明智光秀の死因は何?本能寺の変を起こした動機・理由や真実を解説!

明智光秀の死因は何だったのか?

なぜ本能寺の変を起こしたのか?

最新の説による真実を解説いたします。

実は、天王山はそれほど重要じゃなかった?


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この記事を短く言うと
・光秀の死因は、腰への槍の一撃、そして切腹

本能寺の変の動機は、主君「織田信長」が命令をコロコロ変えたため、光秀が愛想を尽かしてキレたこと

・光秀が豊臣秀吉に敗北した「山崎の戦い」で、後に「運命の分かれ道」を意味する言葉となる場所「天王山」は、あんまり重要じゃなかった


明智光秀の死因とは?

主君・織田信長を「本能寺の変」で殺害した逆臣・明智光秀

本能寺の変が起こったのは1582年6月2日。

光秀が亡くなったのは、11日後の6月13日。

「山崎の戦い」で、羽柴秀吉が率いる4万の軍団に、わずか1万数千で相対した光秀。

わずか数時間の戦いで敗北した光秀は、居城である「坂本城」へ敗走する最中、小栗栖(現在の京都市伏見区)で落ち武者刈りに遭遇し、腰骨あたりを錆びついた槍で突かれたのだそうです。

その槍の傷は致命傷だったらしく、死を悟った光秀は、家臣に介錯を頼んで切腹。

光秀の首は、近くの溝に隠されたということですが、発見されて結局は京都で晒されたと言われています。

死因は・・・・切腹からの介錯・・・。または腰骨のあたりへの負傷と出血。

「三日天下」と言われた光秀の天下・・・実際には11日でしたが・・・最期は無惨なものだったようです。


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本能寺の変を起こした動機・最新の説とは?

本能寺の変・・・・・これまで光秀の突然の謀反は、動機が「謎」とされてきました。

「足利義昭」や「朝廷」「近衛前久」「秀吉」「家康」などの『黒幕説』や、光秀による『単独犯説』など、あらゆる説が唱えられていたのです。

最新の研究では、光秀は「朝令暮改を繰り返す信長に愛想を尽かした」という説が有力。

本能寺の変が起こった「6月2日」は、信長の三男「信孝」と重臣「丹羽長秀」が、「四国方面軍」を出撃させて四国の「長宗我部元親」討伐を開始する日の前日でした。

長宗我部元親は、元々「織田信長」へ降伏したいと申し出ていた人物。

長宗我部は、信長に降伏するため、光秀と長い間「交渉」をしていたのです。

実は、長宗我部元親は四国を制圧する直前までいっていました。

しかし、降伏するにあたり、四国の4カ国の内、2カ国を信長に差し出すように・・・と光秀は迫っていたのです。

それをなんとか納得させた光秀・・・。それなのに信長は突如として態度を変え「3カ国よこせ」と言い出しました。

命令に従い、光秀は交渉を再開。長宗我部元親は、渋々「土佐一国」以外、全ての領地を差し出すことで納得。

するとまた信長は気が変わり、長宗我部を滅ぼして4カ国全てを手にしようと言い出し、三男「信孝」を司令官に任命して方面軍を差し向けたのです。

面目を潰された光秀は、信長の朝令暮改に嫌気が差し、自分との交渉に応え続けてくれた長宗我部を守るために、信長を殺害・・・。

最近の研究では、これが最も有力な説と言われているみたいですね。


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実は「天王山」は重要じゃなかった?

光秀と秀吉が、互いの運命をかけて戦った「山崎の戦い」

この「山崎の戦い」は「天王山」という場所を制圧したほうが勝利できる!とされてきました。

しかし、天王山の争奪戦は「創作」である可能性が高いと言われています。

「太閤記」などの資料では、「天王山」を制圧したことで、一気に流れが変わり、光秀は敗北した・・・ということになっているのですが、「一次資料」で信憑性の高い「浅野家文書」「秀吉事記」などに「天王山争奪戦」は全く登場しないのです。

つまり・・・天王山はそれほど重要だったわけではなく、もっといえば、「天王山争奪戦」自体が行われていたかどうか、それすら怪しいのだとか・・・。

この「山崎の戦い」から、「運命の分かれ道」「勝敗を分ける正念場」を「天王山」と言うようになったのですが、実際には天王山は、秀吉と光秀の運命を分けた場所ではなかった・・・ということですね。

山崎の戦いは、序盤「光秀」優勢だったと言われてきましたが、実際には戦闘開始直後から秀吉の圧勝だったみたいです。

まぁ、秀吉軍のほうが「3倍」近い兵力だったのだから、当然といえば当然ですけどね。


信長は本能寺の変で死んでいない」という説について考察いたしました。

ぜひ以下のリンク記事をご利用下さいませ。

↓↓↓↓↓

「[織田信長]本能寺の変で死んでない?真実と黒幕を分かりやすく簡単に解説」の記事はコチラ

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まとめ

本日の記事をまとめますと

・光秀の死因は「腰骨あたりへの槍の一撃」からの切腹

・本能寺の変の動機は、「朝令暮改の織田信長」に、光秀がキレた

・秀吉との山崎の戦いで、天王山は重要じゃなかった

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


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