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大久保利通の子孫は誰?家系図で現在の末裔・麻生太郎との繋がりを解説

明治維新を成功させた大政治家「大久保利通」の「子孫」と「家系図」をわかりやすく解説いたします。

大久保利通には八男一女がおり、その子供たちもまた「政治家」の道を歩んでいた!

「子孫」は元内閣総理大臣「麻生太郎」氏。

安倍晋三政権では「財務大臣 兼 副総理」を務めていた。


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拙者は当サイトを運営している「元・落武者」と申す者・・・。

どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。

この記事を短く言うと

 

大久保利通の子孫は、元内閣総理大臣「麻生太郎」さん

 

・麻生太郎さんは、家柄は良いが、幼いころから「質素な生活」をしていたらしい

 

・大久保利通の家系は、下級武士出身。子供たちは娘婿も含めて、「政治家」が多い

 

・子供達9人は、「政治家」「学者」「実業家」など、各方面で活躍している


≪大久保利通の子孫は、あの人!≫

明治の偉人
大久保利通

《大久保利通》
『引用元ウィキペディアより』

実は大久保利通の子孫は、元・内閣総理大臣で、2018年現在「財務大臣兼副総理」を務めている「麻生太郎」さん。

麻生太郎さんは、大久保利通の「玄孫」・・・つまり「孫の孫」に当たる人です。

大久保利通には4人の子供いました・・・息子が3人娘が1人

大久保の次男で外務大臣・文部大臣などを歴任した「牧野伸顕」が、麻生太郎さんの「曽祖父」に当たられる人。

この「牧野伸顕」さんの娘「雪子」さんが、内閣総理大臣「吉田茂」に嫁いだのでした。

ちなみに、麻生太郎さんの妹「信子」さんが、皇室の「寛仁(ともひと)親王殿下」に嫁いでおられ「親王妃信子殿下」となっておられます。

大久保利通の血筋は、皇室にも入っているようです



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≪麻生さんは、坊っちゃんじゃなかった!≫

「吉田茂」といえば、「麻生太郎」さんの祖父。

吉田茂の娘「和子」さんが「麻生太賀吉」さんと結婚。

生まれた長男が、後の内閣総理大臣「麻生太郎」さん。

麻生太郎さんは、幼いころは福岡に住んでいましたが、小学生の時に東京へ。

「お金持ちのお坊ちゃん」というイメージの強い「麻生太郎」さんですが、両親の教育方針から、かなり質素な生活をさせられていたらしいです。

福岡で親代わりに育ててくれた祖母が、相当厳しく、とっても恐ろしい人だったのだとか。

両親に「ランドセル」を買ってもらえず、弟の「麻生次郎」さんと一緒に、同級生の中でも唯一、ズック生地のカバンを持たされていたとのこと・・。

スタンフォード大学へ留学していた時、仲間とお金を出し合ってテレビを借り、オリンピックの開会式を観たというエピソードも・・・。

そして祖父「吉田茂」が、孫「麻生太郎」さんの「アメリカ訛りの英語」を聞いて激怒。戦争に負けたアメリカの英語が気に入らず、「留学先を変えろ」と迫った話も有名です。

麻生太郎さん・・・結構「お坊ちゃま」ではなく、苦労されているのかもしれませんね。



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≪大久保利通の家系図≫

大久保利通は、一体どういう家系に生まれたのでしょうか?

鹿児島・島津家につかえていた大久保家

大久保家は、島津家に仕えた下級武士の家柄でした。

大久保利通は、長男。元々の名前は「大久保正助

父は「大久保利世」、母は「」、女性ばかりの家族だったようで、姉が1人妹が5人

妻の名前は「大久保満寿子(ますこ)

子供は5人。

長男・大久保利和(貴族院議員)

次男・牧野伸顕(外務大臣)【麻生太郎の曽祖父】

三男・大久保利武(貴族院議員)

五男・石原雄熊(いしはらたけくま)

長女・芳子(外務大臣・伊集院彦吉の妻)

子供たちは軒並み政治家ですね。

子孫も「政治家」を志す人が多いようです。

「家系図の引用などはご遠慮くださいませ」

名君と呼ばれた「島津斉彬」に、西郷隆盛とともに見出されて活躍。

大久保利通の最期は、1878年(明治11年)5月14日に「紀尾井坂の変」で襲撃され暗殺。

「紀尾井坂」は現在の「東京都千代田区紀尾井町清水谷」

不平士族6名による犯行。

享年49歳(満年齢47歳)

 

実は大久保利通には「おゆう」という名前の愛妾がいました。

その「おゆう」との間にも、子供が4人いたのです。

四男・大久保利夫

六男・大久保駿熊(はやくま)

七男・大久保七熊(ななくま)

八男・大久保利賢

こちらの子供たちは、農学者などの学者の道を選んだ方が多いようです。

 

以下の書籍は、大久保利通について取り上げた書籍ですが、非常におもしろい作品でした。

 


壮絶な最期をむかえた「大久保利通」は、実質的には日本最初の首相の立場にあった人物です。

紀尾井坂の変

奇しくも大久保利通は、自らが終わらせた「徳川幕府」の分家「紀伊徳川家」「尾張徳川家」、そして徳川四天王「井伊家」の屋敷近くで亡くなりました。



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子供達の生涯

「大久保利通」の9人の子供達について、簡単にその「生涯」を解説いたします。

長男「大久保利和」(母・満寿子)

1859年
薩摩藩の鹿児島で生誕。

岩倉使節団に同行し、映画「ロッキー」の舞台「フィラデルフィア」の中学校へ留学。

 

1878年(明治11年)
「侯爵」の爵位をもらい、東京青森間の「鉄道計画」に力を尽くします。

 

1881年(明治14年)11月
私鉄「日本鉄道」を「岩倉具視」とともに創設。その後「甲武鉄道」という会社の社長を務めています。

 

1890年(明治23年)
「貴族院議員」に就任。

 

1928年(昭和3年)
引退。
弟で大久保利通の三男「大久保利武」に家督を相続。次男「牧野伸顕」は「牧野吉之丞」に養子入りしていたため、「大久保」の家督は相続できなかった。

 

1945年(昭和20年)1月20日
死去。



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次男「牧野伸顕」(母・満寿子)

1861年
薩摩藩の鹿児島で生誕。生まれて間もなく、父「利通」の義理のいとこ「牧野吉之丞」に養子入り。

しかし、養父「牧野吉之丞」が「戊辰戦争」の「北越戦争」で戦死。

 

1871年(明治4年)
父「利通」、兄「利和」とともに「岩倉使節団」で渡米。フィラデルフィアの中学校へ入学。

 

1880年(明治13年)
外務省へ入省。ロンドン大使館。イタリア公使。オーストリア公使などを歴任。

 

1906年(明治39年)
第一次西園寺公望内閣で「文部大臣」に就任。

 

1911年(大正元年)
第二次西園寺公望内閣で「農商務大臣」に就任。

 

1913年(大正3年)
第一次山本権兵衛内閣で「外務大臣」に就任。

 

1919年(大正8年)
「第一次世界大戦」の戦後処理である「パリ講和会議」に実質的な日本の責任者として出席。

 

1925年(大正14年)
「内大臣」に就任。

 

1936年(昭和11年)
「二・二六事件」で青年将校たちの襲撃を受けるも、孫「麻生和子」が盾になってかばったため、無事。護衛官が殺害された。ちなみに「麻生和子」さんは後の首相「吉田茂」の娘で、同じく後の首相「麻生太郎」さんの母。

 

1945年(昭和20年)
終戦

 

1949年(昭和24年)1月25日
死去。87歳。

 

「シャーロック・ホームズ」の大ファンだったそうです。父「利通」と同じく、他人の意見を頭ごなしに否定せず、再考を促す人だった。



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三男「大久保利武」(母・満寿子)

1865年(慶応元年)5月7日
薩摩国の鹿児島で誕生

 

1887年(明治20年)
アメリカおよびドイツへ留学

 

1894年(明治27年)
帰国。通訳官や台湾総督秘書官を歴任

 

1896年(明治29年)
内務省に入省

 

1900年(明治33年)
鳥取県知事に就任。その後「大分」「埼玉」などの知事を歴任。

 

1912年(大正元年)
大阪府知事に就任。

 

1928年(昭和3年)
兄「利和」の養子となって「大久保家」の家督を相続。同時に貴族院議員に就任。

 

1943年(昭和18年)
死去。

 

息子の「大久保利謙(としあき)」さんは歴史学者として活躍し、1995年に亡くなっています。



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四男「大久保利夫」(母・おゆう)

1867年(慶応3年)
誕生

 

海軍の軍人を目指していました。

海軍少尉となっていますが、27歳で若くして亡くなっています。

 

1894年(明治27年)
死去

五男「石原雄熊(たけくま)」(母・満寿子)

1869年(明治2年)
誕生。

親戚である「石原家」の養子となっています。

 

1943年(昭和18年)
死去。



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六男「大久保駿熊(はやくま)」(母・おゆう)

1870年(明治3年)
誕生

 

1887年(明治20年)
「駒場農学校(後の東京大学農学部)」に入学。この駒場農学校をつくったのは、父「利通」。

 

1894年(明治27年)
「駒場農学校」を卒業。

 

1898年(明治31年)
鳥取県農学校の教師に就任。

 

1904年(明治37年)
欧米へ留学

 

1908年(明治41年)
帰国

 

1912年(大正元年)
死去

七男「大久保七熊(ななくま)」(母・おゆう)

1871年(明治4年)
誕生

 

同志社大学で学んでいたとのこと。

その後「農学者」となって、兄「駿熊」と同じく「農業」の分野で活躍

 

1943年(昭和18年)
死去



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長女「芳子」(母・満寿子)

1876年(明治9年)
誕生

大久保利通の9人の子供達のなかで、唯一の女子。そのため、父「利通」から最も愛された。

毎朝、出勤する前の父と遊ぶ時間が、父「利通」にとっても大切な時間だったといわれています。

しかし誕生の2年後、1878年、父「大久保利通」が「紀尾井坂の変」で暗殺されてしまいました。

夫は薩摩出身の「伊集院彦吉」。

伊集院は、「第二次山本権兵衛内閣」で「外務大臣」を務めています。(ちなみに「第一次山本権兵衛内閣」では、義兄「牧野伸顕」が外務大臣を務めていました)

 

1965年(昭和40年)
死去

八男「大久保利賢」(母・おゆう)

1878年(明治11年)10月
誕生

 

誕生の5ヶ月前、1878年5月14日、父「大久保利通」が「紀尾井坂の変」で暗殺されたため、父の顔を知らずに育ちます。

「東京帝国大学」を卒業後、「横浜正金銀行(現在の三菱UFJ銀行)」に入行。

1936~1943年までの間、「13代目頭取」を務めています。

妻「和喜子」さんは、ダルマ宰相「高橋是清」の次女。

養父「高橋是清」は、「二・二六事件」で青年将校たちの襲撃を受けて亡くなりました。

同じく「二・二六事件」で、異母兄「牧野伸顕」も襲撃されましたが、孫「麻生和子」さんが盾になったため、無事でした。

 

1943年(昭和18年)
死去

≪まとめ≫

本日の記事をまとめますと

・大久保利通の子孫は、「麻生太郎」元内閣総理大臣

・麻生太郎さんは、質素な生活をさせられてきた

・大久保利通は、下級武士出身。子孫は政治家になっている人が多い

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました



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