この記事では「織田信長が好んで舞っていたという【敦盛】」について、わかりやすく、短く、カンタンに解説しております。
これを読めば「敦盛の歌詞と、その意味」を、カンタンに理解できます。
ちなみに「敦盛」の一部「人間五十年」とは、「人の寿命は五十年」という意味ではなく、「人間界の五十年は、天界の一日に相当する」という意味なのです。
歴史専門サイト「レキシル」にようこそ。
どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。
この記事を短く言うと
1,織田信長が好んだという、「敦盛」の歌詞とは、どのようなものなのか?
「人間(じんかん)五十年、化天(げてん)のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。一度(ひとたび)生を享(う)け、滅せぬもののあるべきか」
2,「敦盛」の歌詞の意味とは?
「人間界の五十年などは、化天(げてん・下天)での時の流れにくらべたら、まさに一睡の夢や幻のようなものだ。
一度この世に生を受けて、滅びないものなどあるはずがない。」
3,「人間五十年」とは、どういう意味なのか?
「人間五十年」とは「人間の寿命は五十年」という意味ではなく、「人間世界の五十年は、天界の一日に相当する。つまり人間の一生は、一夜の夢のようなもの」という意味になる
目次
「織田信長」が好んだ「敦盛」の歌詞
「織田信長」は「敦盛(あつもり)」という題名の「舞」を好んで舞っていたといいます。

《織田信長》
「引用元ウィキペディアより」
その歌詞は、以下のとおりです。
人間(じんかん)五十年、化天(げてん)のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享(う)け、滅せぬもののあるべきか
この歌詞には、実は前と後にも歌詞が続いているのです。
それも合わせると、以下の通りになります。
思へばこの世は常の住み家にあらず
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる
南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり
人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ
この「歌詞」には、どのような意味があるのでしょうか?
次の項でくわしく解説致します。
「敦盛」の「歌詞の意味・現代語訳」と、この歌が出来た「時代背景」を解説!
まずは「敦盛」の歌詞の全文を、現代語訳してみましょう。
「敦盛」の「歌詞の意味」と「現代語訳」
現代語訳と意味は、以下のようになります。
思えば、この世は無常であり、永遠に住み続けることのできる世界ではない。
草の葉についた水滴や、水面にうつる月よりも、なお儚(はかな)いものなのだ。
晋という国で栄華を極めた「石崇(せきそう)」の華麗なる別荘「金谷園(きんこくえん)」も、風に散り
四川・南楼の月に興じる者たちも、移り変わる雲におおわれるようにして、姿を消してしまった。
人間界の五十年などは、化天(げてん・下天)での時の流れにくらべたら、まさに一睡の夢や幻のようなものだ。
一度この世に生を受けて、滅びないものなどあるはずがない。
これを悟りのいたる究極地点であると考えないのならば、それほど愚かで情けないことはないだろう。
「敦盛」の「時代背景」!「敦盛」とは誰なのか?
この「敦盛」という歌は、【1184年】におこなわれた源氏と平家の戦争、いわゆる「治承・寿永の乱(源平合戦)」の1つである「一ノ谷の戦い」を描いたものです。
「一ノ谷の戦い」といえば、「源義経」が
「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」
と呼ばれる断崖絶壁を馬でくだった「奇襲戦法」で有名です。

《源義経》
「引用元ウィキペディアより」
このとき「義経」は見事に、平家の大軍を討ち果たしたのでした。
瀬戸内海へと船で逃げ出す平家武者に、「熊谷直実(くまがい なおざね)」という源氏武者が追撃をかけます。

《熊谷直実》
「引用元ウィキペディアより」
そのとき熊谷は、一人の武者を捕まえました。
その武者の顔を見てみると、彼はまだ16歳の若武者。
この「一ノ谷の戦い」で負傷した熊谷の子「熊谷直家」と同じくらいの年代でした。
あまりに若い敵将を討つことにためらった熊谷でしたが、ここで逃すと、この高貴な若武者が、身分の低い雑兵たちの餌食になることが目に見えていました。
そのため熊谷は、せめて美しい最期を遂げさせようと、この若武者を打ち取ります。
この若武者は、平家の長だった「平清盛」の甥「平敦盛」だったのです。

《平敦盛》
「引用元ウィキペディアより」
熊谷直実は、「敦盛」を討ってしまったことに苦しみ、遺品であった「青葉の笛」を、敦盛の父であり「清盛」の弟である「平経盛」へ手紙を添えて送ったのだとか。
その後、熊谷直実は、武士をやめて出家。
敦盛の供養をし続けたのでした。
「敦盛」という歌は、この「敦盛の死」と「熊谷直実」の物語を歌ったものなのです。
ちなみに信長は、この「敦盛」を、【1560年】の「桶狭間の戦い」の直前に舞ってから出陣。
見事に敵将「今川義元」を討ち果たしています。
「源義経」について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。
「桶狭間の戦い」について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。
「人間五十年」とは「人生五十年」という意味ではなかった!
「敦盛」には、「人間五十年」という歌詞がありますが、これは「人生は五十年くらい」という、人間の寿命をうたったものではありません。
「人間の寿命は五十年。とても短く儚いものだ」
ドラマや映画で、織田信長がそのように言っているシーンが度々描かれますが、実際の意味は違います。
これは「人間(じんかん)五十年」と読みます。
「人間(じんかん)」とは、「人間界」すなわち神々の住む「天界」にたいして、人間の住む「人間界」のことをいいます。
人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
この「化天(げてん・下天)」とは、神々が住む「天界」のなかでも、もっとも下の階層に位置する世界のことです。
人間界の50年は、この化天の「一日」に相当するのだとか。
つまり
「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」
とは、
「人間界の五十年は、化天の一日つまり一昼夜なのだとか。
つまり人間の一生なんて、まさに夢幻(ゆめまぼろし)のように、一瞬で過ぎ去ってしまうのだ」
という意味になるのです。
信長が好んだのは、「能」の敦盛ではなく、「幸若舞」の敦盛だった
織田信長が、重々しい口調で
「にんげん~!!ごじゅうねん~!!」
と歌い舞っているシーンは、ドラマや映画でよく描かれています。
これは「能」の「敦盛」を、織田信長が舞っているシーンを描いたものです。
しかし実は織田信長、「能の敦盛」を好んで舞っていたのではなく、「幸若舞」の「敦盛」を好んで舞っていたといわれています。
「幸若舞」とは「幸若丸」という人が始めた舞のことです。
「能」のように、重々しい感じではなく、もっと軽くて陽気なものなのです。
重々しくて厚みのある「能の敦盛」のほうが、絵になるとは思うのですが、史実における実際の織田信長は、もっと気軽に楽しめる「幸若舞」のほうが好きだったようですね。
2020年放送の大河ドラマ「麒麟がくる」。6月7日放送の第21回「決戦!桶狭間」で、「織田信長」を演じる俳優「染谷将太」さんが、「敦盛」を歌うシーンが放送されました。
「桶狭間の戦い」を前にして、突然「敦盛」を歌い始めたのです。これは「史実」のとおりです。
あの「染谷将太」さんが歌ったのが、「能」ではなく「幸若舞」だと考えられます。
能とは違い、若干軽い感じのする歌い方をするのが「幸若舞」の特徴のようです。
まとめ
本日の記事をまとめますと
1,「敦盛」の歌詞は、「人間(じんかん)五十年、化天(げてん)のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。一度(ひとたび)生を享(う)け、滅せぬもののあるべきか」
2,「敦盛」の歌詞の意味は、「人間界の五十年などは、化天(げてん・下天)での時の流れにくらべたら、まさに一睡の夢や幻のようなものだ。一度この世に生を受けて、滅びないものなどあるはずがない。」
3,「人間五十年」とは「人間の寿命は五十年」という意味ではなく、「人間世界の五十年は、天界の一日に相当する。つまり人間の一生は、一夜の夢のようなもの」という意味になる
以上となります。
本日は「レキシル」へお越し下さいまして、誠にありがとうございました。
よろしければ、またぜひ当サイトへお越しくださいませ。
ありがとうございました。
『織田信長』関連記事
よろしければ以下のリンク記事も、お役立てくださいませ。
「織田信長の遺体の行方を調査!実は謎でも行方不明でもなかった」の記事はコチラ
「【織田信長】最後の言葉と辞世の歌は?亡くなる時の詳細な様子を紹介」の記事はコチラ
「織田信長の嫁の名前一覧表!正妻は「帰蝶」ではなく生駒吉乃?」の記事はコチラ
「【織田信長】家紋の意味や花の由来!読み方を画像付きで簡単解説!」の記事はコチラ
「織田信長の名言集と意味解説!ホトトギスや人生50年に潜む秘密とは」の記事はコチラ
「織田信長の居城と場所を紹介!安土・岐阜の名前の由来や城下町の政策」の記事はコチラ
「織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の関係や人柄・性格をエピソードで簡単解説」の記事はコチラ
「織田信長と池田恒興(つねおき)の関係と最期を解説!子・輝政の逸話」の記事はコチラ
「織田信長の生い立ちから最期まで!3分でわかりやすく簡単に解説!」の記事はコチラ
「[織田信長]本能寺の変で死んでない?真実と黒幕を分かりやすく簡単に解説」の記事はコチラ
「織田信長の家系図と子孫を解説!「きちょう」こと濃姫との子供とは?」の記事はコチラ
「織田信長がしたことを年表にまとめて簡単解説!『天下の取り方』教えます」の記事はコチラ
「織田信長はどんな人物だったの?意外にも優しいエピソードが多かった」の記事はコチラ
「明智光秀と織田信長・豊臣秀吉の関係を解説!実は互いを憎んでいた?」の記事はコチラ
「織田信長家臣・弥助(やすけ)の生涯!彼が持つ信長デスマスクは本物?」の記事はコチラ
『【本能寺の変】の謎や真相をすべて解説!黒幕や動機について完全網羅』の記事はコチラ
コメント
コメント一覧 (2件)
じんかん読みしてますけど、「にんげん」読みが正しいですね。
そもそも、本来、人間(にんげん)とは、仏教用語で、人の世や人の世界。
「じんかん」よみは、近代に入り、ヒューマンの訳語として人間をあてそれが一般化したあとに生まれた読み方です。なので、敦盛が制作されたときも、信長の時代も人間五十年は「にんげんごじゅうねん」と読みます。
意味は、人間世界の50年は~という意味であり、にんげんには、種としての今での主の意味での人間の意味はありません。
この度は当サイトをご覧いただき、誠にありがとうございます。
また、貴重なお言葉をいただき、重ねてお礼を申し上げます。
もしもよろしければ、またぜひ当サイトをお役立てくださいませ。
本当にありがとうございます。