幕末・明治の英雄たちによる集合写真「フルベッキ群像写真」について、真実をわかりやすく解説いたします。
「坂本龍馬・西郷隆盛」など、幕末から明治に活躍した有名人が、仲良く集合写真を撮影していた?
実は「天皇」も「龍馬」も写っておらず、「岩倉具視」の息子たちの写真だった
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この記事を短く言うと
・「フルベッキ群像写真」とは、フルベッキを中心に「幕末・明治の英雄」が勢揃いした写真のこと
・「西郷隆盛」から「坂本龍馬」まで、英雄たちが「せいぞろい」している・・・と言われているが実際には違う
・実際に写っているのは「岩倉具視」の息子たち
フルベッキ群像写真とは何か?
フルベッキ群像写真・・・オランダ出身のアメリカ人「グイド・ヘルマン・フリドリン・フェルベック」・・・通称「フルベッキ」という学者を中心にして撮影された写真のことです。

《フルベッキ群像写真》
『引用元ウィキペディアより』
この写真ですが、どうやら「幕末・明治の偉人たちが大集合した写真」と言われているようなのです。
西郷隆盛・大久保利通・勝海舟・高杉晋作・岩倉具視・坂本龍馬・・・・挙句の果てには明治天皇まで写っている・・・なんていう説もあるほど・・。
本当にそんな写真が存在するのでしょうか?
写真の真相とは?写っている人たち一覧
「フルベッキ群像写真」に写っている人達の名前入り写真を用意しました。

《フルベッキ群像写真》
『引用元ウィキペディアより』
中心の「大室寅之祐」という人物ですが・・・・これを若き日の「明治天皇」とする説まで存在します。
明治天皇や坂本龍馬、西郷隆盛が一同に介して写真を撮影した・・・。そんなことが本当にあり得るのでしょうか?
結論から言えば、「フルベッキ群像写真」には「明治天皇」は勿論「坂本龍馬」も「西郷隆盛」も「高杉晋作」も写っていません。
明治天皇も坂本龍馬も、高杉晋作も写っていない
この写真は、「明治元年」にフルベッキの「英語学校」に岩倉具視の二人の息子「岩倉具定」と「岩倉具経」が入学した際に、それを記念して撮影されたもの。
「岩倉具経」と「岩倉具定」の兄弟が、明治元年に「フルベッキ」が教えていた佐賀の藩校「致遠館」へ入学したことは、はっきりしています。
周囲に写っている武士たちは、フルベッキの学校「致遠館」に通う弟子たち。
フルベッキの両隣に、「岩倉具経」と「岩倉具定」が座っています。

《フルベッキ群像写真》
『引用元ウィキペディアより』
この写真で「岩倉具経」と名前を入れた人物ですが、先程の「坂本龍馬」「西郷隆盛」たちの名前を入れた写真では、「岩倉具視」とされていました。
しかし、この人物が「岩倉具視」であるはずがないのです。岩倉具視の息子「岩倉具経」で間違いありません。
岩倉具経の写真と比べてみると、本人であることがよく分かるのです・・・。

《岩倉具経》
『引用元ウィキペディアより』
これが岩倉具経の写真。顔をアップにしてみます。

《岩倉具経》
『引用元ウィキペディアより』
上が、成長した「岩倉具経」
そして下が「フルベッキ群像写真」で「岩倉具経」とされている人物・・・。
同一人物で間違いないでしょう。フルベッキ群像写真で「岩倉具視」とされている人物は、実は「岩倉具視」の息子「岩倉具経」なのです。

《岩倉具経》
「引用元ウィキペディアより」
「岩倉具視」というのは真っ赤なウソ・・・・そして、この写真が岩倉兄弟入学を祝って「明治元年」に撮影されたものなら、明治維新前に亡くなっている「坂本龍馬」が写っているはずがないのです。
フルベッキ群像写真・・・・「幕末の英雄勢揃い」の写真だったら、とてもめずらしいものなのですが・・・犬猿の仲だった長州と薩摩の実力者同士が、一つの写真に写るはずがありません。
薩長同盟締結後なら、その場に幕臣だった「勝海舟」がいるはずもないでしょう。
挙句の果てには「明治天皇」が、京都御所を抜けて「フルベッキ」と写真撮影・・・ちょっと荒唐無稽にすぎるのではないでしょうか。
フルベッキは「1898年(明治31年)3月10日」に、東京赤坂葵町の自邸で亡くなっています。死因は「心臓麻痺」
墓地は東京「青山墓地」
フルベッキの子孫
7男4女、合計11人の子供がいましたが、その内3人が夭折し、横浜外国人墓地に眠っています。
孫の「ウィリアム」は太平洋戦争で日本と交戦。61歳で亡くなり、「アーリントン墓地」で眠っています。
曾孫に当たる「グイド・フリドリン・フルベッキ四世」(2014年9月現在30歳)は、アメリカの「ノーステキサス大学」で「化学」の教授をしておられます。
まとめ
本日の記事をまとめますと
・フルベッキ群像写真は、幕末の英雄勢揃いの写真・・・と言われている
・フルベッキ群像写真には、「明治天皇」「高杉晋作」「坂本龍馬」「西郷隆盛」たちが写っていると言われている
・しかし実際には、西郷も坂本龍馬も、勿論明治天皇も写っていない
以上となります。
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コメント
コメント一覧 (4件)
初めまして。
作者も分からない某ブログで「尊王攘夷志士46人衆」と言う名前入りの写真を、たまたま目にしまして・・・そんなことがあるのか!と調べ回るうちに、こちらの記事に辿り着きました。
そして記事の内容に納得していますが・・・ただ一つ、坂本龍馬と書かれている人物は、高知県で見かける肖像画(写真?)によく似ているように思います。この写真のコピーを高値で売っているサイトもありましたし、、
龍馬の部分は合成写真でしょうか?龍馬だと言われたことによる刷り込み効果なのでしょうか。
龍馬が写っているとする写真の撮影年月は、確かに暗殺される2年前が記載されていたと思います。
この度は、当サイトへお越し下さいまして、誠にありがとうございました。
坂本龍馬の写真の件ですが、おっしゃることごもっとも。
確かに「坂本龍馬」に似ている気がします。
ただ、この写真の人物が「坂本龍馬」である可能性は低いと思います。
とはいえ、「絶対に坂本龍馬じゃない」と言えるほどの物証があるわけではなく、それを明確に証明することも出来ません。
あくまでも「龍馬である可能性が低い」というだけの話です。
実はこの写真の中で「西郷隆盛」とされる人物が「杖」をついているのですが、西郷隆盛は「禁門の変」で足を銃撃されて負傷。
1864年の「禁門の変」の直後に撮影された可能性も否定は出来ない・・・のだそうです。
となると、龍馬が亡くなったのは「1867年」ですので、もしかすると龍馬が写っているのかも・・・・・・となるかもしれません。
曖昧な返答で恐れ入りますが、「龍馬じゃない」と確定はしていませんが、「龍馬である可能性は低い」と思います。
この度はお越し下さいまして誠にありがとうございました。
またぜひぜひお越し下さいませ。
ありがとうございました
失礼致しました
勝海舟が薩長の志士と一緒に写っているのがおかしいとか。坂本竜馬は勝海舟の弟子だったのですよ。
薩長同盟は勝海舟の意向で坂本竜馬が実行したのではないでしょうか。
そうだとすると、勝海舟が一緒に写っていても何の不思議もない。
この度は当サイトへお越しくださいましてありがとうございます
さらに貴重なコメントまでありがとうございます
お言葉ごもっともと存じます
もしよろしければ、またぜひ当サイトをお役立てくださいませ
ありがとうございました