織田信長に仕えた黒人武将「弥助(やすけ)」
彼はいったい何者だったのか?
そして、弥助由来の「信長のデスマスク」は、本物なのか?
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この記事を短く言うと
・弥助とは、アフリカ・モザンビーク出身の織田信長に仕えた「黒人武将」。元々は奴隷だった
・本能寺の変・・・弥助も本能寺にいたが、明智光秀のおかげで生き延びた
・現在に伝わる「信長のデスマスク」は、弥助が持っていた「信長の首」で制作されたらしいが・・・
弥助とは?
織田信長には「黒人武将」が仕えていたと言われています。
この「黒人武将」は、どこから来たのか?
イエズス会の宣教師「アレックス・ヴァリニャーニ」が、信長に謁見した際に、奴隷として同行させていたのが、この「黒人」でした。
彼は、アフリカ「モザンビーク」から連れてこられた奴隷。
初めて黒人を見た信長は、墨を身体に塗っていると勘違いし、身体を洗わせたと言われています。
しかし洗えば洗うほど、黒く輝きを増す身体に、信長は「肌が黒い」と納得し、彼を気に入って「家臣」にしたのです。
その黒人は、本名を「ヤスフェ」といったらしく、「弥助」と名付けられて信長に仕えました。
当時の平均身長を30cmもオーバーする「180cm超」だった弥助・・・信長が大好きだった「相撲」で、強敵を次から次へとなぎ倒し大活躍。
信長に気に入られて「奴隷」だったはずが、「士分」つまり侍に取り立てられ、「邸宅」と「刀」を与えられていたとのことです。
信長は、「弥助」を「武将」として取り立てるつもりだったようで、「将来は城主にする」と言っていたみたいです。
本能寺に、弥助もいた
1582年6月2日早朝、京都本能寺にいた信長は、家臣「明智光秀」の襲撃を受けました。
そのとき「弥助」も信長と一緒に本能寺にいたのですが、彼は「二条城」にいた信長の嫡男「織田信忠」へ「明智光秀の謀反」を知らせに走ります。
その後、本能寺へもどった弥助は、明智軍を相手に奮闘。
明智軍が弥助に対して降伏するよう説得すると、弥助は降伏。
明智光秀は、弥助にたいして
「黒人は動物であり何もわかってはいないし、理解していない。
日本人でもないのだから、殺すまでもない」
と言って見逃したのです
おそらく、光秀は「無益な殺生」を嫌い、侮蔑的な理由をでっち上げて弥助を助けたのでしょう。
信長の家臣同士だった光秀と弥助・・・。
2人は面識があったでしょうから、それもまた光秀に殺害をためらわせた原因かもしれません。
ちなみに「織田信忠」も、この本能寺の変の時に光秀によって命を落としています。
後に弥助は、九州の大名「有馬晴信」を頼ったとも、モザンビークへ帰ったとも言われています。
モザンビークには、日本の着物に似た「キマウ」という衣装が存在しており、もしかしたら弥助がモザンビークへ持ち帰ったのかも・・・。
ちなみに、弥助は織田信長が最期に、こんな言葉を残したと証言しています
「余は、余みずから死を招いたな」
明智光秀の子孫「明智憲三郎」さんは、この発言に注目しました。
この言葉から「明智憲三郎」さんは、「本能寺の変」の真相を次のように推理したのです。
「織田信長は、明智光秀に命じて、本能寺に徳川家康を招いて暗殺するつもりだった。
しかし、光秀は家康と協力して、逆に信長を討った」
信長は、家康を倒すために光秀に大軍団を預けていたにも関わらず、その軍で自分を攻撃されてしまった・・・。
だからこそ「自ら死を招いたな」と言ったのだとか。
これが真実かどうかはわかりませんが、興味深い推理であると思います。
「明智光秀が本能寺の変を起こした原因・最新の説」については、以下のリンク記事で詳しく解説させていただいております。
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信長のデスマスクは、本物か?
弥助は本能寺から脱出した後、「信長の首」を持っていたとのことです。
信長は、光秀に首をさらされることがないよう、遺体を炎で焼き尽くしたと言われています。
この信長の首で、「デスマスク」が作られた・・・とのこと。
愛知県瀬戸市の「西山自然歴史博物館」には、信長の子孫を自称する「西山館長」がおり、この「信長のデスマスク」を保管しているといいます。
この信長のデスマスクは、本物なのでしょうか?
時代的にいえば、信長が亡くなった16世紀・・・ヨーロッパでは「オリバー・クロムウェル」などが「デスマスク」を制作されているため、可能性はゼロではありません。
しかし、現実的に考えて、光秀に一度は捕まった弥助が、信長の首を持っていたとは考えづらい気がします。
この「信長の首」を見つけられず、それが原因で、光秀は秀吉に大敗しているのです。
「信長は生きている」・・・そんな噂を流した秀吉は、仲間を大量に集めて光秀に圧勝。
光秀も、「信長の首」をさらし物にしなくては、「信長が生きている」と噂され、味方が集まらないことを知っていたので、必死に信長の遺体を捜索しています。
信長もまた、自分の遺体が見つからなければ、光秀が困ることを見越しており、家来に火葬を命じていた・・・なんて噂もあります。
信長のデスマスク・・・おそらく偽物ではないでしょうか。もちろん確証はありませんが・・・。
まとめ
本日の記事をまとめますと
・弥助は、モザンビーク出身で、信長に引き取られた元奴隷
・弥助は本能寺の変の時、信長を守るために戦ったが、光秀に見逃された
・弥助がもっていた信長の首でつくったデスマスク・・・本物・・・ではないと思うが・・・。
以上となります。
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