福井藩主「松平春嶽」と「坂本龍馬」の関係を、わかりやすく解説いたします。
日本一賢い殿様、と呼ばれた「松平春嶽」公。
幕末の英雄「坂本龍馬」の才能を一瞬で見抜き、「海軍塾」を作るために、巨額の投資をしていた。
その後、「龍馬」は新国家の「初代総理大臣」に、「松平春嶽」をすえようとしていた?
歴史専門サイト「レキシル」にようこそ。
拙者は当サイトを運営している「元・落武者」と申す者・・・。
どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。
この記事を短く言うと
・松平春嶽は、徳川家康の血を引く天才。「幕末四賢侯」の一人で、とても評価の高い名君
・春嶽は坂本龍馬の才能を一瞬で見抜き、世に送り出した
・龍馬は、新政府の首相に「松平春嶽」を考えていたという説がある
松平春嶽とは何者?
松平春嶽は、江戸時代の第16代越前福井藩主です。
「引用元ウィキペディアより」
徳川吉宗の次男・宗武から始まる田安徳川家の徳川斉匡の八男でしたが、先代の福井藩主の急死により伴い、急に養子となりました。
福井藩主となったのはわずか11歳のときでした。
徳川家慶の偏諱を賜り慶永(よしなが)と名乗りましたが、最も好んで使用したのが春嶽(しゅんがく)という号でした。
福井松平家は「御三家」「御三卿」に次ぐ、非常に家格の高い大名です。
幕末当時、薩摩の島津斉彬、土佐の山内容堂、宇和島の伊達宗城と共に「天下の四賢侯」と言われていました。
大名の中でも春嶽ほど聡明な人は少なく、しかも行動能力をもった大名でした。
ペリー来航前にすでに藩の洋式化に着手し、藩経済を米中心から産業中心に切り替えていました。
領民に種痘をさせて天然痘の死亡者数をいっきに減らしたとも言われています。
性格は言葉少なで、落ち着いていて、度量が大きかったそうです。
上に立つ人物として、非常に信頼がおける人柄だったことが想像できますね。
第14代の将軍継嗣問題で井伊直弼に敗れ、安政の大獄で隠居を命じられます。
その後、桜田門外の変で井伊直弼が暗殺されると、幕政への参加を求められます。
幕府の新しい最高行政職「政治総裁」です。
従来幕府の政治は徳川家家臣の有力譜代大名で行われており、徳川家の血族はそういう俗務には携わらなかったため春嶽としても断ったのですが、押し切られました。
当時の沸騰した時世に対応できる人材として期待されたのでしょう。
以降、明治維新に至るまで政治の中心的な人物の一人となります。
幕府ではもちろん、徳川家の連枝でありながら、明治政府になっても初期には官位につきました。
その卓抜な政治能力、人柄が求められたのでしょう。
松平春嶽と坂本龍馬はどういう関係
勝の性格は、自分以外が馬鹿に見えてしょうがないといった癖の強い人物ですが、いったん好きになった人には面倒見がよく、なんとか世に出してやろうと思うところがありました。
勝は龍馬を世に出してやろうと思い、土佐の山内容堂に会った際、脱藩の罪を許すように依頼し、あわせて容堂と仲の良い松平春嶽へ龍馬の紹介状を書いてもらったそうです。(諸説あります。)
松平春嶽は土佐郷士の龍馬と会うという事でも、身分制度を飛び越えた開明的な思想をもつお殿様だといえますね。
龍馬に会った春嶽は、龍馬の非常な理解者になりました。
そして、坂本龍馬が勝海舟とともに「神戸海軍塾」を設立する際に、五千両を貸し与えました。
また、龍馬が興した亀山社中(後の海援隊)を支援したりしました。
大政奉還後、龍馬は「土佐藩使者」という名目で春嶽に会いに行き、春嶽の新政府への参加と、龍馬が見込んだ新しい日本の財務担当官として福井藩士・三岡八郎(後の由利公正)を京にのぼらせる事を春嶽に頼んでいます。
龍馬は、新政府の初代首相に春嶽を推すつもりだった?
最新の研究によると、龍馬が示した維新後新政府設立のための政治綱領である「新政府綱領八策(船中八策)」で、龍馬が
「○○○自ラ盟主ト為リ此ヲ以テ朝廷ニ奉リ始テ天下萬民ニ公布云云」
という記述を残しているのです。
この○○○と記した人物とは、一般的には「徳川慶喜」だろうと言われていましたが、「松平春嶽」という説もあるようです。
拙者が思うに、徳川慶喜は最後の将軍なので、当然前時代である幕府臭がものすごくあり、また人柄も独善的で、言葉もきつい。
「慶喜」が新政府のトップとなったら、果たして「元サムライ」たちを優遇せず、国民全員を平等にあつかう政治を行うことができるでしょうか?大久保利通も、それを心配していました。そのため、必死に慶喜を殺害しようとしていたのです。実際、慶喜では「平等な政治」など無理でしょう。大久保利通ほど、武士の特権を奪うことができたとは思えません。
新政府での首相に求められるのは合議を司る「調整能力」ですので、それには松平春嶽は最もふさわしいと思います。やはり「慶喜公」ではなく「春嶽公」と書きたかったのではないでしょうか?
まとめ
本日の記事をまとめますと
・松平春嶽は大名の中で抜きんでて優秀だった人です。幕末の政治家として、幕藩体制から明治新政府への移行に大きな役割を果たします。
・非常に開明的で度量の大きい松平春嶽と坂本龍馬は話が合ったのでしょう。春嶽は龍馬が世に出るための大きな役割を果たします。
・龍馬が考えていた新政府の首相は、松平春嶽という説がある
以上となります。
松平春嶽は非常に聡明であり、とても優しい人ではなかったのでしょうか。
徳川慶喜、岩倉具視、山内容堂等、アクの強い人々と時勢にかなり振り回されたと思い、同情します。
一方、坂本龍馬を世に出してくれ、応援してくれた一人であり、歴史好き、龍馬好きとしては松平春嶽には感謝したいですね。
本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。
よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。
ありがとうございました
「坂本龍馬」関連記事
よろしければ以下のリンク記事も、お役立てくださいませ。
これらの記事でも「坂本龍馬」の「逸話」や「功績」を簡単に理解できるように、極めてわかりやすく解説させていただいております。
「坂本龍馬」の記事一覧
コメント