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バロン西(西竹一)の子孫と家系図がスゴイ!末裔は皇室の血をひいてた

日本で唯一の「馬術」金メダリスト「西竹一(バロン西)」の「子孫」と「家系図」がひと目でわかる!

愛馬「ウラヌス」とともに「金メダル」を日本にもたらしたオリンピック選手「西竹一」

父は「外務大臣」、子孫は「皇室」につながっていた!

「バロン(男爵)」と呼ばれた一流アスリート「西竹一」の家系図がスゴイ!


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この記事を短く言うと

  1. ロサンゼルスオリンピック金メダリスト「西竹一」の子孫には、伊勢神宮大宮司「小松揮世久(こまつ きよひさ)」さんがいる
  2. 子孫の「小松揮世久」さんは、皇室の血を引く人物でもある
  3. 西竹一の父「西徳二郎」は1898年、ロシアとの間で「西・ローゼン協定」を締結した外務大臣

バロン西(西竹一)の家系図と子孫

バロン西(西竹一)

《西竹一 (バロン西)》
「引用元ウィキペディアより」

この写真は、西竹一と妻「武子」さん、そして二人の子供の写真です。一番右の少年が、西竹一の長男「泰徳」さんだと思われます。2013年の時点で、「泰徳」氏は「硫黄島協会」の会長を務め、遺骨収集にご尽力しておられました。2013年に泰徳氏は「85歳」。

「西竹一」さんは「1932年ロサンゼルス・オリンピック」で「金メダル」を獲得した人物。2019年時点で、日本人として唯一「馬術」という競技で金メダルをとった人物です。

その後は軍人として活躍し、「バロン西」という愛称で親しまれた人物です。ちなみに「バロン」とは「男爵」という意味。これは西竹一氏が「男爵」という爵位についていたために、つけられた愛称です。

以下に、西竹一さんの家系図をご用意いたしました。

《西竹一(バロン西)の家系図》
「家系図の引用などご遠慮くださいませ」

 



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バロン西の子孫は、皇室の血を引くエリート神職!

バロン西の子孫は、伊勢神宮大宮司を務められた「小松揮世久(こまつ きよひさ)」さん。

小松揮世久さんは2017年、伊勢神宮の大宮司に就任されました。

小松さんの「ひいおじいさま」は陸軍大将も務められた「北白川宮能久親王殿下」。「北白川宮能久親王殿下」は「戊辰戦争」の際に「奥羽越列藩同盟」の盟主となって、新政府軍と戦ったお方。能久親王の妻は「坂本龍馬」の主君でもあった土佐藩主「山内容堂」の娘「光子」。

 

西竹一の子孫というわけではありませんが、遠縁には現在「憲法学者」としてテレビやネットで活躍している「竹田恒泰(たけだ つねやす)」さんがおられます。



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バロン西の父・外務大臣「西徳二郎」と「西・ローゼン協定」

西竹一の父親「西徳二郎」さんは薩摩藩出身の武士。「第二次松方正義内閣」と「第三次伊藤博文内閣」で「外務大臣」を歴任した国会議員。

西徳二郎といえば、ロシア行使「ローゼン男爵」と締結した「西・ローゼン協定」が有名です。

「西・ローゼン協定」とは1898年、朝鮮半島での紛争について、日本とロシアの間で締結された協定のこと。

1895年、日本は「清」との「日清戦争」に勝利。それにより「朝鮮半島」への日本の影響力は増大していました。

ロシアは当時の世界最強国「イギリス」に対抗するため、「凍らない港」を求めて朝鮮半島へ進出する気配を見せており、日本はこれを阻止しようと、あの手この手を使っていたのです。

1898年、「西・ローゼン協定」を締結。その内容は主に以下の2つ。

1,両国は韓国政府への政治干渉をしない。

2,韓国政府から頼まれて、軍・財政の支援をする際には、お互いに事前の「承認」を必要とする。

これにより、日本は事実上「朝鮮半島」の支配権を獲得。そのかわりロシアは「満州」の支配を日本に認めさせることとなったのです。

しかし1904年、ロシアと日本との間で「日露戦争」が勃発。「日本海海戦」での「東郷平八郎」の活躍もあり、日本は「ポーツマス条約」を締結し戦争に勝利。



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『バロン西』について「ひとこと」言いたい!

バロン西・・・・紳士的な人物として尊敬を集めている軍人。大東亜戦争「硫黄島」での戦いに参戦し、激闘の末に亡くなった人物です。

その最期については諸説あります。壮絶に戦死したとか、自決したとか。享年42歳。

「バロン西」は、クリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」にも登場しています。俳優「伊原剛志」さんが演じておられましたね。

現在、西竹一大佐は「青山霊園」で眠っておられます。

かなり裕福な家庭で育ったという「西竹一」大佐。その育ちのためか、兵士たちからの人気はかなり高かったと言われています。

オリンピック金メダリストでありながら、日本を守るためにその生命を「硫黄島」で散らした「バロン西」。彼が硫黄島で米軍を食い止めていなかったら、もしかすると日本本土の被害は、より大きなものだったかもしれません。



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まとめ

本日の記事をまとめますと

  1. 西竹一の子孫には、伊勢神宮大宮司「小松揮世久」さんがいる
  2. 「小松揮世久」さんは、「北白川宮能久親王」殿下の「ひ孫」であり、皇室の血を引いている
  3. 西竹一の父・外務大臣「西徳二郎」は、日露戦争前の「西・ローゼン協定」を締結した人物

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました

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