【私学校とは何か】超わかりやすく解説!何を教える学校だったの?

西郷隆盛が晩年に作った学校「私学校(しがっこう)」とは、「何を教える学校だったのか」、わかりやすく解説いたします。

「私学校とは、軍事訓練と一般教養を教える学校で、元サムライたちの受け皿だった」

職を失ったサムライたちを集め、反乱を起こさせないことが目的だった?


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この記事を短く言うと

  1. 「私学校」では、「軍事訓練」と「漢文などの基礎知識・一般教養」が教えられていた
  2. 私学校の「基本方針」は、「義に当たっては一身を持って当たる」という武士らしいもの
  3. 西南戦争の後、私学校は廃止された

『私学校』とは、何を教える学校だったの?

西郷隆盛
『引用元ウィキペディアより』

明治新政府で、大久保利通木戸孝允と対立した「西郷隆盛」は、全ての職を辞めて、実家の鹿児島へと帰ります。西郷は、苦手な政務をやらされるより、畑仕事をしていたほうが、あっていたのでしょう。

しかしここで、予想外のことが起こってしまいます。西郷を慕う人材たちが、新政府から600人も辞職して、西郷についてきてしまったのです。

明治六年の政変」・・・・・・1873年に起こった「征韓論」を発端とする政治家同士の争いです。西郷はこの争いで「大久保」に敗れ、辞職。

西郷を慕い、全国から鹿児島に集まってくる「士族(元サムライ)」は、その数をどんどん増やし、ついに「3万人」にまで膨れ上がります。

彼ら「元サムライ」達は、職を失い、行く当てもなく西郷についてきたのです。

西郷は、彼らに「仕事」を与えるために「私学校」という、学校をつくります。


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教えていたのは「軍事訓練」と「漢文」

何を教えていたのか?というと、主に「軍事訓練」と「漢文」です。

「軍事訓練」は、来たるべき戦争に備えて、その戦闘能力を高めるため。そして「漢文」は、それまでの日本で子供たちに対して行われていた「一般教養」のことでしょう。「論語」などの教養を若者に教えていたのです。

私学校には「幼年学校」「銃隊学校」「砲隊学校」の三つの学部が存在していました。

「幼年学校」では若者を教え、「銃隊学校」では文字通り「銃の扱い方」を教え、「砲隊学校」では「大砲」などを扱う「砲兵」を育成。

この「私学校」で、西郷隆盛の妹「西郷琴」の息子「市来宗介」や、「村田新八」「桐野利秋(人斬り半次郎)」「篠原国幹」らが講師・監督を務めて、後進育成に務めていたのです。

また、鹿児島県知事であった西郷の盟友「大山綱良」は、この私学校の人間を、鹿児島県の要職に採用していました。

鹿児島は、明治政府に税を納めることもなく、私学校という圧倒的な軍事力も保有し、「独立国家」のような有様でした。

「西南戦争」の火は、この頃から静かに大きくなっていったのです。


西南戦争」について、わかりやすく解説いたします。よろしければ以下のリンク記事をお役立てくださいませ。

↓↓↓↓↓

「西南戦争とは?原因と結果をキッズ向けに超わかりやすく超簡単に解説」の記事はコチラ

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今も残る「私学校跡地」と、私学校の綱領(基本方針)

私学校跡地は、今も鹿児島に残っています。

もともと私学校は、鹿児島城の中に設置された学校でした。今も、鹿児島城に「私学校」の「門」が残されています。

≪私学校・正門≫
「引用元ウィキペディアより」

このほかにも、私学校の「壁」が残されており、西南戦争の際につけられた「銃弾のあと」がいくつも刻まれています。
私学校は、「西南戦争」の激戦を今に伝えているのです。


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私学校の綱領(基本方針)

私学校の「綱領(こうりょう)」、つまり「基本方針」を解説いたします。

1、道を同じうし、義相協うを以って暗に集合せり、故にこの理を益々研究して、義においては一身を顧みず、必ず踏み行うべきこと。
(道を同じくする者が、義によって集まったのだから、この理を常に研究して、義を行う場合には、我が身を惜しまず、必ず前進すること)

2、王を尊び、民を憐れむは学問の本旨。しからばこの天理を極め、人民の義務にのぞみては、一向難に当たり一同の義を立つべきこと。
(天皇を尊び、民衆を憐れむことが、学問の本来の目的である。だからこそ、この理をきわめて、民衆に対して果たすべき義務に当たる際は、義をもって立ち上がること)

明治元年・・・鳥羽伏見の戦いかわ始まり戊辰戦争起こる。
総督大参謀に任命さる。
江戸城総攻撃準備。山岡鉄舟・勝海舟と会談。江戸無血開城。
庄内藩へ進軍、寛大な処分。
戦い後は対等の立場で接する。40歳
明治5年元帥(陸軍大将)となる。明治7年私学校をつくる

後半は、西郷隆盛が「私学校」を創設するまでの経緯です。

明治元年に「鳥羽伏見の戦い」が起こり、それが「戊辰戦争」のきっかけとなった。西郷隆盛は「参謀」に任命されて、江戸城総攻撃を計画するも、「山岡鉄舟」や「勝海舟」と会談し「江戸城無血開城」を実現。

庄内藩などの東北・北陸へ進軍し、反政府軍に対しては寛大な処分をし、その後は反政府軍の人達も対等な身分となった。

明治5年には陸軍大将に任命され、明治7年、「私学校」を創設した。

綱領の現代文訳ですが、拙者の乏しい知識によるものであるため、間違いがあるかもしれません。その場合は、ご遠慮なくご指摘いただけましたら、とてもありがたいです。


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鹿児島県に100以上も分校があった!

私学校は、鹿児島城内にだけあったわけではありません。

各地に「分校」が存在しており、鹿児島県内に「100」以上もの分校が存在していたと言われています。

現在の都道府県でも「100校」の学校があるとなると、相当人口が多いところでないとないでしょう。

現代日本で例えるなら、鹿児島の高校全てが「私学校の分校」だったようなもの。

これらすべてに「不平士族」が配置されていたとするなら、その数は、やはり凄まじいものがあったのでしょう。


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私学校の最期

明治7年に創設された「私学校」ですが、西南戦争の後に「廃止」されています。

つまり明治10年の「西南戦争」集結のあとのことですね。

元々「私学校」は「不平士族(職を失った元サムライ)」の受け皿になることが目的だった学校です。

その不平士族が、日本最後の内乱「西南戦争」で一掃されたのですから、その役割をすでに終えたということですね。


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『私学校』と『西郷隆盛』について、レビュー(評論)!

西郷さんは、どうして「私学校」をつくったのでしょうか?

その理由は、「若者たちの育成」のためだけではなく「内乱を未然に防ぐため」だったのではないでしょうか。

西郷さんが「明治六年の政変」で鹿児島に帰ってくると、政府から600人、全国から3万人の元サムライたちが集まってきます。

廃刀令」など武士の特権を次々奪う政府に不満を募らせる「士族」たち。

彼らに反乱を起こさせないために、西郷さんは「ガス抜き」の場として「私学校」をつくったのではないでしょうか。

士族に「軍事訓練」をさせることによって、いつの日にか来る「戦争」に備えさせる・・・そうすることで、自らの存在意義を見失わせない・・・。それが西郷さんの狙いだったのでしょう。

西郷さんは「征韓論」を主張し、「朝鮮半島」と戦争をしようとしていたという説があります。朝鮮と戦争し、武士たちの活躍の場を作ろうとしていたと・・・。

おそらく西郷さんは、武士たちを見捨てることができず、彼らの受け入れ先をつくることに、四苦八苦していたのでしょうね。

元々「反乱」なんて起こすつもりはなかった。

だからこそ「佐賀の乱」を起こした「江藤新平」からの「反乱を起こして立ち上がってほしい」という要請を断ったのです。

しかし、西郷さんの想いもむなしく、西南戦争が勃発。西郷さんは1877年(明治10年)9月、城山で死を迎えるのです。

「晋どん。もう、ここいらでよか」

と、側にいた「別府晋介」に対してまるで、全てが終わってホッとしたかのような言葉を残して・・・。


西郷隆盛の最期」について、よろしければ以下のリンク記事をお役立てくださいませ。

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「西郷隆盛の最後の様子は壮絶!『最期の地』と『死に際の言葉』に絶句」の記事はコチラ

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まとめ

本日の記事をまとめますと

  1. 私学校では「砲兵」「銃兵」などの「軍事訓練」と、「漢文」などの「一般教養」が教えられていた
  2. 私学校の「基本方針」は、天皇と民を守るという、武士の心を忘れないものだった
  3. 西南戦争ののち、私学校は廃止された

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


よろしければ以下のリンク記事も、お役立てくださいませ。

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「西郷隆盛と大久保利通はなぜ対立した?2人の関係を物語る逸話とは!」の記事はコチラ
「【薩摩藩とは】その歴史を世界一わかりやすく解説!偉大な人物を一覧で紹介」の記事はコチラ

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