川路利良の生涯と最期!「るろうに剣心」に登場した西郷を裏切った男

「川路利良(かわじ としよし)」のことが簡単に理解できる記事はいかがですか?

「日本警察の父」と呼ばれた「川路利良」の「生涯」と「最期」を、わかりやすく解説いたします。

人気漫画「るろうに剣心」にも登場した「川路利良」。

「大久保利通」を守りきれずに死なせてしまい、自らも直後に亡くなっていた。


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この記事を短く言うと

  1. 川路利良とは、「日本警察の父」と呼ばれる「警察組織」の基礎を作った人物
  2. 川路には「大久保利通を守りきれなかった」という汚名と、「西郷隆盛を暗殺しようとした」という汚名があるが、実は「西郷を暗殺しようとした」わけではない。
  3. 大久保利通が亡くなった「紀尾井坂の変」の翌年「1879年」、川路は「大久保利通」のあとを追うかのように病死している

川路利良とは何をした人?面白エピソード満載の人生だった?

幕末・明治の偉人『川路利良(かわじ としよし)』

《川路利良》
「引用元ウィキペディアより」

西郷隆盛」や「大久保利通」とともに生きた「川路利良」ですが、どういう人物だったのでしょうか?


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「川路利良」は、何をした人?

「川路利良」の功績を、短く解説いたします。

・「禁門の変」に参戦し、長州軍の主要人物「来島又兵衛」を銃撃して倒した

・「鳥羽伏見の戦い」「戊辰戦争」に参戦

・「上野戦争」に参戦

・「会津戦争」に参戦。

・東北戦争「磐城浅川の戦い」に参戦(この時、陰のうを負傷)

・「会津戦争」に参戦。

・日本の「警察制度」の確立に力を尽くした。

・日本最初の「警視総監(大警視)」に就任した。

・「西南戦争」に参戦。鎮圧に尽力した。

・後の総理大臣「黒田清隆」が、「妻を撲殺した」という疑惑を晴らすため、妻の棺を開けて調査し、病死であると発表した。

その功績の多くは、明治新政府のリーダー「大久保利通」の側近として行ったものです。

川路利良は、大久保利通が最も信頼した人材の1人なのです。


黒田清隆」が「妻を殴り殺した」という疑惑については、以下のリンク記事で、詳しく解説いたします。よろしければお役立てくださいませ。

黒田清隆の最期と生涯!酒乱で奥さん撲殺の殺人総理大臣!」の記事はコチラ

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「川路」のおもしろエピソード

川路利良には、とてもユニークなエピソードがたくさん残されています。

どうやら、結構「天然ボケ」な方だったようですね。

 

・1868年(明治元年)、「戊辰戦争」の「磐城浅川の戦い」において、川路利良は下腹部を銃撃され、「陰のう」を負傷。しかし「睾丸」は無事だったため、縮み上がることのなかった度胸を、薩摩軍からたたえられたそうです。

 

・1872年(明治5年)、フランスへ出張した川路は、パリ行の中でとてつもない『腹痛』におそわれたのです。当時の列車には当然「トイレ」などありません。そこで川路は、日本から持ってきた新聞の上に用をすませて、窓から社外へ捨てたのでした。しかしその新聞にくるまれた「モノ」が、不運なフランス人の「保線夫」を直撃。その「保線夫」さんは、新聞にくるまれた「モノ」を警察に持っていったそうです。新聞が「日本語」で書かれていたため、日本人の犯行であることが発覚。フランスの地元紙は「日本人が列車から『モノ』を捨てた」と報じてしまいました。

 

・「かまぼこ」が大好物だった川路。とても頻繁に「かまぼこ」を買いに来るので、「料理人」と勘違いされていました。


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川路利良の生涯と最期

1834年6月17日、川路利良・・・・薩摩藩・鹿児島で誕生

1864年、「禁門の変」に参戦。「久坂玄瑞」を退けた猛将「来島又兵衛」を狙撃して倒した「川路利良」は、西郷隆盛・大久保利通から、高く評価される

1868年、「鳥羽伏見の戦い」「戊辰戦争」に参戦。

同年、「上野戦争」に参戦し、旧幕府の「彰義隊」を撃破

同年、「会津戦争」に参戦。

1871年4月、西郷隆盛に誘われて、「御親兵」に同行して東京へ。

1872年10月、西欧の警察を視察。その結果、日本にも「警察」制度をつくるために尽力。この出張で列車から「新聞にくるんだ汚物を捨てた」事件が発生した。

1873年9月、帰国

同年10月、「征韓論争」により、「西郷隆盛」や「江藤新平」「副島種臣」「後藤象二郎」らが下野。(明治六年の政変

1874年、警視庁創設。同時に「大警視(警視総監)」に就任。史上最年少の「警視総監」就任記録であり、未だに破られてはいない

1877年(明治10年)2月、「西南戦争」勃発。この直前、川路は中原たちをスパイとして西郷の近くに送り込み、「シサツ」するように電報で指示を出したと言われています。これを知った西郷の教え子たち「私学校」の生徒は激昂し、西南戦争が起こったのです。川路利良も「陸軍少将」として参戦。「警視庁・抜刀隊」を率いて「田原坂の戦い」を勝利に導く。


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同年9月24日、「西郷隆盛」戦死。「西南戦争」終結

1878年(明治11年)3月、黒田清隆の「妻を撲殺した疑惑」を調査。川路は墓を開き、病死であると発表。

同年5月14日、「紀尾井坂の変」で大久保利通が暗殺される。この時「川路」は、暗殺の情報を事前に耳にしていたが、相手を侮り、無視していた

1879年1月、ヨーロッパへ警察組織の視察を目的として出張。ヨーロッパに到着した直後、病気で倒れる

同年10月8日、帰国。

同年10月13日、病死。享年46歳。政商「藤田組」による「汚職捜査」を回避するための「暗殺」ではないかと疑われたが、真偽は不明。

墓所は東京「青山霊園」。

警察博物館には「川路利良」の特別コーナーが作られており、「制服」「サーベル」などが展示されています。


黒田清隆」の「妻を撲殺した」という疑惑について、詳しく解説いたします。よろしければ以下のリンク記事をお役立てくださいませ。

「黒田清隆の最期と生涯!酒乱で奥さん撲殺の殺人総理大臣!」の記事はコチラ

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漫画「るろうに剣心」にも登場した、西郷隆盛を裏切り、暗殺しようとした「川路利良」

「るろうに剣心」に登場した「川路利良」

人気漫画「るろうに剣心」、第7巻、第54話「二人を止める者」に、「川路利良」は登場しています。

「悪・即・斬!それだけが、俺たちがただ一つ共有した真の正義だったはず」

人斬り半次郎」や「人斬り以蔵」と並ぶ剣豪「人斬り彦斎」をモデルにした主人公「人斬り抜刀斎」。その正義を忘れ、穏やかな日々をおくる「人斬り抜刀斎」に怒り

「お前のすべてを否定してやる」

と、凄まじい殺気を放ちながら襲いかかる元「新選組」三番隊組長「斎藤一

他者を寄せ付けぬほどの死闘を繰り広げる二人の実力者・・・その戦いを止めたのが「川路利良」の一喝。

川路は警察のトップとして、密偵としての活動にすぐれていた「斎藤一」を、「抜刀斎」の実力確認のための刺客として差し向けていたのでした。(川路はスパイを使うのが得意で、斉藤はスパイ活動が得意だった・・・斉藤はスパイとして新選組参謀・伊東甲子太郎などの粛清を手助けしている)

「志々雄真実」という反乱分子の暗殺を、抜刀斎に依頼しに来た「大久保利通」。その大久保と同行したのが「川路」でした。

一週間後の「5月14日」に、依頼を受けるか否かの返事を聞きに来るという「大久保利通」。

しかし運命のその日、大久保利通は「志々雄真実」の刺客「天剣のそうじろう」により暗殺。(史実では、島田一郎らにより暗殺されています)

暗殺を防げなかったことを悔やむ「川路」・・・・しかし漫画では、あくまでも「志々雄真実」が「大久保利通」を暗殺したということになっているので、「川路利良」が「島田一郎」らの情報を事前に掴んでいたことには触れられていませんでした。

川路さん・・さすがは歴戦の兵。斉藤と抜刀斎の戦いを止めるに十分な猛者だったのでしょう・・・。しかしそんな川路さんですが、この一年半後、彼は病死することとなるのです。


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西郷隆盛を裏切った??

「禁門の変」で「来島又兵衛」を狙撃し、西郷隆盛に認められた「川路利良」。

川路はその後、明治政府で出世を重ね、最終的に「警察トップ」に就任しています。

つまり、川路にとって西郷は恩人のはずなのです。

「明治六年の政変」で、西郷隆盛が明治政府を下野(げや・辞職)したとき、川路は

「私情においては忍びないが、大義のために私情を捨てて警察に身を捧げる」

と言って、西郷を追って政府を辞職した数百人の士族とは異なる選択をしました。つまり「明治政府」に残ったのです。

そんな川路ですが、「私学校(しがっこう)」をつくり、徒党を組みはじめた西郷隆盛を危険視し始めます。

川路は得意の「スパイ工作」を開始。中原尚雄たち24名を、スパイとして「私学校」へ潜り込ませます。

しかし、中原がスパイであることは「桐野利秋」らに見破られ、拷問。

そこで中原は、川路からくだされた「サイゴウヲシサツセヨ」という電報について白状します。

「シサツ」とは「刺殺」なのか、または「視察」なのか・・・。

川路はどちらを中原尚雄に命じたのでしょうか?


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もしも彼が命令したのが「刺殺」ならば、彼は「大久保利通を守れなかった人」、というだけではなく「西郷隆盛を殺そうとした人」ということにもなってしまうわけですが・・。

実はこの「刺殺」と「視察」という問題。どちらだったのかを「中原尚雄」が証言を残しています。

中原尚雄は西南戦争勃発の直後に救出され、1914年1月15日に、70才で亡くなっているのですが、その死の間際に「刺殺」ではなくて「視察」であったことを明言しています。

西郷の盟友「大久保利通」は、西郷を信頼しきっていました。まるで母親を信頼しきっている子供のように。西郷と大久保は強い信頼関係で結ばれているのです。そのため、大久保が西郷を「暗殺」するような命令を「川路」を通してくだすはずがありません。

もしも「西郷暗殺」を川路がくだしたというのなら、それは完全に川路利良の独断です。

しかし「中原尚雄」の証言によると、「視察」であったと・・。

川路利良・・・「日本警察の父」と呼ばれる人物ですが、「西郷を暗殺しようとした」わけではない、と考えられます。

現代でも川路は、「明治政府に残留したこと」「西郷暗殺を指示したこと」で、「西郷を裏切った男」と呼ばれることがあります。

しかし、これらの事情を考えてみると、「川路が西郷を裏切った」とは言えない気がします。それだけ西郷という人物の存在が大きかったということなのでしょう。


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『川路利良』について、レビュー(評論)!

川路利良・・・・その生涯は「戦争」と「警察組織の誕生と整備」に注ぎ込まれたものでした。

残した功績は、極めて大きなものがあるでしょう。しかし、生涯に渡って払拭できないほどの「失敗」があったことは、明らかだと思います。

紀尾井坂の変(きおいざかのへん)」・・・・当時の明治政府をひきいていた実質的な総理大臣「大久保利通」が暗殺された事件です。

この事件を起こしたのは「島田一郎」を主犯とする、「6名」の石川県士族たち。

実はこの「暗殺計画」、事前に「川路」へ情報が届いていました。「大久保利通暗殺計画」が「石川県士族」によってすすめられている・・・と。

しかし「川路」は何を思ったのか、この情報を無視。

「石川県人に何ができる」

戊辰戦争の時、「石川県(加賀前田藩)」は、新政府軍と戦うことなく、新政府軍に従っています。おそらくこの「新政府と戦うことなく従った」という石川県の態度が、川路の「侮り」を産んだのでしょう。

結果、「大久保利通」は無残にも暗殺されます。


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事件現場に駆けつけた「川路利良」は、涙を流しながら

「犯人は、6名の石川県士族に違いない」

と叫び、自分の手帳に書かれていた「島田一郎」らの名前を読み上げたと言われています。

その「川路の手帳」に記された「6名の士族」と、実際に犯行を行っ6名の犯人の名前は、ピッタリ一致しました。

川路は辞職を希望しますが、却下され、この事件を教訓として、要人には護衛がつくこととなるのです。


大久保利通・暗殺事件(紀尾井坂の変)」について、詳しく解説いたします。よろしければ以下のリンク記事をお役立てくださいませ。

「紀尾井坂の変を超わかりやすく解説!場所の地図や経緯、犯人のその後」の記事はコチラ

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もしも「大久保利通」が生きていたら

もしも万が一、川路が「暗殺情報」を重く受け止め、大久保の身辺警護をきびしく行っていたとしたら、おそらく大久保利通は死なずにすんだことでしょう。

そうなったら、日本の近代化は、もっと早かったかもしれません。

大久保利通の死の後、「伊藤博文」や「黒田清隆」たち大久保利通の後輩世代が政府の舵取りをすることとなります。

しかし、大久保が生きていた頃とは異なり、政府内では「酒宴」やら「宴会」が頻繁に行われるようになり、風紀の乱れがひどくなったとのことです。

川路利良・・・・大久保の死後わずか1年半で、あとを追うように亡くなっています。

もしかすると、大久保を死なせた「自責の念」が、川路を死へと追いやったのかもしれません。


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まとめ

本日の記事をまとめますと

  1. 川路利良とは、「日本警察の父」と呼ばれた、元薩摩藩士
  2. 大久保利通の側近として、明治維新に貢献。戊辰戦争で各地を転戦。その後は、明治政府で活躍。
  3. 一説によると「西郷隆盛を暗殺しようとした」と言われているようだが、暗殺の命令を受けたとされる「中原尚雄」は、暗殺命令はなかったことを死の間際に証言している。

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


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