日本で唯一の「馬術」金メダリスト「西竹一(バロン西)」の「子孫」と「家系図」がひと目でわかる!
愛馬「ウラヌス」とともに「金メダル」を日本にもたらしたオリンピック選手「西竹一」
父は「外務大臣」、子孫は「皇室」につながっていた!
「バロン(男爵)」と呼ばれた一流アスリート「西竹一」の家系図がスゴイ!
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この記事を短く言うと
- ロサンゼルスオリンピック金メダリスト「西竹一」の子孫には、伊勢神宮大宮司「小松揮世久(こまつ きよひさ)」さんがいる
- 子孫の「小松揮世久」さんは、皇室の血を引く人物でもある
- 西竹一の父「西徳二郎」は1898年、ロシアとの間で「西・ローゼン協定」を締結した外務大臣
バロン西(西竹一)の家系図と子孫
バロン西(西竹一)
この写真は、西竹一と妻「武子」さん、そして二人の子供の写真です。
一番右の少年が、西竹一の長男「泰徳」さんだと思われます。
2013年の時点で、「泰徳」氏は「硫黄島協会」の会長を務め、遺骨収集にご尽力しておられました。
2013年に泰徳氏は「85歳」です。
「西竹一」さんは「1932年ロサンゼルス・オリンピック」で「金メダル」を獲得したお方です。
2019年時点で、日本人として唯一「馬術」という競技で金メダルをとった人なのです。(追記!2024年7月29日、パリオリンピックにて、日本代表が総合馬術団体でバロン西以来の銅メダルを獲得しました!おめでとうございます!団体としては日本史上初のメダルです!)
その後は軍人として活躍し、「バロン西」という愛称で親しまれた人物です。ちなみに「バロン」とは「男爵」という意味。これは西竹一氏が「男爵」という爵位についていたために、つけられた愛称です。
以下に、西竹一さんの家系図をご用意いたしました。
バロン西の子孫は、皇室の血を引くエリート神職!
バロン西の子孫は、伊勢神宮大宮司を務められた「小松揮世久(こまつ きよひさ)」さんというお方です。
小松揮世久さんは2017年、伊勢神宮の大宮司に就任されました。
小松さんの「ひいおじいさま」は陸軍大将も務められた「北白川宮能久親王殿下」。
「北白川宮能久親王殿下」は「戊辰戦争」の際に「奥羽越列藩同盟」の盟主となって、新政府軍と戦ったお方。
能久親王の妻は「坂本龍馬」の主君でもあった土佐藩主「山内容堂」の娘「光子」。
西竹一の子孫というわけではありませんが、遠縁には現在「憲法学者」としてテレビやネットで活躍している「竹田恒泰(たけだ つねやす)」さんがおられます。
バロン西の父・外務大臣「西徳二郎」と「西・ローゼン協定」
西竹一の父親「西徳二郎」さんは薩摩藩出身の武士。「第二次松方正義内閣」と「第三次伊藤博文内閣」で「外務大臣」を歴任した国会議員です。
西徳二郎といえば、ロシア行使「ローゼン男爵」と締結した「西・ローゼン協定」が有名です。
「西・ローゼン協定」とは1898年、朝鮮半島での紛争について、日本とロシアの間で締結された協定のこと。
1895年、日本は「清」との「日清戦争」に勝利。それにより「朝鮮半島」への日本の影響力は増大していました。
ロシアは当時の世界最強国「イギリス」に対抗するため、「凍らない港」を求めて朝鮮半島へ進出する気配を見せており、日本はこれを阻止しようと、あの手この手を使っていたのです。
1898年、「西・ローゼン協定」を締結。その内容は主に以下の2つ。
1,両国は韓国政府への政治干渉をしない。
2,韓国政府から頼まれて、軍・財政の支援をする際には、お互いに事前の「承認」を必要とする。
これにより、日本は事実上「朝鮮半島」の支配権を獲得。そのかわりロシアは「満州」の支配を日本に認めさせることとなったのです。
しかし1904年、ロシアと日本との間で「日露戦争」が勃発。「日本海海戦」での「東郷平八郎」の活躍もあり、日本は「ポーツマス条約」を締結し戦争に勝利。
『バロン西』について「ひとこと」言いたい!
バロン西・・・・紳士的な人物として尊敬を集めている軍人。
大東亜戦争「硫黄島」での戦いに参戦し、激闘の末に亡くなった人物です。
その最期については諸説あります。壮絶に戦死した、または自決したとされています。享年42歳。
「バロン西」は、クリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」にも登場しています。俳優「伊原剛志」さんが演じておられましたね。
現在、西竹一大佐は「青山霊園」で眠っておられます。
かなり裕福な家庭で育ったという「西竹一」大佐。
その育ちのためか、兵士たちからの人気はかなり高かったと言われています。
オリンピック金メダリストでありながら、日本を守るためにその生命を「硫黄島」で散らした「バロン西」。
彼が硫黄島で米軍を食い止めていなかったら、もしかすると日本本土の被害は、より大きなものだったかもしれません。
まとめ
本日の記事をまとめますと
- 西竹一の子孫には、伊勢神宮大宮司「小松揮世久」さんがいる
- 「小松揮世久」さんは、「北白川宮能久親王」殿下の「ひ孫」であり、皇室の血を引いている
- 西竹一の父・外務大臣「西徳二郎」は、日露戦争前の「西・ローゼン協定」を締結した人物
以上となります。
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コメント
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