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徳川家康の年表!わかりやすい表で子供の誕生と居城の移り変わりを網羅

徳川家康の【生涯年表】を3分で解説!

家康の子供の誕生と死去!

有名な合戦や、居城の移り変わりなどを網羅!


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この記事を短く言うと

・徳川家康の誕生は「1542年」、亡くなったのは「1616年」

・家康の子供は「十一男五女」

・家康は「岡崎」「浜松」「駿府」「江戸」「駿府」と、4度本拠地を変えている


目次

家康の年表

1542年

12月26日午前四時頃、三河国「岡崎城」にて、「松平広忠」の嫡男として「竹千代(後の徳川家康)」誕生

 

1547年

今川家の人質になるため、駿河国「駿府城」へ・・しかし護送の家臣が裏切り尾張国「織田信秀」の城へ

 

1549年

父「松平広忠」が、家臣により暗殺

織田信長の兄・織田信広との人質交換により、竹千代は駿府城

 

1555年

元服(成人)し、「松平次郎三郎元信」と名乗る(後に「元信」から「元康」と改名)

今川義元の姪「瀬名姫(築山殿)」と結婚

 

1558年

家康・初陣

 

1560年

「桶狭間の戦い」で今川義元が戦死!「松平元康(後の家康)」が岡崎城に帰還し本拠地とする

 

1561年

今川家の城を攻撃し、独立を宣言

 

1562年

織田信長と同盟締結(清洲同盟)

 

1563年

「家康」に改名

 

1564年

「三河一向一揆」ば勃発。家臣「本多正信」が裏切り、三河一向一揆に参加

 

1566年

三河国統一

徳川に改姓・・「徳川家康」と名乗る

 

1568年

武田信玄と同盟し、今川領・遠江国へ侵攻

 

1569年

遠江国・掛川城落城・今川家滅亡

 

1570年

遠江国に浜松城を築城し、本拠地とする

金ヶ崎の戦い・姉川の戦い

 

1573年

「三方ヶ原の戦い」で、武田信玄に大敗

武田信玄・死去

 

1575年

長篠の戦い」で武田勝頼に大勝

 

1578年

上杉謙信・死去

 

1579年

信康事件」・・・嫡男「松平信康」と正室「瀬名姫(築山殿)」・死罪

 

1581年

「高天神城の戦い」

 

1582年

「天目山の戦い」・・武田家滅亡

本能寺の変」で織田信長・死去・・・家康「伊賀越え」

「天正壬午の乱」で「甲斐国・信濃国」を獲得し、北条家と同盟



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1583年

「賤ヶ岳の戦い」

 

1584年

「小牧長久手の戦い」

 

1585年

秀吉が「関白」叙任

「第一次上田合戦」で、徳川軍が「真田昌幸」に大敗

 

1586年

秀吉の妹「旭姫」を正室に迎える

上洛し、豊臣秀吉に臣従

本拠地を「駿府城」へ移す

 

1590年

「小田原・北条征伐」

東海5カ国から、関東8カ国へ移封し、本拠地を江戸城へ移す

 

1592年

六男「松平忠輝」誕生

「朝鮮出兵」、家康は渡海せず、名護屋城への在陣のみ

 

1595年

「秀次事件」、関白「豊臣秀次」切腹

 

1596年

家康・・・内大臣に就任

 

1597年

「朝鮮出兵」、家康再び渡海せず

 

1598年

「豊臣秀吉」死去

 

1600年

「関ヶ原の戦い」・・「石田三成」処刑

 

1603年

征夷大将軍に就任、江戸幕府成立

 

1605年

三男「徳川秀忠」、二代将軍に就任

 

1607年

大御所を自称し「駿府城」を本拠地とする

 

1611年

二条城にて「豊臣秀頼」と会見、主従関係が逆転し、豊臣秀頼が実質的に臣下となる

 

1614年

「大坂冬の陣」・・後に和睦し、大坂城の堀埋め立て

 

1615年

「大坂夏の陣」・・豊臣秀頼・自害・・・豊臣家滅亡

 

1616年

4月17日、徳川家康・死去・・・享年75歳(満73歳10ヶ月)



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家康の子供たち

家康には生涯において、「十一男五女」・・・合計16人の子供がいました。

誕生した順に表すと

  1. 長男「松平信康」 (1559~1579)
  2. 長女「亀姫」   (1560~1625)
  3. 次女「督姫」   (1565~1615)
  4. 次男「結城秀康」 (1574~1607)
  5. 三男「徳川秀忠」 (1579~1632)
  6. 四男「松平忠吉」 (1580~1607)
  7. 三女「振姫」   (1580~1617)
  8. 五男「武田信吉」 (1583~1603)
  9. 六男「松平忠輝」 (1592~1683)
  10. 七男「松平松千代」(1594~1599)
  11. 八男「平岩仙千代」(1595~1600)
  12. 四女「松姫」   (1595~1598)
  13. 九男「徳川義直」 (1601~1650)
  14. 十男「徳川頼宣」 (1602~1671)
  15. 十一男「徳川頼房」(1603~1661)
  16. 五女「市姫」   (1607~1611)

で記した方々は、父「家康」よりも先に亡くなった子供たちです。



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居城の移り変わり

家康は、1560年の「桶狭間の戦い」で岡崎城へ帰還し、独立してから、4度、本拠地を移しています。

  1. 岡崎城1560~1570
  2. 浜松城1570~1586
  3. 駿府城1586~1590
  4. 江戸城1590~1607
  5. 駿府城1607~1615

家康は生涯において「浜松城」を最も長く本拠地としていました。

浜松城は、武田との戦いのための最前線であり、巨大な軍事要塞だったと言われています。

次に長いのが「駿府城」・・・合計12年。

家康は、今川家の人質とされ、いつ殺害されるかわからない恐怖の日々をおくった・・・と言われています。

しかし、家康が最も安全な時間を過ごしたのも「駿府」・・・。

今川家を裏切ったことの正当性を高めるために、今川を非難する目的で、「人質生活で苦労した」・・・ということにしたのでしょう。

駿府城・・・家康にとって、最も思い出深い場所だったと考えられます。



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まとめ

本日の記事をまとめますと

・徳川家康は「1543年」に誕生し、「1616年」に亡くなった

・子供たちは合計「十一男五女」、家康より長生きしたのは「五男二女」のみ

・家康の居城は、「岡崎」「浜松」「駿府」「江戸」「駿府」と移り変わった

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


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