【キングダム】三国志時代との繋がりを時系列で解説!信の子孫は皇帝?

人気漫画「キングダム」、その中には人気小説「三国志」の用語や登場人物の名前が度々登場しています。「諸葛亮孔明」や「楽毅」など。

「キングダム」と「三国志」はどういう関係にあるのでしょうか?

実は「キングダム」は、「三国志」の400年くらい過去を描いている作品なのです。そのため「キングダム」登場人物の末裔が「三国志」に登場している、なんてことも・・。

この記事では「キングダム」と「三国志」の関係を、簡単に理解できるよう、わかりやすく解説いたします。


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この記事を短く言うと

  1. 「キングダム」は、「三国志」の時代より400年ほど過去を描いている作品
  2. 「三国志」では、「キングダム」のキャラ「司馬尚」「呂不韋」「趙括」らの末裔が登場・活躍している
  3. 「キングダム」の主人公「李信」の末裔は、『唐』の皇帝「李淵」や「李世民」など

「キングダム」時代と、「三国志」時代の繋がりを時系列で解説

人気漫画「キングダム」と、人気歴史小説「三国志」

この2つの作品には、数々の類似性がありますが、この2つはどのような繋がりがあるのか?

「キングダム」は、「秦」という国の若き王「嬴政(えいせい)」と、その友人「信」の活躍を描いた作品。

対して「三国志演義」は、「劉備」「曹操」「諸葛亮孔明」らの英雄が、天下統一を目指して争う、という作品。

一言でいえば、この2つの作品は、舞台は現代の「中国」であるものの、時代が異なるのです。

「キングダム」の時代が先で、「三国志演義」の時代が後。「キングダム」の時代のほうが「400年」ほど先です。


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「キングダム」の時代は西暦何年?

キングダムはのちの「秦の始皇帝」である「嬴政」が、天下統一を果たすまでの作品です。

始皇帝は「紀元前246年」に13歳で王位を継承。

紀元前221年」に天下統一。

紀元前210年」に亡くなっています。

「三国志」の時代は西暦何年?

「三国志」は、光武帝「劉秀」が建てた国「後漢」王朝の時代が舞台です。

西暦184年」に勃発した「黄巾の乱」の頃から物語がスタートします。

そして「後漢」は「西暦220年」に、魏王「曹丕」に帝位を譲って滅亡。

「後漢」のあとを継いだ「魏」は「西暦265年」に滅亡。「晋」という国に乗っ取られます。

その後「西暦280年」に「晋」が、「呉」の国を滅ぼして三国を統一。三国志は幕を閉じることとなります。

 

つまり「キングダム」は始皇帝が天下統一を成し遂げるまでの

紀元前246年」から「紀元前221年」まで

の物語。

対して「三国志」は、「黄巾の乱」が勃発してから、「晋国」が天下統一を果たすまでの

西暦184年」から「西暦280年」までの物語

というわけです。


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簡単年表

始皇帝により「天下統一」が果たされた「紀元前221年」から、「黄巾の乱」が起こった「西暦184年」までの、「405年間」に何があったかというと、大陸では戦乱と平和が繰り返されていました。

「秦」→「前漢」→「新」→「後漢」→「三国時代」→「晋」

という順番に、統一国家が変わっているのです。

 

紀元前206年、「楚国」の項燕将軍の孫「項羽」の手によって、「秦国」が滅亡

紀元前202年、「項羽」を滅ぼした「劉邦」が皇帝に即位。「前漢」を建国

西暦8年、「王莽(おうもう)」が皇帝に即位し、「」を建国。「前漢」が滅亡

西暦23年、「王莽」が反乱軍に殺害される。「」滅亡

西暦25年、「劉邦」の末裔「劉秀」が皇帝に即位。「後漢」を建国。

西暦184年、「黄巾の乱」が勃発

西暦220年、「後漢」滅亡。「」の「曹丕」が皇帝に即位

西暦263年、「劉邦」の末裔「劉備」が建てた国「蜀漢」滅亡。

西暦265年、「」滅亡。「」建国

西暦280年、「」が「」を滅ぼして天下統一。


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キングダムで活躍しているキャラの子孫が、三国志で活躍

キングダムの時代のほうが「400年」ほど先であることは、わかったと思います。

実は、「三国志」には、「キングダム」に登場するキャラクターの末裔が、何人か登場しているのです。

「司馬尚」の末裔

まずは、趙国の武将「司馬尚」・・・名将「李牧」から「三大天」に推薦された名将ですが、「司馬尚」の末裔が「司馬懿仲達」

「諸葛亮孔明」のライバルである「司馬懿仲達」ですが、その孫「司馬炎」は「晋国」の皇帝に即位しています。

「呂不韋」の末裔

次に「呂不韋

呂不韋の末裔「呂凱」は、「蜀漢」の武将。

「南蛮王・孟獲」の征伐に向かう「諸葛亮孔明」に対して、「南蛮の地図」を献上し協力する武将です。

「趙括」の末裔

「キングダム」において「長平の戦い」で六大将軍の一人「王騎」に斬られた趙軍の武将「趙括(ちょうかつ)」

趙括は「三大天」の一人「趙奢(ちょうしゃ)」の息子です。

その「趙奢」「趙括」の末裔が、「馬騰」「馬超」「馬岱」

趙奢は、秦国軍を撃破した褒美に「馬服君」という称号をもらいますが、その称号の「馬」の文字を苗字に使ったのです。


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主人公『信』の子孫が皇帝に?

キングダムの主人公「信」こと「李信」将軍の子孫からは、数々の有名人が誕生。皇帝まで輩出しています。

信の息子「李超」は、劉邦が建てた国「前漢」で、大将軍となっています。

その「信」の末裔で、前漢の最盛期「武帝・劉徹(りゅうてつ)」に仕えたのが、飛将軍と呼ばれた名将「李広」です。

李広は

「桃李言わざれども、下自ずから蹊を成す」

ということわざを残した人です。このことわざを名前にした「松坂桃李」さんという俳優さんがいますね。

李広」は、後にモンゴルの騎馬民族との戦いが原因で憤死することとなる悲劇の武将です。

 

更にその「李広」の末裔が、「五胡十六国時代」に「西涼」という国を建国した王「李コウ

そのまた末裔が「遣唐使」で有名な国「唐」を建国した初代皇帝「李淵」。

李淵のあとを継いだ二代皇帝「李世民」は、「中国史上最高の名君」と呼ばれた人物です。


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『三国志』について、レビュー(評論)!

「三国志」と小説「三国志演義」は別物。有名な話ですが、小説「三国志演義」は、史実とは若干異なります。

西暦233年に生まれた「陳寿(ちんじゅ)」という人物が記した歴史書「三国志」は、「魏」「呉」「蜀」という3つの国の記録をまとめた代物。

対して「三国志演義」は、「陳寿」の歴史書『三国志』を基礎にして、「明」の時代に「羅貫中(らかんちゅう)」によって記された時代小説です。

「三国志演義」は「史実8割、創作2割」の比率で記されているのだとか。

「三国志演義」の中には、「関索」「周倉」「貂蝉」などの「史実上存在しない架空の人物」がけっこう登場しています。

また、ストーリーでも史実とは異なる扱いがなされており、小説「三国志演義」では「諸葛亮孔明」の初陣となる「博望坡の戦い」も、史実「三国志」では「諸葛亮」なしで劉備が勝利しています。

小説「三国志演義」が、歴史や史実をそのまま描いていると、恥ずかしながら拙者も勘違いしていました。


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まとめ

本日の記事をまとめますと

  1. 「キングダム」は、「三国志」の時代の400年ほど過去を描いている
  2. 「三国志演義」では、「キングダム」の登場人物「司馬尚」「呂不韋」「趙括」らの末裔が活躍している
  3. c「キングダム」の主人公「李信」の末裔は、「唐」の皇帝「李淵」や「李世民」

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

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ありがとうございました


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「【白起とは】その評価と能力がスゴイ!『キングダム』最強将軍の最期」の記事はコチラ
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