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アインシュタインは何した人か簡単にわかりやすく解説!何がすごいの?

皆さんは「アインシュタインとは、いったい何した人なのか」を、ご存知でしょうか?

この記事の内容を簡単にまとめますと以下のとおりです。

    1. アインシュタインは、相対性理論を発表し、ノーベル物理学賞を受賞した物理学者
    2. 相対性理論とは、光と時間と重力の関係について解き明かした理論
    3. 原爆の理論を発案し、それを元にして広島長崎に甚大な被害が出たことを、生涯悔やんでいた親日家だった

この記事では「アインシュタイン」を、わかりやすく、カンタンに解説いたしました。

今はアインシュタインについて、漠然としか知らなかったとしても、大丈夫です。

これを読めば、誰かに説明できるほど、アインシュタインに詳しくなれます。

歴史専門サイト「レキシル」にようこそ。

どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。


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目次

アイシュタインは何した人?わかりやすく簡単に解説

「相対性理論の発表」と「ノーベル賞の受賞」

アルバート・アインシュタインが何した人かというと

  • 「相対性理論」を発表したこと
  • 「ノーベル物理学賞」を受賞したこと(受賞理由・光電効果の法則の発見など)

があげられます。

この二つの栄誉も手にしたアインシュタインは、まさに科学史に輝く巨星です。

相対性理論とは何か?

簡単にいえば、光と時間そして重力の関係について解き明かした理論です。

時間は人それぞれ異なった速さで流れており、それは重力や光と関係しているといいます。

アインシュタインはこんな説明をしたことがあります。

「熱いストーブの上に、1分手をあててみて下さい。

それはまるで、1時間くらいに感じられるでしょう。

では、とてもかわいい女の子と、1時間いっしょに座っているとどうだろうか?

それはまるで1分ぐらいにしか感じられない。

それが相対性です」

光速不変というシンプルな法則に基づいた、宇宙の神秘を解き明かす理論、それが相対性理論です。

1905年発表の特殊相対性理論は、時間の長さが人それぞれ異なり、光速に近づくほど時間は遅く・短く・重くなるという、光の謎を解き明かしました。

さらに1916年発表の一般相対性理論では、重力を加えることで、重いもの周りでは時間が遅く・空間がゆがむという、重力の謎にも光を当てました。

難解な理論ですが、私たちの生活に密着したGPSにも応用されています。

人工衛星から受信する電波を、相対性理論に基づいた複雑な計算で処理することで、精度の高い位置情報を提供しているのです。

まさに相対性理論は、アインシュタインの偉大な発見なのです。

アインシュタインは何がすごいの?

ノーベル物理学賞を取ったこともすごいですが、相対性理論という、時間と光と重力の関係について、人類で初めて解き明かしたことがすごいのです。

筆者個人の意見ですが、アインシュタインのすごいところは、人間の命を大切にし、平和を愛して活動したことだと思うのです。

実は、アインシュタインは、広島と長崎に落とされた原爆の理論を、最初に発見した人物なのです。(アインシュタインは原爆の開発にはかかわっていない)

そしてその理論から開発された原爆が、広島と長崎に落とされ、多数の犠牲が出たことを、アインシュタインはとても悔いていたのです。

くわしくは後述いたしますが、原爆が落とされたことを知って愕然としたり、湯川秀樹に泣きながら謝罪したりしています。

亡くなる直前には、水爆実験の反対と、科学の平和利用への賛成を訴えた「ラッセン・アインシュタイン宣言」に署名しています。

命を大切にした平和主義者。

それこそが、アインシュタインのすごいところだと、筆者は思うのです。


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プロフィールと経歴

プロフィール

アルベルト・アインシュタイン
引用元Wikipediaより

【名前】アルベルト・アインシュタイン

【出身地】ドイツ帝国・バーデン=ヴェルテンヴェルク州ウルム市

【父】ヘルマン

【母】パウリーネ・コッホ

【出身校】チューリッヒ工科大学、チューリッヒ大学

【功績】一般相対性理論、特殊相対性理論、光電効果、ブラウン運動

【受賞歴】1921年ノーベル物理学賞

【妻】ミレヴァ・マリッチ、エルザ・レーベンタール

【子】リーゼル、ハンス・アルベルト、エドゥアルト


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年表

西暦 出来事
1879年 3月14日、ドイツ南西部のバーデン=ヴュルテンベルク州ウルム市にて誕生。
1881年 妹マリア誕生。
1894年 父の会社が行き詰まり、一家はイタリアのミラノへ引っ越す。
1895年 スイスの名門、チューリッヒ連邦工科大学を受験するも失敗。翌年度の入学資格を得る。
1896年 ドイツ帝国の兵役義務から逃れるためにドイツ市民権を放棄。
1900年 チューリッヒ連邦工科大学を卒業。
1901年 スイス国籍を取得。
1902年 ベルンのスイス特許庁に就職。
1903年 ミレヴァ・マリッチと結婚。
1905年 26歳のときに3つの重要な論文を発表。「奇跡の年」と呼ばれる。
1909年 特許庁を辞職。チューリッヒ大学の助教授となる。
1910年 プラハ大学の教授となる。
1911年 ソルベー会議に招待される。
1912年 母校・チューリッヒ連邦工科大学の教授に就任。
1913年 プロイセン科学アカデミーの会員となる。
1914年 第一次世界大戦勃発。
1915年 平和主義者の小説家ロマン・ロランと出会う。
1916年 一般相対性理論を発表。
1919年 皆既日食において、太陽の重力場で光が曲げられること(いわゆる重力レンズ効果)が確認される。ノーベル物理学賞受賞。
1921年 アメリカ、イギリスを訪問。
1922年 日本を訪問。
1925年 ボース=アインシュタイン凝縮の存在を予言する論文を発表。
1930年 ベルリン郊外に別荘を建てる。
1933年 ナチスが政権を獲得。ドイツを離れ、アメリカへ移住。
1935年 アインシュタイン=ポドルスキー=ローゼンのパラドックスを発表。
1936年 アインシュタイン=ローゼン橋の概念を発表。妻エルザが死去。
1939年 ルーズベルト大統領に原子力開発の可能性を伝える手紙を送る。(この手紙の理論が基礎となり原爆が開発された)
1940年 アメリカ国籍を取得。
1945年 広島、長崎に原子爆弾投下。アインシュタインは「なんてことだ」と嘆いたという
1948年 イスラエル建国。
1952年 イスラエル2代大統領への就任を辞退。
1955年 ラッセル=アインシュタイン宣言に署名。76歳で死去。

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経歴

アインシュタインの幼少期は、言葉の遅れに両親が心配したものだったといいます。

しかし、自然界の法則に魅了され、独学で数学を習得するなど、天才の片鱗を早くから見せていました。

1879年、ドイツ南西部に生まれ、スイスの名門チューリッヒ連邦工科大学で物理学と数学を学びます。

卒業後は特許庁に勤務しながら研究を続け、1905年に「奇跡の年」と呼ばれるほど画期的な論文を4本発表。

その後、母校の教授に就任し、1921年にはノーベル物理学賞を受賞します。

しかし、ナチス政権の台頭によりアメリカへ移住し、晩年は核兵器の脅威に警鐘を鳴らし、平和活動に尽力しました。

私生活では2度の結婚を経験し、3人の子供を授かっています。

76歳でこの世を去ったアインシュタイン。

彼の残した科学的功績は、現代物理学の基盤となり、私たちの世界に計り知れない影響を与え続けています。


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アインシュタインのエピソード・逸話

モーツァルトがお好み

モーツァルトの音楽をこよなく愛し、ヴァイオリンは生涯の友と公言するほどでした。

モーツァルト
引用元Wikipediaより

幼い頃からヴァイオリンの音色に魅了され、その魅力に取り憑かれた少年だったといいます。

ある雑誌のインタビューで「あなたにとって死とは何ですか?」と聞かれた彼は、こう答えたと言われています。

「それは、モーツァルトの音楽を二度と聴けなくなること。」

彼の言葉には、音楽への深い愛情と、人生における音楽の重要性が込められています。


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勉強が苦手

少年時代から、興味のあることに熱中し、興味のないものは徹底的に後回しにしていたといいます。

学校の成績は、物理と数学だけが飛び抜けて優秀で、それ以外は落第点ギリギリだったという逸話も残っています。

大学入試にも一浪を経験し、周囲からは心配の声も上がっていたほどです。

しかし、彼の好奇心と探求心は誰よりも強く、独学で物理学と数学を極めていきます。

ノーベル賞を受賞したインタビューで、光速度の式を聞かれた際に答えられず

「どうして書いてあることを、いちいち覚えている必要があるのかね?」

と反論したというエピソードは、彼の型にはまらない自由な発想を象徴しています。

周囲の期待や世間一般の価値観に囚われず、自身の好奇心の赴くままに突き進む。

それが、彼の偉大な功績を生み出した原動力と言えるでしょう。

光を追いかける夢をみた

学生時代、昼寝をしていたアインシュタインは、光を追いかける不思議な夢を見ました。

夢から覚めた彼は、光を追いかける自分がどう見えるのかを想像し、思考実験を行いました。

この思考実験こそが、相対性理論誕生のきっかけとなったのです。

天才と称されるアインシュタインの真骨頂は、単なる知識量ではなく、想像力と論理的思考力を組み合わせ、誰も思いつかなかった発想を生み出す力といえます。

夢から得たインスピレーションを、思考実験という独自の視点で昇華させたアインシュタインの創造性は、まさに歴史に残る偉業を成し遂げた理由なのでしょう。


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死後に脳を分析すると?

アインシュタインの脳は、彼の死後もなお、科学者たちの研究対象として注目されています。

研究によると、一般人とは異なる点がいくつか確認されています。

  • 左右の脳の間の溝が浅い
  • 一般人の脳よりも軽い
  • グリア細胞という細胞が多い

これらの違いが、彼の並外れた知性と創造性を生み出した要因となったのか、科学者たちは現在も調査を続けています。

しかし、脳の構造と知能の関係は複雑であり、単純にこれらの違いが天才を生み出したと結論付けることはできません。

今後更なる研究によって、天才の脳の謎が解き明かされる日が来るかもしれません。

脳の構造と知能の関係については、

  • 左右の脳の間の溝が浅いことは、情報伝達の効率化に関係している可能性があります
  • 脳が軽いことは、神経細胞の密度が高く、効率的な情報処理が行われている可能性を示しています。
  • グリア細胞が多いこととは、つまり神経細胞をサポートし、脳機能を高める役割があることを示唆している可能性があります。

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結婚歴

大学時代の同級生ミレーバと結婚したアインシュタインでしたが、その後離婚に至ります。

離婚の原因は家庭内暴力とされていますが、慰謝料に関する逸話は興味深いものです。

まだノーベル賞を受賞していないにもかかわらず、彼は

「ノーベル賞の賞金を慰謝料とする」

という条件を提示したと言われています。

常人には到底できない大胆な発言ですが、彼は自身の才能と未来を確信していたのでしょう。

結果的に彼はノーベル賞を受賞し、その言葉通りに慰謝料を支払うことになります。

その後、アインシュタインは病を患っていた時に看病してくれた従姉妹のエルザと再婚します。

エルザは彼の晩年まで寄り添い、生涯を共にしました。

天才と称されるアインシュタインも、家庭生活においては苦悩を抱えていたことが伺えます。

彼の人生は、科学的功績だけでなく、人間としての側面も理解することで、より深く理解できるでしょう。


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日本観光で「もっとも美しく清い」と言った場所とは?

アインシュタインは、日本の京都を観光した際に、京都御所について

「もっとも美しく清い場所」

と日記に記したといいます。

京都御所(工事中)

大変な親日家で知られたアインシュタイン。

平安京の中心である京都御所を美しいと感じていただけるとは、嬉しいですね。

日記に書いたくらいだから、リップサービスではないでしょう。

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アインシュタイン名言集

科学史に名を残す物理学者アインシュタインは、ユニークな哲学者としても知られており、数多くの名言を残しています。

  • 「賢い人は問題を解決し、賢明な人は問題を回避する。」
  • 「これまで間違いをしたことのない人は、新しいことに全く挑戦したことのない人だ。」
  • 「真の天才は、自分が何も知らないことを認めている。」
  • 「私には特別な才能はない。ただ好奇心が強いだけだ。」
  • 数学を少女に教えていて、その親に礼をいわれた際に「教えた以上のことを彼女から学んでいるから礼にはおよびません」と応えた
  • 湯川秀樹に対して「原爆で何の罪もない日本人を傷つけてしまった。こんな私を許してください」と号泣して何度もお辞儀した(アインシュタインは原爆の理論の原型を発案したが、原爆の開発には関わっていない)
  • 死の前年に「もしも広島と長崎のことを、予見していたら、私は1905年に発見した公式を破棄していたよ」

これらの言葉には、問題解決への独自の視点、挑戦することの重要性、知への謙虚な姿勢などが込められています。

彼の言葉からは、科学者としての知性だけでなく、人間としての深い洞察力を感じることができます。


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まとめ

本日の記事をまとめますと

  1. アインシュタインは、相対性理論を発表し、ノーベル物理学賞を受賞した物理学者
  2. 相対性理論とは、光と時間と重力の関係について解き明かした理論
  3. 原爆の理論を発案し、それを元にして広島長崎に甚大な被害が出たことを、生涯悔やんでいた親日家だった

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして、誠にありがとうございました。

よろしければ、またぜひ当サイトへお越しくださいませ。

ありがとうございました。


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