【明智光秀とは】何した人なの?世界一わかりやすく解説してみた

「明智光秀」という人が、そもそも何をした人物なのかご存知でしょうか?

筆者は先日『光秀が何をした人なのか、何も知らない子供に向けて「ひとこと」で説明して』と頼まれ、答えにつまってしまいました。

「明智光秀とは、戦国時代の武将。戦国の覇者『織田信長』が最も信頼した部下であり、その織田信長を『本能寺の変』という事件で打ち倒した人物」です

この記事では、「明智光秀という名前は知っているけど、そもそも光秀がどこの誰で、何をした人なのかを知らない方」のために、簡単に理解できるよう、わかりやすく解説をいたします。

これを読んでいただければ、10分程度で「明智光秀とは何をした人なのか」を、他人に説明できるようになれます。

この記事が皆様のお役に立ちましたら幸いです。


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どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。

この記事を短く言うと

  1. 「明智光秀」がしたことは主に2つ。1つ目が戦国の覇者「織田信長」が最も信頼した部下であり、信長の天下統一事業を大きく助けたこと。2つ目が「本能寺の変」で主君「織田信長」を裏切って討ち取ったこと。
  2. 「光秀」は、「信長を討った」だけでなく、自分の領地である「坂本城(滋賀県大津市)」や「丹波国(京都府)」で、民衆に慕われる素晴らしい政治を行った。
  3. 光秀がいなければ、「織田信長」の大活躍はなかった。光秀は「織田信長」とのちの征夷大将軍「足利義昭」を引き合わせて協力させ、信長の勢力拡大を大きく後押しした。

『明智光秀』は何をした人なのか?

明智光秀とは、戦国時代の覇者「織田信長」を討ち取った人物です。

《明智光秀》
「引用元ウィキペディアより」

光秀は、今から約400年前の「1582年」に、100年以上続いた戦国時代において最大勢力を誇った覇者「織田信長」を討ち果たした戦国武将なのです。


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織田信長とは、現在の「名古屋市」を中心とする「愛知県西部」にあった「尾張国」を本拠地とする戦国武将です。

《織田信長》
「引用元ウィキペディアより」

信長は、「愛知県西部」を有する小さな戦国武将だったのですが、その天才的な改革能力によって「1582年」には西は「岡山県」から、東は「群馬県」までを支配する当時日本で最大の勢力を誇るに至った武将です。

「本能寺の変」・・・1582年6月2日に起こった大事件です。この「本能寺の変」で、明智光秀は織田信長を討ち果たしたのでした。

この「本能寺の変」には、驚くべき点が一つありました。

それは「明智光秀」という武将が「織田信長」が最も信頼していた部下の一人であったということです。

信長は、最も信頼し重く用いていた部下「明智光秀」に、突然裏切られて「京都・本能寺」という場所で討たれてしまったのです。


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「光秀とは何をした人なのか」というと、第一に上げられるのは「織田信長を討った」という事になります。

しかしもう一つ、光秀の功績をあげるとするならば

「明智光秀は信長が最も信頼した部下であり、信長の天下統一へ向けた勢力拡大を、最も強く助けた家来だった」

というものがあげられるのです。

「光秀が何をした人なのか」をまとめますと

  1. 「本能寺の変」で「織田信長」という当時日本最大の権力者を討ち果たした
  2. 信長の天下統一を強く助けた

という、極めて矛盾した2つの功績があげられることになります。


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光秀が残した素晴らしい功績

「本能寺の変」で織田信長を殺害した・・・・。これが「明智光秀」が残した功績であると申しました。

しかし「本能寺の変」は、あくまでも「主君である織田信長を殺害した重大な裏切り行為」です。

それは決して褒められたことではありません。その証拠としてその後の「光秀」の一族は、とても不遇な運命をたどっています。

「坂本城」・・・・明智光秀の居城の名前です。現在の滋賀県大津市に、その「坂本城」は存在していました。

この坂本城の他にも、光秀は丹波国(現在の京都府)に「亀山城」や「福知山城」などの城や領地を持っていました。

「織田信長を裏切る」という道徳的にも褒められない行為をおこなった光秀。

しかし坂本城や丹波亀山城・福知山城では、「名君だった」ということで、今も慕われる存在なのです。

光秀は政治力にすぐれた人でした。

その能力を発揮し、坂本城などの領地では、領民にたいして極めて優しい善政を行った名君だったのです。


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さらに、光秀は「戦争が強い武将」でもありました。

「難攻不落」「天然の要塞」とよばれた山岳地帯「丹波国」を、光秀は見事に攻め落としています。

外交交渉・戦争など、あらゆる手を尽くして「丹波国」を攻略。

この功績を、主君「織田信長」も絶賛しています。

光秀の功績を簡単に一覧でまとめると

  1. 信長と協力して「足利義昭」を15代征夷大将軍とし、「室町幕府」を再興させた
  2. 坂本城・丹波亀山城・福知山城などで民衆に優しい政治をおこなった
  3. 難攻不落の「丹波国」を攻略した
  4. 織田信長の天下統一事業を大きく助けた

などがあげられます。

光秀は「戦争に強い」「政治がうまい」という、武将としてはパーフェクトな、まさに「名将」だったのです。


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光秀がいなかったら信長の大活躍はなかった

「光秀」がいなかったら、織田信長の大活躍はなかったと言っていいでしょう。

「武田信玄」や「上杉謙信」など、信長よりも戦争が強い武将が数多くいた「戦国時代」において、なぜ「信長」だけが領土を一気に拡大できたのか。

「足利義昭」・・・・・・・・信長が「征夷大将軍」にしてあげた「室町幕府15代将軍」です。

《足利義昭》
「引用元ウィキペディアより」

信長はこの「足利義昭」を補佐し、「足利義昭の命令」という名目で、全国の武将に「足利義昭と織田信長の部下になれ」と命令したのです。

ところが「朝倉義景」など全国の戦国武将はこれを拒絶。

拒絶した武将に対して、信長は「征夷大将軍・足利義昭の命令に背いた敵」とみなして攻撃を仕掛けたのです。

一方で「部下になれ」という命令に従った「松永久秀」などの戦国武将たちは、言葉通り部下として支配。そしてこの「松永久秀」らを、自分に逆らう武将「朝倉義景」らの討伐に派遣したのでした。

こうして信長は、数多くの戦国武将を部下とする・または攻め滅ぼして勢力を拡大したのでした。

つまり武士の棟梁である征夷大将軍「足利義昭」を味方にしたことが、信長をあれほどまでに大活躍・勢力拡大させた原因の一つなのです。


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明智光秀は、この「足利義昭」という人物を織田信長に紹介した人です。

「織田信長」に、「足利義昭を利用して、天下統一を成しとげなさい」とアドバイスしたのが明智光秀だったということです。

光秀がいなかったら、織田信長はあれほどまでに勢力を拡大出来なかったはずです。

この「足利義昭を紹介する」という大きな手柄をたてた光秀は、信長が最も信頼する武将として、一気に大出世を果たします。

「光秀」は織田家でも最大の領地をもらう、織田信長一番の家来になります。

その支配地域は240万石。ライバル「羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)」の実に2倍の地域を支配するほど、信長から信頼されたのでした。


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「明智光秀の功績」について「ひとこと」いいたい

明智光秀・・・・ちまたの噂では「名将」「名君」「戦上手」「政治がうまい」など、数々の評判があります。

しかし、これって本当なのでしょうか?

「源義経」「真田幸村」・・・・彼らは「源頼朝」「徳川家康」ら強大な敵に負けて亡くなった、ヒーローとも呼べる名将たちです。

彼らは「悲しいの最期」を遂げたため、後世の人から同情を集めた武将たちでした。

彼らは、同情してくれる民衆が多かったためか、「戦争の天才」「名将」と呼ばれ、後世にもその名をとどろかせています。

さて・・・そんな同情的な評価を集めた「源義経」や「真田幸村」と同じく、「明智光秀」も同情を集める武将でした。

  • 心優しい明智光秀。
  • 戦争が強い名将の光秀。
  • 民衆を大切にした名君の光秀。

果たしてこれらの評価は、本当なのでしょうか?

筆者は、話半分に聞いていたほうがいいと考えています。

光秀が亡くなってから、すでに400年以上経過しています。

本当の「明智光秀」という人物がどういう人間だったのか、正確に知る方法などないのです。

光秀が「名君」「名将」であったことは確かです。

しかし「ドラマや小説での光秀」と、「現実の光秀」とを混同すると、真実から遠のいてしまうと考えられます。

人気マンガ「テルマエ・ロマエ」の作者である「ヤマザキマリ」さんは

「偉人の逸話は、話を盛られている可能性が極めて高い」

とおっしゃっていました。

光秀も、その能力や功績をあまりにも美化されすぎているのかもしれません。そんな可能性を、否定できないのではないでしょうか。


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まとめ

本日の記事をまとめますと

  1. 「明智光秀がしたこと」は、主に2つ。1つ目は、「織田信長」の部下としてその勢力拡大を強く後押ししたこと。2つ目が「本能寺の変」で主君「織田信長」を裏切り死なせたこと
  2. 光秀は自分の領地である「坂本城(滋賀県大津市)「丹波国(京都府)」で民衆のための善政を行い、今でも慕われている。
  3. 光秀がいなければ、天下統一目前までいった「織田信長」の大活躍はなかった。光秀は信長とのちの征夷大将軍「足利義昭」を協力させ、信長の勢力拡大を大きく後押しした

以上となります。


本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


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