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高杉晋作が作った奇兵隊とは?所属メンバーを一覧でまとめてみた!

「高杉晋作」がつくった「奇兵隊」とは何なのか、わかりやすく解説いたします。

長州藩の正規軍(正兵隊)に対し「奇兵隊」は、農民などの「武士」以外で結成された軍団でした。

「奇兵隊」には、「伊藤博文」「山縣有朋」「吉田稔麿」などが所属!

しかし最強部隊「奇兵隊」の最期は、悲惨なものだったのです。


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この記事を短く言うと

・奇兵隊は、高杉晋作が結成した、身分を問うことのない画期的な部隊だった

・奇兵隊のメンバーには、その後「明治政府」を支える軍隊の将校が多数いる。特に山縣有朋は「元老」にまでなっている

戊辰戦争後、奇兵隊は一部を残して解雇処分。反乱も起きるが武力鎮圧されてしまう


高杉晋作がつくった「奇兵隊」とは何かをわかりやすく解説

高杉晋作は長州藩主「毛利家」に代々仕えてきた名門の家に生まれました。

「引用元ウィキペディアより」

18歳の時に吉田松陰が主宰していた「松下村塾」に入塾し、単なる知識ではなく物事を実践する知識として教えていく松陰に晋作は引き込まれます。

そんな高杉晋作は、超破天荒な行動力で長州藩を「徳川幕府打倒」へと導きます。

そして、長州藩は下関戦争(長州藩と、イギリス・フランス・オランダ・アメリカの列強四国との間に起きた武力衝突事件。長州藩の完敗)を引き起こすのです。



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晋作は下関戦争の後、下関の防衛を任せられますが、その際、誰も考えつかなかった革命的な案を考えます。

下関戦争の完敗により、家督を相続するだけで送ってきた武士階級がいざ戦争の時にいかに臆病で弱いかを露呈。

晋作は自分が上士階級ながらこれに腹が立ち、「志をもつ者」であれば、誰でも参加できる軍隊をつくろうと考えます。

兵に正と奇あり。正とは正規兵=長州藩の従来の藩軍。

かたや奇とは、非正規兵。奇兵隊とは正にそれで市民軍と言えます。

そして、身分を問わず農民や町人から募兵した、革命的な軍隊ができました。

「引用元ウィキペディアより」

その後、長州では奇兵隊に倣い、身分を問わない軍隊が次々に長州で創設され、それらを総称して「諸隊」と呼ばれました。

奇兵隊の隊士には藩から給与、制服、武器が与えられ、宿舎に起居するなど、近代的な軍隊の用件を満たしていました。

黒い洋式軍服を着用し、旧式な「ゲベール銃」より飛距離も命中精度も上回る「ミニエー銃」と「小太刀」を装備した奇兵隊は、西洋式にいえば軽歩兵にあたるもので、山野を駆けて敵の側背を突くといった機動戦に強みを発揮することになります。

諸隊は最も多い時期で400を数え、一大兵力として長州軍そして、戊辰戦争の官軍を支えていきます。



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奇兵隊の主要メンバー一覧

奇兵隊の主要メンバー一覧です。

奇兵隊出身者から後の明治陸軍の将官も出ています。

赤禰武人(第3代総督)、阿部宗兵衛、飯田俊助(明治陸軍中将)、飯田俊徳、伊藤伝之輔、井上唯一、入江九一(久坂、高杉、吉田とともに村塾の四天王)、内海忠勝、片山東熊、河上弥市(第2代総督)、滋野清彦(明治陸軍中将)、白井小四郎、白石正一郎(豪商・奇兵隊のスポンサー)、世良修蔵、高杉晋作、長三洲、時山直八、鳥尾小弥太(明治陸軍中将)、林友幸、福田侠平、福原豊功(明治陸軍少将)、藤田伝三郎、三浦梧楼(明治陸軍中将)、三好重臣(明治陸軍中将)、山縣有朋(軍監・第4代総督・明治陸軍元帥陸軍大将)、山口素臣(明治陸軍大将)、山城屋和助、山根孝中、吉田稔麿(久坂、高杉とともに松下村塾の三秀)、渡辺蒿蔵

奇兵隊・初代総督は「高杉晋作」ですが、晋作が総督であった時期はわずか3か月。

2代目・3代目と総督が入れ替わる中、実際に奇兵隊の実権を握ったのは、軍監の山縣有朋。

第4代総督となりその後、明治陸軍のみならず政官界の大御所、「元老中の元老」として隠然たる影響力をもつ人物にのし上がります。



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奇兵隊の最期!悲劇的な終わり方だった

奇兵隊は官軍の中心的軍隊として戊辰戦争を戦い抜きます。

その結果、討幕は成り、明治維新が始まります。

そうなると、奇兵隊他諸隊の余剰戦力が持て余されました。

そのため、長州藩は半分を御親兵として残し、もう半分は論功行賞も無く解雇という命令を下します。

しかし、解雇される者と残る者は身分によって区別されたために不満が爆発します。

旧諸隊士1200人が脱隊騒動という反乱を起こし、大森県浜田裁判所を襲撃、山口藩議事館を包囲。

民衆を巻き込んだ農民一揆も重なります。

明治新政府の木戸孝允(桂小五郎)は断固武力に寄って討伐すべしとの方針を固め、兵を率いて鎮圧に当たります。

奇兵隊などの諸隊は実戦経験が豊富で苦戦しましたが、彼らには優れた指導者がいなかったという決定的な弱点があり、崩れ始めます。

一度崩れ始めると歯止めが効かなくなり一気に総崩れし、鎮圧軍は勝利。

首謀者の「大楽源太郎」以下130人余が処刑されて騒動は終焉します。 幕末の動乱期に華やかな活躍をした奇兵隊のあまりに悲劇的な最後でした。



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まとめ

本日の記事をまとめますと

・高杉晋作が武士階級の臆病を嘆き、創設した奇兵隊。身分を問わない革命的な市民軍でした。

・奇兵隊メンバーにはその後の明治陸軍の将官も多数出ています。特に山縣有朋は明治陸軍の元老にまで成り上りました。

・戊辰戦争後、奇兵隊の一部は余剰戦力として解雇されます。それに反発した旧隊士が反乱を起こしますが、鎮圧されます。戊辰戦争での華やかな活躍の後の悲劇的な最期でした。

戊辰戦争での官軍では薩摩藩軍と並び最強とうたわれた長州の奇兵隊。

武士階級が持つ固定概念に囚われない革命的な軍隊でした。

その最期は悲劇的でしたが、間違いなく戊辰戦争勝利の一因と言えます。

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


吉田松陰」「坂本龍馬」について、よろしければ以下のリンク記事も、お役立てくださいませ。

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