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坂本龍馬は誕生日に死んだ?命日と生誕日が同じ説を徹底調査してみた

「坂本龍馬」の「誕生日」と「命日」を、くわしく解説いたします。

英雄「坂本龍馬」が、「誕生日」と同じ日に「暗殺」されていたことをご存知でしょうか?

誕生日も命日も「11月15日」

しかしこれは「旧暦」で見た場合。

現在の暦で見ると、誕生日と命日は全然ちがう日なのです。


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この記事を短く言うと

坂本龍馬は誕生日に亡くなったのではない。

・旧暦で見ると、龍馬は誕生日に亡くなっているが、「誕生日」と「命日」は新暦では異なっている

・今の暦でみると:1836年1月3日、命日:1867年12月10日となる 


坂本龍馬は誕生日に亡くなったのか?

坂本龍馬は天保6年11月15日に生まれ、慶応3年11月15日に暗殺されます。

坂本龍馬
『引用元ウィキペディアより』

これを見ると、龍馬は誕生日に暗殺されたという事になります。

ただ、この日付は幕末当時使っていた「旧暦」であり、現在使用している新暦では日付が異なってきます。

坂本龍馬が亡くなったのは旧暦では同じ日付ですが、現在使われている暦では、異なる日に亡くなっているということです。これは、どういう事でしょうか?

詳しくは次の見出しを御覧ください。



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命日と誕生日は、日付は同じでも異なる日だった?

まず、旧暦と新暦の違いについて述べます。

日本における旧暦とは1872年(明治5年)の太陽暦(新暦)採用以前に使用されていた暦法月の運行と太陽の運行を基本にした暦法のことで、太陰太陽暦とも呼びます。

太陽暦に比べて一ヶ月が短く、一年が13ヶ月になることもあり、正確性に乏しいものでした。季節の運行などは、二十四節気などで調整して用いられていました。

太陽暦(新暦)とは、地球が太陽の周りを回る周期(太陽年)を基にして作られた暦です。1

年の日数を1太陽年に近似させています。

現在、世界の多くの地域で使用されているグレゴリオ暦は、太陽暦の1種です。

太陽年の周期は、約365.242 189 44日(2015年 年央値)であり、1年を単純に365日とすると4年でほぼ1日(より正確には、約0.968758 日)のずれが生じます。

このずれを補正するために閏日が設けられています。

龍馬の誕生日と命日の話に戻りますと、旧暦では同じ日でも、現在使われている新暦で確認すると、実際には異なる日付となります。

旧暦は現在の暦のように正確ではなかったため、日付は同じでも「時期」や「季節」が異なっていました。

そのため、「年齢」意味をなさなかったため、現在のような「満年齢」ではなく、当時は「数え年」が利用されていました。

誕生日という概念にあまり意味がなかったので、毎年の誕生日を祝うという事もありませんでした。



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現在の暦でいえば、坂本龍馬の命日と誕生日は、何日?

坂本龍馬の誕生日と命日を新暦でみると、

誕生日:1836年1月3日、命日:1867年12月10日

となります。

この様に旧暦とは日付が異なります。

龍馬のお墓がある「京都霊山・護国神社」では毎年11月15日に龍馬祭が行われています。

慶応3年11月15日、京都河原町近江屋にて、刺客の凶刃に斃れた坂本龍馬と中岡慎太郎の郷里、高知県安芸郡北川村より軍鶏(しゃも)肉の寄進を受け、京都高知県人会により、ご参詣の皆さまへ軍鶏鍋が振舞われるとのこと。

何故「軍鶏鍋」かというと、坂本龍馬、中岡慎太郎が下僕・峰吉に軍鶏肉を買いに行かせている間に遭難し、郷里の味である軍鶏鍋を口にすることなく亡くなっている所以から、一番汁を両者の墓前へお進めし、ご参拝の皆さまにも同様に味わって頂こうと始められたものだそうです。

11月15日の龍馬祭は京都の大切な秋の風物詩となっているのです。

龍馬の故郷である高知ではその偉業をたたえて顕彰する祭り、龍馬まつりが行われています。

これは、毎年、龍馬の誕生日である11月15日に近い日曜日に開催されています。

ここでも、高知の11月の大切な行事となっているわけですね。

北海道の坂本龍馬記念館でも龍馬祭が行われています。

龍馬祭は龍馬の誕生日と命日、そして「北海道坂本龍馬記念館開館」と蝦夷地の「坂本龍馬像建立記念日」である11月15日に合わせて、その前後の日に毎年開催されています。

この様に、11月15日というのは坂本龍馬の誕生日および命日として、龍馬ファンにとって大切な日なのです。

ここでは、旧暦・新暦とか、新暦では日付が異なるとかを語るのは全く意味がない様です。

歴史のロマンをとても感じます。



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『龍馬暗殺』について、「ひとこと」言いたい

坂本龍馬暗殺について、今もその真相が議論されています。

現在の定説では会津藩主「松平容保」が、京都市中見廻組の「佐々木只三郎」に命じて暗殺させた、とされています。

「龍馬暗殺に謎なんてありません」

憲政史家の「倉山満」先生が、自らのyoutubeチャンネルで、そのように力強く宣言していました。

西郷隆盛・黒幕説」「勝海舟説」「中岡慎太郎説」「新選組説」・・・諸説ある中で、やはり「会津藩」がやったと考えるのが、最も自然かもしれません。



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まとめ

本日の記事をまとめますと

・坂本龍馬は天保6年11月15日に生まれ、慶応3年11月15日に暗殺されます。誕生日と命日が同一日なのです。

・上記は旧暦の話なので、新暦では異なる日でした。

・新暦では誕生日:1836年1月3日、命日:1867年12月10日となります。ただし、現代では11月15日という日が龍馬ファンにとても大切にされていて、その日の前後に各地で龍馬にちなむお祭りが開催されています。

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました



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