幕末の英雄「坂本龍馬」には「3人」の姉がいたが、その1人は自害していたという噂を解説します。
坂本龍馬には、有名な姉「乙女」の他に2人の姉がいたが、その1人「お栄」は自害したのだとか。
「龍馬の脱藩」を助け、その責任をとって自害したという説があるが、実は脱藩の17年も前に亡くなっていた!
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この記事を短く言うと
・坂本龍馬には「乙女」姉さん以外にも「千鶴」「お栄」という姉がいた
・長女・千鶴は龍馬暗殺の五年前に、三女・乙女は明治12年に亡くなっている
・次女・お栄は、自害したという説があるが・・・最近では否定されている
坂本龍馬の姉たち一覧!姉は乙女だけじゃなかった
坂本龍馬は父・坂本八平、母・幸の間の末っ子の次男として生まれました。
兄(権平)と3人の姉(千鶴、お栄、乙女)がいて、長兄の権平とは21歳も年が離れていました。
長女:千鶴
坂本龍馬の長姉。龍馬より19歳年上。安芸郡安田村の郷士高松順蔵に嫁し、2男1女をもうけます。
その順蔵との夫婦生活は大変円満なものであったそうです。
龍馬はときどき安田村に姉を訪ねています。
龍馬はこの姉と義兄に良く懐いていたようで、伏見寺田屋との親しさを姉の乙女に伝える際に、引合いとして高松家の名を出しています。
千鶴が順蔵の元に嫁いだ頃、龍馬はまだ二、三歳と言う幼さであり、姉弟と言うよりは親子に近い間柄だったのでしょう。
三女:乙女
龍馬の家族の中でも龍馬の性格に影響を与えたのは、姉の乙女さん。
体が大きく、「坂本のお仁王様」というあだ名がついていて、大きい割には機敏で剣術も上手でした。
小さいころの龍馬は学問が全くできず、周囲の人々からバカにされていましたが、乙女はそんな龍馬を常にかばい、期待し続け、一生懸命剣術や学問を教えました。
今でいう落ちこぼれ、引きこもりとかにならず、未来に期待を持つことができる人間になったのは、乙女姉さんのお陰じゃないでしょうか。
姉たちのその後とは?
長女:千鶴
龍馬が亡くなる5年前、1862年に他界しています。
長男の高松太郎は海援隊に入り、坂本龍馬の死後、あとを継いで坂本直(さかもとなお)と名乗りました。
龍馬の遺志を継ぎ、弟直寛と共に北海道の開拓に尽力しました。
三女:乙女
乙女は25歳で4歳年上の藩の典医・岡上樹庵の後妻に入り、一男一女を生みますが、浮気をする夫との仲はあまり良くなく、樹庵の祖母ともうまくいかなかったようです。
男勝りに武芸も学問もできながら、料理や裁縫は苦手だった乙女は、岡上家からはあまりいい嫁と見なされませんでした。
慶応3年(1867)には離婚し、実家に戻ります。
龍馬のよき理解者として、相談に乗ったり励ましたりしたといいます。
龍馬暗殺後、坂本家に身を寄せた妻・おりょうが乙女との不仲が原因で、程なく同家を去り各地を放浪したとされていますが、近年の史料では「乙女はおりょうに対し親身に接していた」ことが明らかにされています。
晩年は養子の坂本直寛(のち北海道北見市の開拓に従事)と共に暮らします。
1879年(明治12年)、壊血病に罹り死去しました。
享年48(満47歳)
姉「お栄」が自害したって、本当か?
土佐藩士・柴田作左衛門に嫁ぎますが、後に夫に離縁されたとのことです。
坂本龍馬の脱藩時のエピソードの中で、お栄との逸話があります。
離縁された際、元夫から生前の形見としてもらい受けていた名刀「陸奥守吉行」を、脱藩にあたり刀が手にはいらず困り果てていた龍馬に渡し、それが露見して柴田に責められた際に、責任をとって自害したというエピソードです。
しかし、実際にはこの説を裏付ける史料は何も残っておらず、家系図に「柴田作衛門妻」と記載されていること以外に、お栄の事跡を確認できる同時代の史料は見当たりません。
生年も不詳で、ほぼ謎の人物と言ってもいいのです。
そして、時は流れ、昭和63年にお栄のものと見られる墓石が、嫁ぎ先である柴田家の墓石と隣り合わせに発見されました。
墓石には「柴田作衛門妻」「坂本八平女」と2行で刻まれ、この墓は姉「栄」のものであるとほぼ断定されました。
墓石に刻まれた弘化二年は1845年で、龍馬の脱藩より17年も前のことになり、栄は嫁いですぐに若くして亡くなったことになります。
この発見によって、栄の自害はともかく、柴田家を離縁されたことも疑わしく、龍馬に刀を渡せるはずもないことが証明されたのです。
まとめ
本日の記事をまとめますと
・龍馬は3人のお姉さん(千鶴、お栄、乙女)がいました。千鶴は親子の様な年齢差で龍馬はとてもなついてたとの事です。乙女は龍馬の性格に最も影響を与え、常に龍馬を応援していました。
・長女の千鶴は龍馬に先立つこと5年前に他界しています。長男は坂本直と名乗り、龍馬の後を継ぎ北海道開拓に尽力しました。
・三女の乙女は結婚がうまくいかず、離婚します。龍馬暗殺後、妻・おりょうの面倒をみています。晩年は甥の坂本直寛と暮らし、壊血病で亡くなります。
・次女のお栄は事跡が残っておらず、謎めいた人物です。龍馬が脱藩するにあたり、大切な刀剣を渡し、その責任をとって自殺したというエピソードがありましたが、現在では否定されています。
以上となります。
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