坂本龍馬を中岡慎太郎が暗殺した説とは?2人は考えが違い仲悪かった

1867年11月15日、京都の醤油商「近江屋」で「坂本龍馬」は暗殺されました。

今回は龍馬の盟友「中岡慎太郎」による犯行の説を考察します。

「龍馬暗殺」は「中岡慎太郎」が犯人なのか?

また現在定説の京都見廻組「佐々木只三郎」犯行説も紹介します。


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この記事を短く言うと

坂本龍馬暗殺の犯人は「中岡慎太郎」だった、という説が存在する

・中岡慎太郎の龍馬暗殺の動機は、龍馬が「幕府を助けよう」としていたのに対し、中岡慎太郎が「幕府を倒そうとしていた」から。意見が真逆だったため

・最新の定説では会津藩主「松平容保」の命令で、「佐々木只三郎」が龍馬暗殺を実行したと考えられている


《坂本龍馬を暗殺したのは中岡慎太郎?》

現在、坂本龍馬暗殺は「京都見廻組」もしくは「新撰組」が関わったという説が一般的です。

そんな中、陸援隊隊長で坂本の盟友である中岡慎太郎が真犯人であるという驚きの説が浮上しました。

《中岡慎太郎》
『引用元ウィキペディアより』

この説が広まったきっかけは、作家・加治将一氏の著書『龍馬の黒幕』を原案としたテレビ番組でした。

番組では「龍馬暗殺」の再現ドラマが放送されたのですが、「中岡慎太郎」含め「3名の土佐藩士」が龍馬を襲い、最終的に中岡が返り討ちにあうものの、龍馬に致命傷を与えたというものでした。

インパクトある放送によって、次第に「中岡犯人説」が話題となったのです。


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加治氏によると、暗殺の舞台となった「近江屋」のはす向かいには「土佐藩邸」があることや、同じく倒幕派の「薩摩」や「長州」の屋敷もあったことから、敵対していた「見廻組」や「新撰組」が入ってきて、簡単に2人を襲うことができたのかが疑問視されています。

あまり騒ぎにならず龍馬暗殺が成功したのも、同胞である中岡らの犯行によるものだったからなのかもしれません。

また、龍馬暗殺から33年経った1900年に「元見廻組」の人物が犯行を認めましたが、事件直後の証言にその人物は含まれていないことからも、見廻組の関与は疑わしいと加治氏は考えています。

これらのことから、中岡慎太郎が犯人であるとの新説が持ち上がっているのです。


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《中岡慎太郎による龍馬暗殺の動機とは?》

さて、龍馬暗殺に中岡が関わった理由の一つとして、二人の考えが違っていたことがあげられます。

坂本龍馬と中岡慎太郎は「土佐藩出身」で、同じく土佐出身の武市瑞山(武市半平太)の元、「反幕府派」の思想を受け継いでいきました。

はじめは同じように反幕の思想を持っていた二人ですが、次第に考え方の違いが出てくるようになります。

1862年に坂本は土佐藩を脱藩し、江戸へ向かいました。

ここで幕臣である勝海舟に出会い、彼が説く「国民主権による政治」いわゆる共和政治に感銘を受け、勝の思想に染まっていきます。

一方で中岡も脱藩し、長州藩士と交流を深めており、これまで持っていた反幕思想よりもさらに過激な尊皇攘夷の思想へと転換していきました。

1866年、倒幕を目指す薩摩藩と、同じく倒幕派であるが薩摩と敵対していた長州藩が歩み寄り、薩長同盟締結。

この頃、坂本と中岡は同志として共に行動するようになりますが、二人の思想は全く異なるものだったのです。

勝海舟の思想を受け継いだ坂本は、完全に徳川家を排除するのではなく、幕府の解体後も政治に関与させて内戦を避けるため「無血革命」を考えていました。

一方で中岡は、徳川家を排除し一切政治には関わらせない武力倒幕だけを目的としていました。

幕府を守ろうとする「坂本龍馬」と、幕府を倒そうとする「中岡慎太郎」

真逆の思想を持っていた坂本と中岡ですから、中岡慎太郎犯人説が出てきたのかもしれません。


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《最新の定説!犯人は「佐々木只三郎」》

結局のところ、「中岡慎太郎犯人説」は確かな証拠がなく、推測の域を脱しないのが現状です。

現在の定説として有力なものが、「京都見廻組による犯行」です。

その実行犯は「佐々木只三郎」とされ、具体的に計画した人物に佐々木只三郎の実兄で会津藩士の「手代木勝任」の名があげられています。

手代木勝任は叔父である会津藩士・手代木家の養子となり、藩主の松平容保をよく補佐した人物でした。

実はこの手代木が死の間際に

「弟・佐々木只三郎が、松平容保の命により坂本龍馬を暗殺した」

と言い残したという記録が残っているのです。

このことから、坂本暗殺の黒幕に会津藩主・松平容保が浮かび上がります。

坂本龍馬は大政奉還を実現させ、幕府を消滅させた人物として、旧幕府側から目をつけられていました。特に、二代将軍「徳川秀忠」の末裔である「会津藩」からは、ひどく憎まれていたのです。

幕府管轄の部隊である見廻組が実行犯である可能性は、非常に高いと思われます。


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《『龍馬暗殺』について、レビュー(評論)!》

坂本龍馬がもしも生きていたら、どうなっていたのでしょうか?

龍馬は「徳川慶喜」と「旧幕府勢力」を助け、薩長土肥の勢力と協力させて「新政府」に参加させようとしていました。

転「大久保利通」・・・「徳川慶喜」の新政府参加に、断固として反対し続けた政治家です。

大久保は、徳川慶喜が新政府に参加したら、「旧幕府勢力」を優遇する政治を行うだろう、と考えており、「国民全員に平等な政治なんてできなくなる」と危機感を抱いていたのです。

版籍奉還」「廃藩置県」「徴兵令」「廃刀令

武士の特権を次々と奪う「四民平等」を目指した政策。「武士の棟梁」である「征夷大将軍」だった徳川慶喜は、間違いなくこれら「武士の特権はく奪の政策」に反対していたでしょう。

巧みな政治手腕を持つ「徳川慶喜」ならば、これらの政策を邪魔するなど簡単だったはず。

もしも坂本龍馬が生きていたとしても、おそらく「徳川慶喜」の新政府参加は実現しなかったでしょう。

超現実主義者「大久保利通」・・・もしかしたら、松平容保がやらなかったら「大久保利通」が龍馬を暗殺していたかもしれない・・・そんな気がします。


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《まとめ》

本日の記事をまとめますと

いかがでしたでしょうか。

これまで述べてきた坂本龍馬暗殺についてまとめると、

・暗殺現場の状況などから、坂本龍馬暗殺に中岡慎太郎犯人説が浮上している

・坂本と中岡は、「無血革命」か「武力倒幕」かで考えが異なっていた

・坂本暗殺犯は京都見廻組・佐々木只三郎らであることが定説とされている

といえます。

幕末に関する研究は現在も続けられています。

今後新たな発見がされる可能性もあるため、坂本龍馬に関する研究に目が離せません。

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


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