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坂本龍馬がどんな人物か分かりやすく解説!成し遂げた2つの業績とは

「坂本龍馬」が「どんな人物」なのか。彼が成し遂げた「功績」をわかりやすく解説いたします。

幕末の英雄と言われる坂本龍馬ですが、そもそも「何をした人」なのか、ご存知でしょうか?

「薩長同盟」「大政奉還」「船中八策」、教科書に登場する歴史的事件ですが、これら全部「龍馬」が成し遂げたことなのです。


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歴史専門サイト「レキシル」にようこそ。

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どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。

この記事を短く言うと

 

・坂本龍馬とは、「海援隊」「薩長同盟」「大政奉還」「船中八策」などを成し遂げた偉人

 

・特に「薩長同盟」「大政奉還」は、龍馬が成し遂げた功績の中でも、最も大きい

 

・龍馬はその大きな思想から、魅力にあふれた人物だったため、人気があるのではないか


坂本龍馬とは、何をした人なのか?

土佐藩士・坂本龍馬

『引用元ウィキペディアより』

ひとことで言うのは非常に難しいですが、まぎれもなく坂本龍馬は、近代日本への扉を開けた人です。

その発想力、行動力、決してあきらめない気持ち、同時代の人々がはるかに及ばない次元で生きた人でした。

その心は故郷の土佐はおろか、日本にもとどまらず、世界に向いていました。

海援隊、薩長同盟大政奉還船中八策…全て龍馬がやったことです。

歴史を動かした龍馬の役割は、非常に大きいものでした。



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龍馬が成し遂げた2つの業績とは?

龍馬が成し遂げたこととして、以下の2点について述べます。

(1)薩長同盟

幕末において薩摩と長州は、天下の雄藩でした。

しかしその表向きの政治色は、全く異なっていました。

薩摩は親藩(徳川家の親戚である藩)の会津と手を組み、幕府を助けて朝廷と仲良くしようとする公武合体

長州は過激な尊王攘夷であり、反幕府的でした。

結果、禁門の変において薩摩と長州の両者が激突し、長州は敗れ、薩摩憎しの思いは長州藩士の骨の髄までしみ込んだのです。

しかしながら、幕府は政権運営する力をすでに失って弱体化していました。

薩摩藩もふくめて世間では、「そんな弱い幕府に日本を任せておけない」と、討幕の機運が高まってきました。

しかし、相手は徳川家康以来、200年以上武力にて日本を治めてきた幕府です。

まだまだ軍事力は強大でした。

そんな中、誰もが薩長が手を組めば、討幕が出来るのではないかと思っていました。

つまり、「薩長同盟」は坂本龍馬が考え出したアイディアではありませんでした。

しかし、薩長は犬猿の仲。

誰もがそんなことができるとは思っていませんでした。

そこで、坂本龍馬が薩摩の西郷隆盛、長州の桂小五郎を説きます。

その根拠は感情ではなく、利害を一致させることでした。

つまり、長州は討幕の為の「銃器」が欲しかった。(長州は、幕府から銃器の売買を禁止されていたため、武器が買えなかった)

薩摩は長州を隠れ蓑にして、討幕の準備を進めたかった。

それをうまく使って、龍馬が薩長同盟を締結させたのです。

と、書くと簡単そうに聞こえますが、薩長同盟が締結できたのは、龍馬の人間的魅力が大きかったと思います。

西郷、桂とも龍馬が熱心に説得した結果、龍馬のいう事なら聞かねばなるまい、という気持ちになったのだと思います。

よほど龍馬の魅力は素晴らしかったのでしょうね。

そして、この薩長同盟は討幕の大きな原動力となるのです。

 

ちなみに、【2020年】の大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公は「明智光秀」ですが、「坂本龍馬」は「明智光秀」の子孫を自称していました。

その件について、詳しくは以下のリンク記事をどうぞ。



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(2)大政奉還

大政奉還とは、江戸幕府が政権を朝廷に返上した事です。

これは、土佐の参政「後藤象二郎」から徳川慶喜へ献策されましたが、発案は坂本龍馬でした。

当時薩長に主導を握られた土佐藩としては、土佐藩の存在価値を高める意図もあったと思います。

龍馬の意図としては、政権を返上させる事によって、薩長が討幕の戦争を起こす目的を失わせ、平和裏に改革をする事にありました。

龍馬は最後の将軍「徳川慶喜」を激賞しています。

この大政奉還により、朝廷に政権は移り、戦争は回避されたかと思うのですが、討幕派の薩長はあくまで討幕戦争を欲しました。

そこで、幕府領地の朝廷への返納をねじ込み、激怒した幕府側と戊辰戦争へと向かうのです。

 

「大政奉還」について、詳しくは以下のリンク記事をどうぞ。



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どうして坂本龍馬は、人気があるのか?

幕末において、西郷、桂、高杉晋作など、多くの人材が出ました。

しかしながら、幕府亡き後、日本の将来をどうするかといった明確なビジョンをもった人物は、龍馬だけであったと言っても過言ではないと思います。

龍馬は海援隊を率い、世界に乗り出そうとしていました。

自由貿易を目指した龍馬にとって、討幕は自分の目的を達成するためのひとつの手段にすぎませんでした。

つまり、自由貿易をするためには幕府が邪魔だから、幕府がなくなって日本がひとつになればいいじゃないかと。どれだけ人物が大きいのでしょう。

幕末の日本でそんな考えをもったのは龍馬だけであり、龍馬の人気はそんな日本人ばなれした「奇跡」の存在であったからではないでしょうか。

幕末では、人はそれぞれ薩摩人、長州人であったわけですが、龍馬だけは「日本人」でした。

そんな唯一無二の奇跡の人間だからこそ、龍馬に人は惹かれるのだと思います。



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最後に

大政奉還のわずか1か月後に龍馬は暗殺されます。

大政奉還をやり遂げてから、死ぬ。

日本史の神様がいるとすれば、神様が日本を回天させるためにつかわし、役割を終えたので天に戻したのではないかな、と思わせるような死でした。

龍馬が生きていれば、その後の日本の歴史ももっと面白くなったと思いますが、とても残念です。

以上。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました

 

「坂本龍馬暗殺」について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。



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