西郷琴(市来琴)と夫・市来正之丞の生涯!息子達の悲劇的な最期とは

西郷隆盛の妹「西郷琴」と、その夫「市来正之丞」の生涯とは?

彼女の息子たちに起こった悲劇とは?

西郷隆盛の妹と義弟の波乱の人生


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この記事を短く言うと

・西郷琴とは、西郷隆盛の妹。吉二郎と共に西郷家を守ってきた

・市来正之丞は、薩摩藩士にして、ヨーロッパ・パリ万博へ同行した人物

・息子「嘉納次」は戊辰戦争で戦死。「宗介」「宗五郎」は、西南戦争で戦死している


西郷琴(市来琴)とは何者か?その生涯を解説

西郷隆盛の妹「西郷琴」の生涯を解説いたします。

生い立ち

西郷隆盛の妹、「琴」

2018年の大河ドラマ「西郷どん」では、女優「桜庭ななみ」さんが演じておられます。

西郷家の長男・西郷隆盛の妹にして、次男「西郷吉二郎」の姉。

1832年、父「西郷吉兵衛」と母「満佐」の長女として誕生。

「琴」は隆盛よりも5歳年少。

その後、西郷家の親戚に当たる「市来」家の「市来正之丞(しょうのじょう)」と結婚しています。

1868年、戊辰戦争・北越戦争で、弟「西郷吉二郎」と、長男「市来嘉納次」戦死。

1874年、夫「市来正之丞」が死去

1877年、西南戦争で兄「西郷隆盛」、弟「西郷小兵衛」、次男「宗介」、三男「宗五郎」死去

1902年、弟「西郷従道」死去

最期

1913年(大正2年)、「市来(西郷)琴」他界。

西郷隆盛や、末の弟「小兵衛」が亡くなった「西南戦争」から、30年以上生きたことになります。

享年80歳


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夫・市来正之丞とは

「琴」の夫にして、西郷隆盛の義弟「市来正之丞」

市来家は、西郷家の遠縁だそうです。

彼は西郷隆盛と親密な関係にあり、その関係は市来正之丞が亡くなるまで続いたと言われています。

1867年、薩摩藩が江戸幕府とは別で「パリ万博」に参加した際、市来正之丞もまた、ヨーロッパへ赴いています。

1874年(明治7年)、市来正之丞は病気で他界。

西郷隆盛よりも先に亡くなっています。

生年が「1822年」と言われていますので、亡くなった時は「52歳」。とはいえ、亡くなった年がはっきりしていないので、確定的なことは言えません


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息子たちの悲劇

市来正之丞と妻・琴の間には「3人」から「5人」の子供がいたと考えられています。

3人であると仮定すると、母の「琴」は、かなり悲惨な目にあったこととなります。なぜなら「子供達が全員、母より先立ってしまっている」から。

1847年、長男「嘉納次」誕生

1849年、次男「宗介」誕生

三男「宗五郎」誕生、生年不明

長男の「嘉納次」は、1868年「戊辰戦争」に参加し、越後で戦死

次男「宗介」は、西郷と愛加那の息子「菊次郎」と共にアメリカへ留学した経験を持つ秀才でしたが、1877年「西南戦争」の城山合戦で戦死

三男「宗五郎」も、1877年「西南戦争」で亡くなっています。

母・市来琴の下にはその後「宗介」の形見である「懐中時計」が届けられたと言われています。

もし息子が「3人」だったのなら、琴は全ての子供に先立たれたことになります。

ただ市来家はその後、息子「市来政方」という人物が外交官・宮内庁の宮中顧問官などを務めて、大正13年・64歳まで生きたと言われています。

この「市来政方」という人が「琴」の実子なら、良かったのですが、「養子」だったという説も有り、はっきりしていません。

琴は、大日本帝国憲法発布による特赦によって兄「西郷隆盛」の名誉が回復された後、妹で「大山巌」の弟「大山成美」の妻「安」とともに東京へ移り住んでいます。

まとめ

本日の記事をまとめますと

・琴は、西郷隆盛の5歳年下の妹、「吉二郎」の姉

・夫・市来正之丞は、パリ万博に参加し、ヨーロッパへ渡っている

・琴は、戊辰戦争と西南戦争で、子供達を次々と亡くした。

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

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ありがとうございました


西郷隆盛」「西郷従道」について、よろしければ以下のリンク記事も、お役立てくださいませ。

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