【久坂玄瑞】子孫と家系図を紹介!辞世の句がとてつもなく悲し過ぎる

吉田松陰の義弟「久坂玄瑞」の「子孫と家系図」、「辞世の歌とその意味」について、わかりやすく解説いたします。

「ホトトギス 血に鳴く声は 有明の 月より他に 知る人ぞ無き」

「血を吐くほどに無念だと、叫びながらも亡くなった久坂」

その久坂の子孫は、現在も福岡県で生きていた。


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この記事を短く言うと

・「久坂玄瑞」とは、禁門の変で亡くなった吉田松陰の弟子

・久坂は「吉田松陰」の義弟でもあり、芸͡妓「辰」との間に、息子「秀次郎」を残した

・辞世の歌には、久坂玄瑞の「無念の想い」がねじ込まれている

・辞世・・・「ホトトギス 血に鳴く声は 有明の 月より他に 知る人ぞ無き


久坂玄瑞の功績とは?

幕末の偉人「久坂玄瑞」

高杉晋作と並び、「松下村塾の双璧」と言われた秀才。

吉田松陰が最も愛した弟子であり、その松陰の義弟

その「久坂玄瑞」の功績や子孫、辞世について解説いたします。

『久坂玄瑞』の功績

久坂玄瑞が残した功績を短く解説いたします。

・攘夷を主張し、「奇兵隊」の前身である「光明寺党」を率い、四か国艦隊下関砲撃事件を起こした

・「禁門の変」で、長州藩を率いて御所へ進軍し、幕府軍と衝突。江戸幕府250年の平和を終わらせた

外国人を武力で討伐、追い出す「攘夷運動」。その先駆けとなったのが「久坂玄瑞」

歴史家「磯田道史」さんが言うには、「江戸幕府を終わらせた男」・・・だそうです。なぜなら、久坂玄瑞が軍を率いて幕府勢と戦った「禁門の変」は、それまで「藩」が幕府に対して戦争を仕掛けたことがない太平の250年を終わらせた大事件だったから・・・。


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子孫と家系図

久坂玄瑞の子孫、末裔は、今も残っているのでしょうか?

久坂玄瑞の妻は、吉田松陰の妹「文」

二人の間に子供はいませんでした。

しかし京都の芸妓「辰」が、久坂玄瑞の死後に、久坂の息子「秀次郎」を産んでいます。

「家系図の引用等はご遠慮くださいませ」

久坂玄瑞の息子「秀次郎」は、久坂家を相続。その後、台湾「大倉組」で勤務しています。

久坂の子孫として有名なのは、「久坂家略伝」を記した、玄瑞のひ孫「久坂恵一」さん。

そして、平成の現在を生きておられるのが、福岡県在住の玄孫(孫の孫)「久坂佳照」さん。

この「久坂佳照」さんは、山口県で行われた久坂玄瑞の死後150年に行われた慰霊祭に参加しておられます。

ちなみに・・・久坂玄瑞と、その妻「文」の間には子供がいなかったため、文の姉の子「粂太郎」を養子としていますが、「辰」との間に「秀次郎」が生まれたため、「粂太郎」は、「文」の二人目の夫にして実の父「小田村伊之助(楫取素彦)」の元へ戻り、「楫取道明」と名乗ります。

この「道明」は、台湾で起きた「芝山巌事件」で殺害され、亡くなっています。


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辞世の句の意味と、込められた無念の想い

「禁門の変」への経緯

それまで長州は、全国でどこの藩よりも先に、強く「攘夷」を訴えていた藩でした。

朝廷と孝明天皇は、そんな長州藩の強烈で過激な攘夷論を危険視。

そのため「八月十八日の政変」で、長州藩は「会津・薩摩」により、京都から追い出されています。

その汚名を注ぐために、長州藩は兵を京都へ送り、久坂玄瑞は軍を率いて「禁門の変」で戦います。

禁門の変で、久坂玄瑞は戦死。

会津・薩摩に敗北した長州藩は、朝廷から「朝敵」とされてしまうのでした。

辞世の歌・全文

久坂玄瑞が、死に際して残した辞世の歌。

そこには久坂の「無念の想い」が強く強く込められています。

「時鳥 血爾奈く声盤有明能 月与り他爾 知る人ぞ那起 」

(ほととぎす ちになくこえは ありあけの つきよりほかに しるひとぞなき)

この歌・・・・とてつもなく悲痛な思いが込められています。

まず、この歌に登場する「ホトトギス」という言葉の意味するところは、童謡「ホトトギスの兄弟」を知っていないと理解できません。

童謡「ホトトギスの兄弟」を、まずは解説いたします。


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「ホトトギスの兄弟」

昔々あるところに、とても兄想いの弟がいました。

弟は、「盲目の兄」を介護し、常に栄養のある「山芋」を食べさせていました。

弟は兄のために山芋を取ってきて、いつも山芋の美味しいところを兄に食べさせ、不味いところを自分が食べていたのです。

ところが盲目の兄は目が見えないせいもあって、「弟が美味しいところを食べている」・・・と勘違い・・・弟を深く恨みます。

遂に弟を殺した兄は、その腹の中を手で探り、弟が山芋の不味いところばかりを食していたことを知り、愕然とします。

後悔の念に押しつぶされて、失意のうちに亡くなった兄は、ついにホトトギスに身を変えて、泣き続けます・・・。

「オトウトヲコロシテシマッタ。オトウトヲコロシテシマッタ」

ホトトギスは、血を吐くまで泣き続けます。いつまでも、いつまでも、無念の想いを抱きながら・・・。

辞世の意味

「時鳥 血爾奈く声盤有明能 月与り他爾 知る人ぞ那起 」

(ほととぎす ちになくこえは ありあけの つきよりほかに しるひとぞなき)

この歌の意味を訳すると、こんな感じになります。

「昔話のホトトギスのように、血を吐きながら嘆くほどの、私の無念の想いと志は、有明の月を除けば、誰にもわかるまい・・・。

それほどまでに、私は無念なのだ・・・。」

久坂玄瑞・・・・「誰にも理解できないほど、血を吐いてそれでも泣き続けたホトトギスほどに、無念だ」・・・

これほどまでに、無念を滲ませる歌を残した久坂玄瑞・・・。

その意志は、久坂玄瑞と並んで「松下村塾の双璧」と称えられたもう一人の英雄「高杉晋作」に託されたのでした。


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まとめ

本日の記事をまとめますと

・久坂玄瑞は、「禁門の変」で幕府側の軍と戦い、250年の平安を終わらせた

・久坂玄瑞の末裔は、現在も福岡県に在住

・辞世の歌には、「血を吐きながら泣くホトトギス」のような、無念の想いがとてつもなく強く込められている

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


吉田松陰」「高杉晋作」について、よろしければ以下のリンク記事も、お役立てくださいませ。

↓↓↓↓↓↓

「【吉田松陰】松下村塾の門下生・塾生一覧!松陰の教えは超過激だった」の記事はコチラ
「吉田松陰と坂本龍馬の知られざる接点とは?龍馬は松陰の弟弟子だった!」の記事はコチラ
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