【船中八策とは】坂本龍馬が造ったわけじゃない!考案した黒幕は誰?

坂本龍馬がつくった「船中八策」

実は龍馬が作ったわけじゃなかった!では誰がつくったのか?

「船中八策」の黒幕と真実が、この記事を読めばわかる!


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この記事を短く言うと

・船中八策とは、坂本龍馬がつくった新政府の指針

・実は、「横井小楠」の作品が基礎となっている

・船中八策は、後に「五箇条の御誓文」の基礎となった


船中八策とは何か?

「船中八策」・・・・それは幕末の英雄「坂本龍馬」が、明治維新の前年である1867年に、前土佐藩主「山内容堂」に「大政奉還」を進言するために乗っていた船の中で、「後藤象二郎」に語る形で、作り上げた新国家への基本方針のことです。

その「船中八策」を簡略化して書いた物が、以下に画像を用意いたしました「新政府綱領八策」であると言われています。

≪新政府綱領八策≫
「引用元ウィキペディアより」

この龍馬直筆の「新政府綱領八策」は2つ現存しており、現在「国会図書館」と「長府博物館」に保管されています

まずは「船中八策」の内容を、簡単に現代語訳してみると以下の通りとなります。

1、幕府は政権を朝廷へ返上(大政奉還)して、朝廷を中心にして政治を行うべきこと

2、上下院を設置して、議会制度により公明正大に政治を決するべきこと

3、有能な人材を政府へ採用するべきこと

4、諸外国との不平等条約を改定していくべきこと

5、憲法を制定すべきこと

6、海軍力を増強すべきこと

7、御親兵を設置して、都を守らせるべきこと

8、金銀の交換レートを、外国と平均的なものに変更すべきこと

龍馬は「近江屋事件」で亡くなる間際まで、「新政府」の人事構想などを練り続けていたわけですが、この「船中八策」は、明治新政府の基本方針に影響を与えた・・・と言われています。


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ちなみに、「船中八策」を基礎としてつくられたと考えられる「新政府綱領八策」も、似たような内容になっています。

1、広く人材を登用すべきこと

2、有名無実の官職を廃止して、優秀な人材を選別すべきこと

3、外国との条約議定

4、憲法を制定すべきこと

5、上下両院による政治を行うべきこと

6、陸海軍を創設すべきこと

7、御親兵を組織すべきこと

8、金銀の交換レートを外国と同等のものへと変更すべきこと

ちなみに、これら8つの政策の後に、有名な「○○○」との記述があります。

「○○○自ら盟主と為り此れをもって朝廷に奉り始めて天下万民に公布云々」

この「盟主」と定められた「○○○」とは、徳川慶喜または松平春嶽ではないか?と言われています。

○○○に入る文字は「慶喜公」または「春嶽公」・・・どちらなのかは定かではないですが・・・龍馬が「挙国一致体制」を構想していたことだけは確かです。


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実は坂本龍馬が考えたものじゃなかった?黒幕は?

船中八策・・・・実は龍馬が考えたものではなかった・・・という噂もあります。

この船中八策によく似たものを、龍馬より先につくっていた人物がいたのです。

横井小楠」・・・・・勝海舟が、西郷隆盛と並んで「恐るべき逸材」と呼んだ熊本藩士・・・・幕末の日本において、「四賢侯」と呼ばれた名君の一人、福井藩主「松平春嶽」のブレーンでもあったお方です。

その横井小楠が、「国是七条」という政府の基本方針を作成しているのです。その内容は以下の通り

1、将軍は京へ上り、これまでの徳川による政治を朝廷に謝し奉ること

2、参勤交代を中止し、各藩各大名が、将軍にそれぞれの藩の状況を報告する制度へと改革せよ

3、人質として江戸に住まわせている各大名の妻たちを、各藩へ帰還させよ

4、外様や譜代などに限定せず、優秀な人材は能力主義で登用せよ

5、少人数によってすべてを決める政治体制を改め、広く賢人の意見を求める政治に改革せよ

6、海軍増強に力を注ぐべし

7、外国との貿易について、完全に国家の管理下に置いて、財政基盤として確保せよ

上に記しました坂本龍馬の「船中八策」と比べてみると「大政奉還」「海軍増強」「優秀な人材の積極登用」「貿易・金銀レート」など、重なる部分が多いことがわかります。

坂本龍馬は、1864年2月、勝海舟の使者として熊本の横井小楠を訪ねているのですがその時、横井小楠本人から直接この「国是七条」を説明してもらっているのです。

龍馬はこの「国是七条」に影響を受けて「船中八策」を作り上げたのです。


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船中八策が日本に与えた影響!「五箇条の御誓文」

「船中八策」・・・1868年に明治天皇が出した明治政府の基本方針「五箇条の御誓文」にも、大きな影響を与えたとも言われています。

以下の「五箇条の御誓文」の全文を現代語訳して、掲載いたします。

1、会合を開き、広く意見を求め、世論を大切にして政治を決定すべし

2、上下のものが心を一つにして、積極的に国家のための議論と政策を行うべし

3、公家も武家も、官も民も一体となって志を遂げて、人々の心が、行き詰ることのないようにすべし

4、古い悪習はこれを破棄し、国際法や公の道に基づく政を行うべし

5、知恵・知識を世界に広く求め、天皇政治の基礎を盛りたてるべし

「広く人材・意見を求める」「公明正大に政治を行う」「朝廷・天皇を基礎として政治を行う」など、船中八策・国是七条を基礎としていることがよくわかります。

船中八策や国是七条は、龍馬や横井小楠が願っていた通り、明治新政府の基本方針となったということですね


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「建白七策」こそが基礎?

先日、心あるお方からコメントを頂きました。

「坂本龍馬の新政府綱領八策は、上田藩士・赤松小三郎の『建白七策』こそが基礎である」

というもの。

拙者も慌てて調べさせていただきました。

赤松小三郎・・・幕末・上田藩で生まれた「兵学者」にして「政治思想家」

英国式兵学を京都の私塾で教え、東郷平八郎や桐野利秋(中村半次郎)などの薩摩藩士にもイギリス式兵学を教えたお方。

赤松小三郎さんは、勝海舟の門下生となり、長崎海軍伝習所でオランダ人から学んでいました。

慶応三年(1867年)5月に、松平春嶽島津久光、そして幕府に対して「国政改革の建白(建白七策・御改正之一二端奉申上候口上書)」を提出。

この「建白七策」は、「二院制議会」や「普通選挙」・・「国権の最高機関としての議会」「内閣総理大臣」などの「議院内閣制」まで発案されています。

坂本龍馬によって「船中八策」が作られたのが「慶応三年(1867年)6月」。

横井小楠が「国是七条」を起草したのは「文久2年(1862年)」ではあるものの、その横井小楠もまた赤松小三郎から影響を受けていた可能性があるのだとか・・・。

この赤松小三郎さん、最後の最後まで「幕府」と「薩長」の武力衝突を回避しようと奔走していたのだとか。

そんな中で、慶応三年(1867年)9月3日、赤松小三郎は上田藩への帰国途中に暗殺される事となります。

暗殺したのは、薩摩藩士にして「人斬り半次郎」と呼ばれた「桐野利秋(中村半次郎)

赤松小三郎が、京都の私塾で教えていた生徒「中村半次郎」に暗殺されてしまったのです。

誰が「人斬り半次郎」に暗殺を指示したのか?未だに謎となっているようですが・・・・。

武力衝突を避けようとしていた「赤松小三郎」・・・赤松と意見が異なる人物といえば、武力倒幕を主張していた薩摩の「西郷隆盛」か「大久保利通」・・・。

もしかすると「西郷」「大久保」が裏にいるとか???確証はありませんし、ただの想像ですがね・・・・・・・・。

最期に、当サイトを御覧いただきましたお方より、非常に素晴らしい情報をいただきましたこと、心より感謝申し上げます。自らの不明と無知を恥じておりますが、どうか今後とも当サイトをよろしくお願いいたします。ありがとうございました。


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まとめ

本日の記事をまとめますと

・船中八策とは、後に龍馬がつくった「新政府綱領八策」の基となった思想

・船中八策は、横井小楠の「国是七条」の影響を強く受けている

・船中八策・国是七条は、後の「五箇条の御誓文」にも影響している

・赤松小三郎の「建白七策」こそが、「国是七条」「新政府綱領八策」の基礎であるという説もあり

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


坂本龍馬」について、よろしければ以下のリンク記事も、お役立てくださいませ。

↓↓↓↓↓↓


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コメント

  1. 石川 浩 より:

    新政府綱領八策についての記述、楽しく読みました。 基になるのは、横井小楠が記述したと、述べられていますが、違うと思います。 私の調査結果では、その基になったのは赤松小三郎が福井藩主松平春嶽と薩摩藩主島津久光に同時に提出した、「建白七策」と思います。 坂本龍馬は、松平春嶽と暗殺されるまで数回会っています。一方、横井小楠も春嶽に近い存在で有り、両者は、小三郞の建白書を春嶽から見せられ、意見を求められていたと思います。 現在、東京の憲政記念館で開催の特別企画展示で小三郞の「建白七策」が展示されています。 最近の作家や大学の先生の間では坂本龍馬の新政府綱領八策が小三郞の「建白七策」を基にしたものである事を検証すべきと論議
    されているようです。 以上です。 何かご意見があればメール下さい。

    • rekishiru より:

      はじめまして!
      大変貴重なコメントを頂きまして、とてもうれしく思います。
      石川様!素晴らしいお言葉をくださいまして、誠にありがとうございます!
      これほど貴重な情報をいただけるとは、夢にも思っておりませんでした。
      早速私も調べさせていただきます!!

      当サイトをご利用いただけたのみならず、これほど価値あるお言葉をいただけるとは、感謝に耐えません。
      今後とも、貴重なご意見をいただけましたら、嬉しい限りです。ぜひぜひよろしくお願いいたします!

      この度は本当にありがとうございます。
      いただきました情報・ご意見をもとに、当サイトの文章も改めさせていただきたいと思います。
      本当にありがとうございます!!

      • 石川 浩 より:

        記述事項で、赤松小三郎は松代藩となっていますが、上田藩の間違いです。
        訂正されることをお薦めします。

        • rekishiru より:

          先日はおせわになりました。
          またも貴重なご指摘をいただき、ありがとうございます。
          早速訂正させていただきます。
          ご贔屓くださり、心より感謝申し上げます!
          今後ともぜひぜひ、貴重な助言を賜りたいとおもいます。
          本当にありがとうございます!!