友・西郷隆盛も同じくらいの身長だったという記録があります。
大久保の体重は70kgほどで、この身長の割には痩せ型で、西郷は100㎏を超えていたため、同身長でも見た目にかなりの差があったことでしょう。
幼い頃から病弱で、細身だった!
大久保は持病の下痢や胃の弱さなど、生まれながらに身体が弱く、武芸はあまり得意ではありませんでした。
武士の子でありながらこのコンプレックスに負けぬよう、学問に力を入れ、討論や読書などは彼の右に出る者はいなかったといわれています。
大久保の家は非常に貧しかったため、幼かった大久保は、夕食の際に西郷の家を訪れて食事をしていた・・・という逸話もあるようです。
痩せていたり、病弱だった理由は「栄養失調」だったのかもしれません。
武術は弱かったが、人斬りも恐れる威厳があった!
前述の通り、武家の生まれではありますが、武芸はからっきしだった大久保には、皆が恐れる威厳がありました。
「幕末四大人斬り」として、その名を知られる中村半次郎(桐野利秋)が、大酒を飲んで酔ったあげく、大久保に対し意見しようとしたことがありました。
しかし、大久保に一瞥されただけでその気迫に呑まれ、すぐに引き下がってしまったそうです。
また、「紀尾井坂の変」で斬殺された大久保ですが、複数人による襲撃にも関わらず、持ち前の威厳で『無礼者!』と暗殺犯達を一喝しました。
『大久保利通』について、レビュー(評論)!
大久保利通は、1878年5月14日、「紀尾井坂の変」により暗殺されて亡くなります。
その際、かなりの腕前を持つ暗殺者6名に対し「無礼者!」と一喝。
暗殺した「島田一郎」らは、この声に一時はためらったものの、悲惨なほどの斬撃を加えて大久保利通を暗殺したのでした。
主犯の「島田一郎」以外の暗殺犯5名は、「この人を除くことがお国のためだ」と、島田一郎から洗脳されて暗殺に加担。
全員が後に斬首刑で処刑されています。
しかし実際には大久保利通は、私財をなげうってでも、国のために尽くした清廉潔白の士でした。
島田一郎らの暗殺は、きわめて的外れと言わざるを得ません。
暗殺犯6名の墓は東京・谷中霊園にあり、1889年の大日本帝国憲法発布の大赦で罪を許されています。
大久保利通・・・・幕末明治期最高の大政治家だった人物ですが、とても惜しい人物を失ったものです。
まとめ
本日の記事をまとめますと
- 大久保利通の身長は178cm、体重は70kgと当時の平均を上回っていた。
- 大久保はもともと身体が弱く、武芸は不得意だった。
- 大久保には人斬り・中村半次郎も恐れる威厳があった。
以上となります。
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