大久保利通の妻『大久保満寿子』の生涯!思わぬ運命に翻弄された最期

大久保利通の妻「大久保満寿子」

子供達との幸せな生活が突然壊れた波乱の人生

彼女の最期は、かなり悲しいものだった?


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この記事を短く言うと

・大久保満寿子は、内務卿(実質的な首相)大久保利通の妻

・満寿子は、大久保利通との間に「5人」の子供をもうけた

・紀尾井坂の変から間もなく、満寿子は亡くなっている


《大久保満寿子とは何者か?》

大久保満寿子(おおくぼ ますこ)

維新三傑の一人にして、明治政府の実質的首相「内務卿」を務めた「大久保利通」の妻

《大久保利通》
『引用元ウィキペディアより』

満寿子は、薩摩藩士「早崎七郎右衛門」の次女

弟は後に海軍の将校となっています。

弟「早崎七郎」は海軍少佐。もう一人の弟「早崎源吾」は海軍少将となっています。

1857年に大久保利通と結婚

どうやら、祖父から囲碁を教え込まれ、その影響で祖父を相手によく囲碁を打っていたみたいです。

1990年放送の大河ドラマ「翔ぶが如く」では、国父「島津久光」に近付こうとする夫「大久保利通」に囲碁を指南していました。

2018年放送の大河ドラマ「西郷どん」では、初登場の際に「囲碁」を打っていました。

諸説ありますが、大久保利通は当初「島津久光」に取り入るために、囲碁を学んだと言われています。その後、本当に囲碁が好きになり、負けず嫌いで「囲碁」に負けたら露骨に不機嫌になった・・・と言われています。

大久保満寿子は、1874年に上京し、大久保利通と一緒に暮らし始めます。


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《大久保満寿子の子供達について》

大久保満寿子と大久保利通の間には5人の子供がいました

「大久保利和」「牧野伸顕」「大久保利武」「石原雄熊」、外交官・伊集院彦吉の妻「芳子」

ちなみに、大久保利通には「おゆう」という妾がおり、その人との間に4人の男児がいました。

大久保満寿子の子供達は、殆どが政治家になっています。

長男「大久保利和」は、貴族院議員

次男「牧野伸顕」は、外務大臣

三男「大久保利武」は、内務官僚から貴族院議員

「石原雄熊」は、親戚である「石原家」へ養子に行って、昭和18年に亡くなっています。

「芳子」は、後の外務大臣「伊集院彦吉」に嫁いでいます。

ちなみに次男「牧野伸顕」の娘「雪子」は、内閣総理大臣「吉田茂」の妻となっており、安倍晋三政権において財務大臣兼副総理「麻生太郎」へと繋がっています。

麻生太郎さんの妹は、皇室に嫁いでいるので、大久保利通の末裔は皇室にも繋がっているということになりますね。


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《満寿子の最期!夫の後を追うかのように眠りについた》

1877年、西南戦争で、大久保利通の盟友「西郷隆盛」が戦死。

1878年5月、大久保利通は、「紀尾井坂の変」で暗殺されます。

暗殺の時、大久保利通の懐には「西郷隆盛からの手紙」が入っていたとのこと。

大久保満寿子は、夫・利通が亡くなってから、体調を崩してしまいます。

そして、大久保利通が亡くなってから半年余り・・・1878年12月7日、夫のあとを追うようにして亡くなります。

大久保利通は、非常に子煩悩で、家族を大切にした人でした。そのため、満寿子の喪失感も半端じゃなかったのでしょうね。


《まとめ》

本日の記事をまとめますと

・大久保利通の妻「大久保満寿子」・・・囲碁が得意だったという説がある

・大久保利通との間には「5人」の子供がいて、次男「牧野伸顕」は、総理大臣「麻生太郎」の曽祖父

・紀尾井坂の変で、大久保利通が亡くなると、半年余りで大久保満寿子も亡くなった

以上となります。

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大久保利通」について、よろしければ以下のリンク記事も、お役立てくださいませ。

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