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斎藤一の子孫は現在どこにいる?新選組最強剣士その墓は会津若松にある

『は』

新選組・三番組長「斎藤一」は、戊辰戦争後に結婚し、男の子を3人授かります。

残念ながら、子孫の方がどちらにお住まいなのか、はっきりしたことはわかりません。

なかなか「〇〇の子孫です」と言って表に出られる方は、少ないのでしょうね。

お墓の場所ですが、亡くなった時は東京府(今の東京都)で亡くなっているのに、埋葬されたのは「福島県・会津若松市」の「阿弥陀寺」です。

会津藩に全てを捧げた生涯であったことが読み取れますね。


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拙者は当サイトを運営している「元・落武者」と申す者・・・。

どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。

この記事を短く言うと

  1. 新選組・三番組長「斎藤一」の子孫は現在、「ひ孫」にあたられる「藤田太郎」さんがご存命。
  2. 斎藤一のお墓は、「福島県会津若松市」にある「阿弥陀寺」。【大正4年9月28日】、斎藤一は「胃潰瘍」で亡くなった。
  3. 斎藤一は、「山口一」「斎藤一」「山口二郎」「一ノ瀬伝八」「藤田五郎」と、生涯に5つの名前を名乗った

斎藤一の子孫!現在「ひ孫」がご存命だった

「斎藤一」の長男の長男のそのまた長男「藤田太郎」さん。

《斎藤一》
「引用元ウィキペディアより」

斎藤一の「ひ孫」さんがご存命でいらっしゃることがわかりました。

ひ孫の「藤田太郎」さんの事を調べてみたのですが、現在どういったお仕事をされているのかまでは分かりませんでした。

しかし「藤田太郎」さんは現在、「斎藤一」と「会津」との関係性についてお話して下さる講師として招かれていることを窺い知ることができました。



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斎藤一のお墓はどこ?忠誠を誓った「会津若松」に眠っている

「斎藤一」は大正4年(1915年)9月28日、胃潰瘍のため「東京府東京市本郷区真砂町」で死去しました。

往生する際には、床の間で「結跏趺坐」を組み(正座した姿という説もあり)、そのままの姿勢で亡くなっていたと伝わっています。

生前に残された本人の遺言で

「会津東軍墓地があるお寺(阿弥陀寺の事)に埋葬して欲しい」

と望まれていたため、「福島県会津若松市」の「阿弥陀寺」にお墓があります。

こちらの墓地には「会津戦争」で亡くなった会津軍の方達が埋葬されています。

戊辰戦争は各地で戦火をあげていますが、特に「会津戦争」は犠牲者が多く出たそうです。

余談にはなりますが、会津戦争は

「新政府軍 約75,000人」vs「旧幕府軍 約9,400人」

という圧倒的な人数の差がある戦でした。

会津戦争で戦った旧幕府軍の中には、女性兵も数十名いたそうです。

新政府軍については、はっきりとした数字が出ていないので割愛しますが、旧幕府軍側の被害者・犠牲者数は「2,977名」にものぼります。

そしてあの悲劇「白虎隊の自刃」も、この犠牲者数の中に含まれるようです。

あの戦争は、それだけ多くの命が奪われた凄惨な内戦でした。

常に最前線で戦っていた「斎藤一」は、仲間が多く亡くなったこの地で一緒に安らかに眠りたかったのですね。

最初から最後まで会津藩に忠誠を誓い、会津藩を愛したひとりの武士の生き様と、その覚悟がひしひしと伝わってきます。



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斎藤一にはいくつもの「別名」があった!

斎藤一は生涯で4度名前を変え、5つの名前を名乗っていました。

「斎藤 一」という名前は、新選組時代に使用されていた名前です。

つまり、この「斎藤 一」という名前も偽名であったことがわかります。

ただ、この名前で活躍したことから、「斎藤一」という名前が広く知られたものになっていますね。

一体どういう経緯で名前を度々変えることになったのか・・・・。

わかりやすく一覧表で解説していきたいと思います。

 

  • 『山口 一』・・・・・・・・・・江戸で生まれた時に付けられた名前(天保15年~文久2年
  • 『斎藤 一』・・・・・・・・・・江戸で刃傷沙汰を起こし、京都に逃亡した際に変えた名前(文久2年?慶応3年
  • 『山口 二郎(次郎とも)』・・・「伊東甲子太郎」とともに御陵衛士として新選組を脱退後、再び新選組に入隊する為に変えた名前(慶応3年?慶応4年
  • 『一瀬 伝八』・・・・・・・・・戊辰戦争後、捕虜となり尋問を受ける際に「一瀬伝八」と名乗っている(慶応4年?明治7年
  • 『藤田 五郎』・・・・・・・・・妻「高木時尾」の母方の姓「藤田」を名乗ることになる(明治7年?大正4年

 

こうして見てみると、特に意味もなく変えていたわけでなく、生き延びる為に名前を変えていたことがわかります。

「生きる」ということを諦めなかったその思いが、「斎藤一」を加護してくれていたのかもしれません。



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『斎藤一』について「ひとこと」言いたい!

私が昔「斎藤一」を調べていた頃に比べると、どんどん新しい情報が上書きされていて、やっぱり歴史は面白いなぁと思いました。

たとえば亡くなる時に「結跏趺坐」で亡くなっている、と最近の資料では書かれていますが私が調べていた時は「正座」でした。

変名も、「一瀬」ではなく「一戸」でした。

なかでも一番驚いたのは、本人の写真が現存していたことです。

平成28年(2016年)に発見され、突如浮上した情報に小躍りした程です(笑)

現代はインターネットが普及していますから、最短ルートで正しい情報を知ることが出来るのは、とても身につきますし有意義ですね。

「引用元『写真AC』より」

これからも、もしかすると斎藤一や新選組に関する新しい情報が出てくるかもしれませんね。



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まとめ

本日の記事をまとめますと

  1. 新選組の三番組長「斎藤一」。その子孫は、ひ孫「藤田太郎」さんがおられる。
  2. 斎藤一は「東京」で亡くなり、その遺言によって「会津若松市」の「阿弥陀寺」へと葬られた
  3. 「斎藤一」は、「山口一」「斎藤一」「山口二郎(次郎)」「一ノ瀬伝八」「藤田五郎」と、生涯に4度も改名した

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました



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