明智光秀はなぜ織田信長を裏切った?最新説『徳川家康の陰謀』を考察

「本能寺の変」という事件を起こし、戦国の覇者「織田信長」を討ち果たした「明智光秀」。その光秀は、信長が最も信頼した部下でした。

信長から最も信頼された光秀は、なぜ主君「織田信長」を殺害したのでしょうか?

その理由について、昔から数多くの説があり、今も論争が続いているため、はっきりとはわかっていません。

この記事では、「光秀がなぜ信長を裏切ったのか」について、「最新の説」を解説いたします。

最新説は主に2つあります。「朝令暮改を繰り返す織田信長に、光秀がキレた」。そしてもう一つが「光秀は徳川家康と協力し、中国大陸で戦争を繰り返そうとする信長を止めた」という説。

この記事では「光秀がなぜ信長を裏切り殺害したのか」について知りたい方のために、「最新説」をわかりやすく解説しております。

これを読めば、「本能寺の変の動機」について、簡単に理解できます。

当記事を皆様にお役立ていただければ幸いです。


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どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。

この記事を短く言うと

  1. 「明智光秀」が「織田信長」を裏切った理由は、最新の説によると「信長の朝令暮改に光秀がキレた」説と、「徳川家康と協力して、織田信長の大陸侵略を止めた」説の2つがある。
  2. 2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」の「麒麟」とは、中国における伝説上の神獣。「王が民衆を大切にする政治をおこなえば姿を現し、悪い政治をおこなえば王を滅ぼす」と言われている。
  3. 「明智光秀」は、「織田信長」が最も信頼した部下だった。その支配地域の生産高は「240万石」。「羽柴秀吉」の支配地域「120万石」の実に2倍もの広大な地域を支配していた。

明智光秀はなぜ織田信長を裏切ったのか?

「信長の朝令暮改に光秀がキレた」説

光秀が信長を裏切った理由・・・最新の説によると、「朝令暮改を繰り返す織田信長に、明智光秀がキレた」というものがあるのだそうです。

《明智光秀》
「引用元ウィキペディアより」

これは東京大学の「本郷和人」先生が言っていた説です。

織田信長は天下統一を目指して戦いを繰り広げていました。

《織田信長》
「引用元ウィキペディアより」

そんな中、四国の戦国武将「長宗我部元親(ちょうそかべ もとちか)」は、信長に臣従して後ろ盾となってもらい、四国統一を目指して戦いを繰り広げていました。

《長宗我部元親》
「引用元ウィキペディアより」

そんな長宗我部元親に対し、信長は突如「四国の領土を半分よこせ」と、無茶な要求をし始めます。


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「斎藤利三」・・・・・・明智光秀が最も信頼した重臣です。この斎藤利三の妹が長曾我部元親の妻でした。その関係から、光秀と長宗我部元親は、とても親しい関係にあったのです。

《斎藤利三》
『引用元ウィキペディアより』

その縁もあって、光秀は得意の外交で「長宗我部元親」と交渉。四国の領土半分を信長に差し出すことで合意します。

ところが信長は、突如「四国の4分の3をよこせ」と、さらに難しい要求をし始めます。

なぜ信長が、こんな要求をし始めたのかというと、四国で長宗我部元親と争っていた信長の仇敵「三好康長」が、「羽柴秀吉」の協力を得て、信長に臣従を申し込んできたからです。

三好康長は「羽柴秀吉」の甥「秀次(のちの関白「豊臣秀次」)」を養子とし、秀吉と協力して信長に取り入ろうとします。

その三好康長と羽柴秀吉の願いを聞き入れた信長は、三好康長を救うために、長宗我部元親に対して無理な要求を繰り返したのでした。

これに怒った長宗我部元親でしたが、光秀の必死の説得により、再び交渉はまとまり、「四国の4分の3」を差し出すことで合意。

これで終わりかと思いきや、信長は突如「四国の長宗我部氏を滅ぼして、四国全土を手に入れる」と宣言。

自分の三男「神戸(織田)信孝」に重臣「丹羽長秀」をつけて、3万の大軍団で四国を攻撃しようとします。


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これに明智光秀はキレます。

散々無茶な要求を繰り返した挙げ句、最期にはすべての約束を反故にして、長曾我部を滅ぼそうとする・・・。

これでは必死で長宗我部元親と交渉した光秀の苦労は水の泡。メンツ丸つぶれです。

織田信孝が率いた四国討伐軍は、【1582年6月2日】に四国へ向けて攻撃を開始する予定でした。

これを阻止するため、明智光秀は同じく【1582年6月2日】の夜明け頃に、京都の「本能寺」で織田信長を襲撃。討ち取ってしまうのです。


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摂津国・住吉というところで出撃を待っていた信孝らの軍団は、この「本能寺の変」の知らせを聞いて混乱。

3万いた軍団は逃亡者が相次いで、一気に数千にまで減ったと言われています。

この後、中国地方から2万の軍団を率いた「羽柴秀吉」が帰還。信孝は4千の軍を率いて秀吉軍と合流。

《豊臣秀吉》
「引用元ウィキペディアより」

6月13日】に「山崎の戦い」で「明智光秀」を撃破し、光秀は「小栗栖(おぐるす)」というところで落ち武者狩りにあって亡くなるのでした。

長宗我部元親は、「本能寺の変」の後も四国統一を目指して戦いを続け、目標を達成。

その後「豊臣秀吉」の討伐軍に敗北して臣従。

「土佐」一カ国のみを支配する戦国大名へと転落することになるのです。


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「徳川家康と協力して、信長を止めた」説

明智光秀の末裔「明智憲三郎」氏が、著書「本能寺の変 431年目の真実」の中で唱えておられる説です。

「日本統一を果たした後、信長は朝鮮半島を通って中国大陸へ侵略戦争をしかけるつもりだった」

というのです。

明智憲三郎氏の説によると、その経緯は以下の通り

「大陸侵略計画」を聞いた光秀は、天下統一をした後もさらに、見たこともない大陸で戦わされることにウンザリしたのだとか。

そんな中、信長は長年同盟者として協力してきた東海道の戦国大名「徳川家康」暗殺を計画します。

《徳川家康》
「引用元ウィキペディアより」

信長はその計画を、最も信頼した家来の「明智光秀」に伝えるのです。

光秀はこの「家康暗殺計画」を逆に利用します。


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家康にこの暗殺計画を打ち明け、逆に「織田信長を殺害してしまおう」と持ちかけたのでした。

これに乗った家康は、「本能寺の変」の直後に伊賀国を通って、領地の三河国へ帰還。

家康は明智光秀へ援軍を差し向けようとしますが、「羽柴秀吉」が予想以上の速さで帰還し、光秀を撃破。

光秀を助けることが出来なかった家康は、結局「羽柴秀吉」に臣従してしまいます。

明智憲三郎氏の説によると、家康は「清須会議」の際に秘密裏に秀吉と会談し、「信長暗殺」に家康が加担していた件を秘密にすることで合意したのだとか。

こうして「明智光秀・徳川家康」による「信長暗殺」は成功はしたものの、光秀が討たれるという形になってしまうのでした。

家康は「光秀」に救われた恩を忘れず、その名前の一字「光」の字を、孫の三代将軍「徳川家光」に継承させた・・・とのことです。

余談ですが、「徳川家光」の乳母(教育係)は、明智光秀の重臣「斎藤利三」の娘である「春日局」です。

「春日局」は家光からの絶大な信頼を勝ち取り「大奥」を創設。絶大な権力を振るうこととなるのです。


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大河のタイトルはなぜ「麒麟」?『麒麟の伝説』を解説

2020年の大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」ですが、「明智光秀」がなぜ「麒麟」というタイトルのドラマで主人公をつとめているのでしょうか?

麒麟とは、中国における伝説上の生き物。我々が知っている「首の長い」あの「キリン」とは別ものです。

《麒麟(きりん)》
「引用元ウィキペディアより」

麒麟とは、中国では「鳳凰(ほうおう)」と並ぶ神獣です。

伝説によると、麒麟は「王が国民に対して思いやりに満ちた良い政治を行った際に、人前に姿をあらわす生き物」なのだとか。

「至治の世(しちのよ・天下が平和に治まる世のこと)に、麒麟は現れる」

そういう伝説があるのです。


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「麒麟児(きりんじ)」・・・・・・これは「天才児」という意味です。たとえば尼子家に仕えて「毛利元就」と戦った猛将「山中鹿之助幸盛」は、「山陰の麒麟児」という異名を取りました。

そして「麒麟」は、「優れた才能・能力を持つ者」をあらわす言葉としても使われているのです。

「麒麟がくる」で、「明智光秀」はこの「麒麟児」・・・つまり「優れた能力を持つ天才」として登場するのでしょう。

もう一つ、「麒麟」は「民を苦しめる悪い政治を行う王様を滅ぼす生き物」であるとも言われています。

大河ドラマ「麒麟がくる」で、おそらく「織田信長が悪政を行った」として、麒麟児「明智光秀」に討ち取られる・・・というストーリー展開になるのでしょう。

実は織田信長と「麒麟」には、一つの「つながり」があります。

1565年】、信長が上洛する3年前のことです。

この年から、信長は自分の花押・・・つまりサインに「麒麟」を意味する「麒」という文字を使い始めているのです。

この「1565年」に、征夷大将軍「足利義輝」が「三好三人衆」に暗殺される事件が起こっています。そして同年、足利義輝の弟「足利義昭」が、織田信長に対して「上洛」を要請しています。

もしかするとその「上洛要請」の使者が、「明智光秀」だったのかもしれません。

そう考えればこの「麒麟の花押」を使い始めた頃に、「織田信長」と「明智光秀」は出会ったとも考えられます。


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光秀は織田信長が最も信頼する部下だった

「本能寺の変」は、当時としてはとても驚くべき大事件でした。

今で言うなら「世界最強の国『アメリカ』の大統領が暗殺された」ような、天地をひっくり返したような大騒ぎとなる事件であったと考えられます。

そしてもう一つ、この事件には驚くべき点があります。

「織田信長」を討ち取ったのが、信長が最も信頼した部下「明智光秀」だったことです。

例えて言うなら

「アメリカ大統領が暗殺された。暗殺した犯人は、大統領がもっとも信頼した副大統領だった」

というようなものです。

240万石・・・・・明智光秀が織田信長から支配を任されていた地域の「米の生産高」です。

1石は「米俵2.5俵」なので、年間「600万俵」のお米が取れる地域を、光秀は任されていたことになります。(これは光秀が直接支配していたわけではなく、「与力大名」と呼ばれる信長から派遣された戦国大名の支配地域も含めている)

同時期に信長から信頼された武将「羽柴秀吉」の支配地域は「120万石」。

光秀のちょうど半分。

明智光秀がどれほど織田信長から信頼されていたのかがうかがいしれます。


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信長は光秀を信頼していたのみならず、とても大切に思っていたようです。

1576年】、「天王寺の戦い」において、織田信長は命がけで「明智光秀」を救出しています。

「天王寺砦」で「本願寺一向宗」の軍団に包囲された「明智光秀」。

信長はこれを救出するために、わずか「3000」の軍団で「15000」の本願寺軍に突撃。

この時、信長は足軽に混じって最前線で激闘を繰り広げ、足を負傷しながらも光秀を救出したのだとか。

信長が最も信頼した部下「明智光秀」・・・・。

そんな明智光秀が信長を討ち取ったからこそ、「本能寺の変」は当時、人々を驚愕させたのです。


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『光秀と信長の関係』について「ひとこと」言いたい!

光秀の前半生は、よくわかっていません。実は光秀、信長に仕えるようになったのは「40~50代」になってからと考えられているのです。

それまでの光秀は、戦国武将「細川藤孝」の「足軽」、つまりは一兵卒として仕えていた人物なのです。(一説によると越前の大名「朝倉義景」にも仕えていたのだとか)

そんな芽の出ない光秀を見出したのが「織田信長」です。

「天下に面目を施した」・・・・・・・・信長は「明智光秀」による「丹波国攻略」を絶賛。のちの天下人「羽柴秀吉」よりも評価していました。

  • 「信長は信濃・諏訪において、理不尽な理由で光秀を殴りつけた」
  • 「徳川家康を接待する席で、信長は光秀に怒鳴り散らした」
  • 「信長は、光秀が丹精込めておさめた坂本・丹波国の領地を取り上げ、出雲国・石見国という【毛利氏】が支配していた敵地への領地替えを命令した(実質的な領地没収・改易・解雇・クビ)」

など、信長の光秀に対する嫌がらせは数々知られています。

しかしこれらの説は、秀吉が後に発表した「惟任光秀退治記」という書籍によるもの。おそらく秀吉による「でっちあげ」でしょう

現実的に考えて、信長と光秀は、「とても信頼し合った仲だった」と考えられます。

もしも二人が協力して、国内の統治を行っていたら、日本は江戸幕府の誕生を待たずして、平和を実現していたのかもしれません。


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まとめ

本日の記事をまとめますと

  1. 「光秀」が「信長」を裏切った動機は、最新の説によると「信長の朝令暮改に光秀がキレた」説と、「家康と協力し、信長の大陸侵略の野望を止めた」説の2つがある。
  2. 2020年大河ドラマ「麒麟がくる」の「麒麟(きりん)」とは、「鳳凰」と並ぶ中国の伝説上の神獣。王が仁政をおこなえば姿を現し、悪政をおこなえば王を滅ぼす、と言われている。
  3. 「光秀」は、「信長」が最も信頼し、重く用いた部下だった。光秀の支配地域は「240万石」。「羽柴秀吉」の支配地域は「120万石」。光秀は秀吉の2倍もの地域を支配していた。

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


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