この記事では「明智光秀の愛刀・甲冑」について、わかりやすく、短く、カンタンに解説しております。
これを読めば「明智光秀の愛刀の名前や、どこにあるのか」を、カンタンに理解できます。
「明智光秀の愛刀・備前近景」は京都の「井伊美術館」にあると言われています。
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この記事を短く言うと
1,明智光秀の愛刀は、「明智近景」のほかに「倶利伽羅郷」や「切刃貞宗」などが伝わっている
2,光秀の愛刀「明智近景」は、銘を削られて今に伝わっている
3,「明智近景」は、「森記念秋水美術館」で展示されていた。「井伊美術館」に展示されている「近景」とは別のもの。
明智光秀の愛刀一覧
まずは、明智光秀が使っていたとされる愛刀を、一覧でご紹介いたします。

《明智光秀》
「引用元ウィキペディアより」
- 青屋長光
- 明智兼光(愛知県・犬山城白帝文庫所蔵)
- 明智近景(備前長船近景)
- 切刃貞宗(香川県立ミュージアム所蔵)
- 倶利伽羅郷
- 太郎坊兼光
- 地蔵行平
- 津田遠江長光
このうち、明智光秀が自ら腰におびていた愛刀は「明智近景」であると考えられています。
光秀の愛刀「備前長船近景」通称「明智近景」とは?
明智光秀の愛刀「明智近景」こと「備前長船近景」
この刀は「明智光秀」が持っていた刀の中でも、常に腰にさしていた、まさに愛刀であると考えられています。
「明智近景」は、光秀の死後、光秀の末裔であるといわれている「出羽庄内藩」の庄屋「日向(ひなた)家」に伝えられました。
その後、「明智近景」は他の人の手に渡るのですが、そこで思いも寄らないことが起こります。
この「明智近景」には、「明智光秀」の名前と「近景」の銘、そして「製造された年紀」が記されていたのですが、所有者が「明智光秀」の名前を嫌がり、「明智光秀」と「近景」という銘を削り取ってしまったのだとか・・・。
刀には、製造された年「暦応三年」の銘のみ残されています。
なぜそれほどまでに「光秀」の名を嫌ったのかは不明です。
歴史的遺物に対して、あまりにももったいない行為です・・・。
ちなみに、「明智光秀」の末裔であるという「日向」氏ですが、その名前の由来はおそらく「明智光秀」が名乗った「日向守(ひゅうがのかみ)」でしょう・・・
光秀の刀と甲冑は、今どこにある?
明智光秀の愛刀「近景」と、光秀の甲冑は、現在どこにあるのでしょうか?
光秀が所持していたという、銘を削られた「近景」は、富山県富山市の「森記念美術館」で、【2017年】に展示されていたとのことです。
また、【2020年】現在、京都の「井伊美術館」で、「近景」が展示されているとのことですが、これは「井伊美術館」によると、「銘が削りとられた、日向家の近景とは別物」だそうです。
「同名異物」
つまり名前は同じ「近景」でも、「銘が削られた近景」とは、異なる物だということなのでしょう。
「井伊美術館」の「明智近景」は、「井伊直政」につかえた武将「木俣守勝」が「明智秀満」の息子だという「三宅重元」から贈られた代物だとか。
つまり「井伊美術館にある近景」も、明智光秀の愛刀であったという言い伝えがあり、「日向家にあった銘を削られた近景」も、光秀の愛刀という言い伝えがあるということでしょう。
どちらが本当の「光秀の愛刀」なのか・・・はっきりしていません・・・。
京都の「井伊美術館」には、「近景」の他にも、光秀の「甲冑」「脇差」「書状」また「明智秀満」の「兜」などが収蔵されており、展示されています。
『光秀と愛刀』について「ひとこと」いいたい
明智光秀は、相当な怪力であり、しかも「鉄砲の名手」だったと言われています。
おそらく剣術もかなり上手だったのでしょう。
しかし、実際に光秀が「刀を振って敵を倒した」というのは、ちょっと考えにくいです。
光秀が活躍したのは、年齢が50歳にも近くなったあたりからです。
織田信長と出会ってから、光秀は猛烈な速度で出世をするわけですが、その頃、光秀はすでに「老人」とも言える年齢だったのです。
光秀は「自ら先陣をきる猛将」だったわけではなく、「軍勢を手足のように自在に操り勝利を得る」まさに名将だったと考えられます。
光秀のライバル「羽柴秀吉」は、家来の「蒲生氏郷」に対して、自分で刀を奮って先陣で戦うことをやめるように注意した、という逸話があります。
明智光秀は、軍をひきいる将となったあと、おそらくほとんど刀を抜いたことがないと考えられます。
まとめ
本日の記事をまとめますと
1,明智光秀の愛刀は、「明智近景」「倶利伽羅郷」「切刃貞宗」などがある
2,光秀の愛刀「明智近景」は、その銘を削られて、現存している
3,「明智近景」は「井伊美術館」に所蔵されている
以上となります。
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