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キングダムと三国志の時系列|繋がりと年表のほか子孫を一気に解説

人気漫画『キングダム』を読んでいると、「この物語のあとに、あの有名な三国志の時代がやってくるの?」と気になった方も多いのではないでしょうか。実は『キングダム』と『三国志』は、同じ中国を舞台にしながらも、まったく別の時代を描いた作品です。とはいえ両者は無関係ではなく、時系列でつなげてみると意外なほど深い繋がりが見えてきます。この記事では、キングダムと三国志の時系列を年表で整理しながら、両者の時代がどれくらい離れているのか、そしてキングダムの登場人物の子孫が三国志でどう活躍したのかまで、わかりやすく解説します。

結論から言うと、キングダムと三国志は約400年もの時間を隔てた物語です。キングダムが描く中国統一(紀元前221年)から、三国志の幕開け(西暦184年の黄巾の乱)まで、実におよそ405年(三国鼎立まで数えると約440〜450年と言われています)。日本でいえば江戸時代の始まりと現代ほどの開きがあります。それでも両作品には「秦」「漢」という王朝を軸とした明確な繋がりがあり、登場人物の子孫や血筋(史料上明確でない伝承も含みます)を通じて物語が地続きにつながっているとされています。本記事を読めば、キングダムと三国志の関係がすっきりと理解できるはずです。

この記事のポイント
  • キングダムと三国志は約400年離れた別時代の物語であること
  • キングダム(戦国時代末期〜秦)から三国志(後漢末)までの年表と流れ
  • キングダム登場人物の子孫が三国志でどう活躍したのか
  • 主人公・李信など、三国志に繋がると言われる人物の血筋
目次

キングダムと三国志の繋がりとは?時系列で簡単に解説

始皇帝・兵馬用
Wikipediaコモンズ」より引用

まずは大前提として、キングダムと三国志がどのような関係にあるのかを時系列で確認しておきましょう。多くの人が混同しがちですが、この2つは「同じ中国史の異なる章」と考えるとわかりやすくなります。キングダムが初の統一国家の”成立”を描いた物語だとすれば、三国志はその国が一度大きく繁栄し、やがて分裂していく”再編”の物語です。両者の繋がりを理解する鍵は、秦・漢という王朝の流れにあります。ここではまず、両作品の大まかな位置づけと繋がりを整理していきます。

キングダムは「中国統一」、三国志は「分裂」の物語

キングダムは、紀元前3世紀の中国「戦国時代」の末期を舞台にした作品です。当時の中国は秦・趙・魏・韓・楚・燕・斉の七つの大国が争う乱世で、主人公の信(李信)と、のちに初代皇帝・始皇帝となる秦王・嬴政(えいせい)が、バラバラだった中国を一つにまとめあげるまでを描きます。つまりキングダムは「初の統一国家が成立する瞬間」を描いた物語なのです。一方の三国志は、その統一からおよそ400年後、繁栄を極めた漢王朝が衰退し、魏・呉・蜀の三国が天下を争って再び分裂していく時代を描きます。生まれた国が割れていく物語、それが三国志です。この「統一」と「分裂」という対照こそ、両作品の最大の繋がりであり違いでもあります。

言い換えれば、キングダムと三国志は中国史という一本の大きな川の上流と下流のような関係にあります。キングダムで嬴政が築いた中央集権という仕組みは、その後の漢王朝に受け継がれ、約400年の安定をもたらしたとされています(途中、内乱や「新」による中断もありました)。しかしその漢もやがて綻び、三国志の群雄割拠へと突入します。キングダムを読んでから三国志に触れると、「あの統一国家はこうして揺らいでいったのか」という壮大な流れが見えてくるはずです。


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キングダムと三国志をつなぐ「秦→漢→三国」の流れ

キングダムと三国志の繋がりを理解するうえで欠かせないのが、王朝の移り変わりです。流れをざっくり示すと、「秦(キングダムのゴール)→前漢→新→後漢→三国時代(三国志)」となります。キングダムのクライマックスである紀元前221年の中国統一によって秦王朝が誕生しますが、この秦はわずか15年ほどで滅亡してしまいます。その後の混乱を制した劉邦が建てたのが漢(前漢)で、ここから約400年にわたる漢の時代が続きました。やがて漢は王莽による簒奪(新の建国)を経て後漢として復活しますが、その後漢の末期に起きた腐敗と反乱こそが、三国志の幕開けとなるのです。

つまりキングダムと三国志は「秦」という王朝でいったんバトンが渡され、「漢」という長い中継地点を経てつながっています。三国志の英雄である劉備が「漢王朝の末裔」を名乗り、漢の復興を旗印にしたことを思い出すと、両作品の血脈的な繋がりがよりはっきりするでしょう。キングダムで生まれた統一国家の理念が、400年後の三国志でも人々の大義として生き続けていたわけです。余談ですが、前漢という国には、劉邦が皇帝をつとめていた時代に李超という大将軍がいました。李超は李信の息子です。

キングダムと三国志はどっちが先?時代の前後関係

「キングダムと三国志はどっちが先の時代なの?」という疑問は非常に多く寄せられますが、答えは明確で、キングダムが先、三国志が後です。キングダムの舞台は紀元前3世紀(およそ紀元前245〜221年が物語の中心)、三国志の舞台は紀元後2〜3世紀(西暦184〜280年頃。220年を開始とする見方もあります)。両者の間には約400〜450年という長い時間が横たわっています。日本史に例えるなら、キングダムが弥生時代の入り口あたり、三国志が古墳時代の前半に重なるイメージで、それほど大きな隔たりがあるのです。

この前後関係を押さえておくと、両作品を読む順番にも納得がいきます。歴史の流れに沿って楽しみたいなら、まずキングダムで中国統一までを追い、その後に三国志でその国の行く末を見届けるのが自然です。子孫や血筋の繋がりも、この時系列を理解していれば「なるほど、あの人物の子孫がここで登場するのか」とより深く味わえます。次の章では、両作品が具体的に西暦何年の出来事なのかを、もう少し細かく見ていきましょう。


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キングダムと三国志は西暦何年?それぞれの時代を解説

銅車馬(戦国時代の馬車)
Wikipediaコモンズ」より引用

キングダムと三国志の繋がりがつかめたところで、ここからはそれぞれが具体的に「西暦何年」の出来事なのかを掘り下げていきます。漫画やドラマを楽しむだけなら年代まで意識する必要はありませんが、両作品の時代を西暦で把握しておくと、約400年という隔たりの大きさが実感でき、時系列の理解が一気に深まります。ここではキングダムの時代、三国志の時代、そして両者の間に挟まる漢の時代という3つに分けて、それぞれの西暦を整理します。

キングダムの時代は紀元前3世紀の戦国時代末期〜秦

キングダムが描く時代は、紀元前3世紀の中国です。物語は秦の若き王・嬴政が即位した頃から本格的に動き出し、史実では紀元前247年に嬴政が秦王に即位、紀元前221年に中国全土を統一して始皇帝となります。つまりキングダムの物語の中心は、ざっくり紀元前245年〜紀元前221年あたりに集中していると考えてよいでしょう。この時代は「戦国時代」の終盤にあたり、500年以上続いた戦乱の世が、嬴政の手によってついに終止符を打たれる劇的な転換点でもあります。

主人公・信のモデルとなった李信将軍も実在の人物で、紀元前226年の対燕戦や、前225年頃からの対楚戦などで活躍したことが史書『史記』に記されています。キングダムは創作を交えつつも、こうした実在の人物と年代をベースに描かれているため、「紀元前3世紀の中国」という時代設定は史実にしっかり根ざしています。三国志より約400年も前、まだ初の統一帝国すら存在しなかった時代の物語なのだと意識すると、キングダムの壮大さがより際立つはずです。

三国志の時代は西暦2〜3世紀の後漢末〜西晋

一方の三国志は、西暦2世紀末から3世紀にかけての出来事を描いた物語です。一般的に三国志の幕開けとされるのは、西暦184年に起きた「黄巾の乱」。腐敗した後漢王朝に対する大規模な農民反乱で、これをきっかけに各地の群雄が台頭し、曹操・劉備・孫権らが覇を競う時代へと突入します。その後、220年に後漢が滅びて魏が建国され、続いて蜀(221年)・呉(229年)が建国されて、いわゆる「三国鼎立」の時代が到来します。最終的には280年に晋(西晋)が中国を再統一し、三国志の物語は幕を閉じます。

つまり三国志のメインの時代は、西暦184年〜280年のおよそ100年間です。キングダムの中心である紀元前221年と比べると、黄巾の乱までで約400年、三国鼎立の完成までだと450年近い開きがあることになります。同じ中国を舞台にしていても、登場する人物も国の形もまったく異なるのは、これほど長い時間が流れているためなのです。この西暦感覚を持っておくと、年表で両作品を並べたときの距離感がよくわかります。


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キングダムと三国志の間にある「漢」の400年

キングダムと三国志の間に横たわる約400年を埋めているのが、「漢」という王朝の時代です。キングダムのゴールである秦は紀元前206年に滅び、その後の楚漢戦争を制した劉邦が紀元前202年に前漢を建国します。前漢は約200年続いたのち、紀元8年に王莽が「新」を建てて一時中断しますが、紀元25年に劉秀(光武帝)が後漢を再興。この後漢が約200年続き、その末期に黄巾の乱が起きて三国志へとつながっていくのです。前漢と後漢を合わせて、まさに約400年が経過しています。

この漢の時代こそが、キングダムと三国志をつなぐ「失われた中継地点」です。教科書では駆け足で扱われがちですが、ここで中国は最初の大帝国としての制度や文化を成熟させました。三国志の英雄たちが守ろう、あるいは奪おうとした「漢」とは、まさにこの400年の蓄積そのものだったのです。秦の始皇帝による統一の理念がどのように漢へ受け継がれたのかを知りたい方は、こちらの記事も参考になります。

キングダムから三国志までの年表|400年の流れ

蘇州・世界遺産「虎丘」(筆者撮影)

ここまでで、キングダムと三国志がそれぞれ西暦何年の出来事なのかが整理できました。この章では、両作品をつなぐ約400年の流れを年表形式でひと目でわかるようにまとめます。キングダムのクライマックスである中国統一から、三国志の幕開けである黄巾の乱まで、どんな出来事を経てつながっているのか。時系列に沿って眺めることで、両作品の繋がりが立体的に見えてくるはずです。まずは大きな流れを年表で確認し、そのあとで重要な転換点を補足していきます。

キングダム〜三国志の主要年表

西暦出来事作品との関係
前247年嬴政が秦王に即位キングダム序盤
前221年秦が中国を統一、始皇帝誕生キングダムのゴール
前206年秦が滅亡キングダム後の時代
前202年劉邦が前漢を建国空白期の始まり
後25年光武帝が後漢を再興空白期の中盤
184年黄巾の乱が勃発三国志の幕開け
220年後漢滅亡、魏が建国三国時代へ
280年西晋が中国を再統一三国志の終幕

この年表を眺めると、キングダムのゴール(前221年)から三国志の幕開け(184年)まで、実に約400年もの歳月が流れていることが一目でわかります。注目したいのは、秦の統一からわずか15年ほどで秦が滅び、すぐに漢の長い時代が始まっている点です。キングダムで描かれた壮大な統一事業が、いかに短命に終わったかがこの年表からも読み取れます。そしてその漢が400年かけて成熟し、衰退した果てに三国志の群雄割拠が訪れる、という大きなうねりが見えてくるはずです。

キングダム終了後すぐに三国志が始まらない理由

「キングダムが終わったら、すぐ三国志に入るのでは?」と思いがちですが、実際には400年もの空白があります。その最大の理由は、間に「漢」という長期王朝が存在するからです。キングダムが描く秦の統一は中国史の出発点に過ぎず、その後に前漢・後漢という2つの大王朝が約400年にわたって続きました。三国志はこの漢が衰退した「終わり際」を描く物語であるため、キングダムの直後ではなく、はるか後の時代に位置づけられるのです。

もう一つの理由は、秦そのものが非常に短命だったことです。始皇帝の死後、わずか数年で秦は崩壊し、項羽と劉邦が覇権を争う楚漢戦争へと突入します。この激動の時代を経て漢が成立するため、キングダムと三国志の間には「秦の滅亡」「楚漢戦争」「漢の成立と衰退」という複数の大きな歴史段階が挟まっているのです。だからこそ両作品は地続きでありながら、別々の物語として描かれているわけです。

年表で見る両作品の「繋がり」のポイント

年表から読み取れるキングダムと三国志の繋がりのポイントは、大きく3つあります。1つ目は「秦の統一が中国という枠組みを生んだ」こと。これがなければ、三国志の英雄たちが奪い合う”天下”そのものが存在しませんでした。2つ目は「漢が400年の蓄積を残した」こと。三国志で繰り返し語られる”漢の復興”という大義は、この長い蓄積があったからこそ重みを持ちます。3つ目は「人物の血筋が世代を越えてつながっている」ことです。

特に3つ目の血筋の繋がりは、キングダムファンが三国志を読むときの大きな楽しみになります。キングダムに登場した将軍や一族の子孫が、400年後の三国志に名を残しているケースが実際に存在するのです。年表上では遠く離れた両作品が、人物の血脈を通じて一本につながっている。次の章では、この「子孫の繋がり」を具体的な人物名とともに詳しく見ていきましょう。


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キングダム登場人物の子孫が三国志で活躍

三国志・張飛の長板橋仁王立ちのシーン「Wikipediaコモンズ」より引用

キングダムと三国志の時系列を語るうえで、最も興味深いのが「子孫の繋がり」です。約400年という長い隔たりがあるにもかかわらず、キングダムに登場した将軍や一族の血筋が、三国志の時代にしっかりと受け継がれているケースが存在します。同じ姓を名乗る人物が両作品に現れることもあり、ファンにとっては「あの人の子孫がここに!」という発見が大きな楽しみになります。この章では、キングダムと三国志をつなぐ代表的な人物の子孫を、具体的に紹介していきましょう。

司馬尚と同族と言われる三国志のキーマン・司馬懿

キングダムと三国志の子孫の繋がりとして、最も有名なのが「司馬(しば)」一族です。キングダムには趙の名将・司馬尚(しばしょう)が登場しますが、この司馬氏の血筋とされる一族から約400年後の三国志で、超重要人物・司馬懿(しばい)が輩出されたと言われています。司馬懿は三国志の終盤で曹操の魏に仕え、知略をもって諸葛亮(孔明)と五丈原で激闘を繰り広げた天才軍師です。そしてその孫の司馬炎が、最終的に魏を乗っ取って晋(西晋)を建国し、280年に中国を再統一して三国志の物語に幕を下ろします。

つまり、キングダムで信や王翦と戦った趙の司馬尚の一族が、めぐりめぐって三国志を「終わらせる」役回りを担ったことになります。実際の史実上、司馬尚と司馬懿に直接の血縁関係が証明されているわけではありません(史書『晋書』では趙の将軍・司馬卬の末裔とされ明確な証拠はありません)が、同じ司馬氏として両作品をつなぐロマンある繋がりとして語られています。キングダムを読んだあとに三国志で司馬懿の活躍を追うと、「この一族はこんなに長く中国史に関わり続けたのか」と感慨深く感じられるはずです。

項燕の子孫とされる項羽が秦を滅ぼす

キングダムには楚の大将軍・項燕(こうえん)が登場しますが、彼の孫と言われるのが、のちに秦を滅ぼす英雄・項羽(こうう)です。項燕は秦の中国統一戦争のなかで奮戦し、史実では一度は李信率いる秦軍を大敗させたほどの名将でした。その項燕の孫が項羽で、始皇帝の死後に挙兵し、劉邦とともに秦を打ち倒します。キングダムで秦の統一を阻もうとした楚の一族が、わずか一世代あとに本当に秦を滅ぼすというのは、歴史の因縁を感じさせる繋がりです。

蘇州・拙攻園(筆者撮影)

ここで筆者の体験を少し挟ませてください。私は以前、項羽が挙兵の旗を揚げた会稽(現在の蘇州、または紹興付近とする説もあります)を訪れたことがあります。水路が縦横に走る美しい古都で、ここから秦を倒す反乱の火が上がったのかと思うと、キングダムで描かれた項燕の無念がこの地で晴らされたような、不思議な感慨を覚えました。漫画で見た一族の物語が、実在の土地と地続きにつながっている実感は格別でした。

その他キングダムと三国志をつなぐ一族

司馬氏や項氏以外にも、キングダムと三国志をつなぐ一族はいくつか語られています。たとえば秦の宰相・呂不韋(りょふい)のように、直接の子孫が三国志に登場するわけではないものの、その築いた制度や商業のあり方が後の漢へと受け継がれ、間接的に三国志の世界の土台を作った人物もいます。また、キングダムに登場する各国の名門武将の姓は、後世の中国史にもしばしば現れ、長い時間をかけて血筋や家名が受け継がれていったことを物語っています。

もっとも、これらの繋がりの多くは「同じ姓である」という点に基づくロマンであり、すべてに確実な血縁の証拠があるわけではありません。とはいえ、約400年という時を越えて同じ名が両作品に現れること自体が、中国史の連続性を示す面白さでもあります。キングダムの将軍たちの名前を覚えておくと、三国志を読んだときに「この姓、どこかで見た」という新しい楽しみ方ができるでしょう。主人公・信の子孫については、次の章でさらに詳しく見ていきます。

主人公・李信の子孫と三国志演義の豆知識

諸葛亮孔明
Wikipediaコモンズ」より引用

キングダムと三国志の繋がりを語るうえで、ファンが最も気になるのが「主人公・信(李信)の子孫はどうなったのか」という点でしょう。実は李信の血筋は、三国志の時代まで脈々と受け継がれていたとされ、ここにもキングダムと三国志をつなぐ大きなロマンがあります。この章では、李信の子孫にまつわる話と、三国志を楽しむうえで知っておくと面白い豆知識を、筆者の体験も交えながら紹介します。

李信の血筋は三国志〜唐の時代まで続くと言われる名門

キングダムの主人公・信のモデルである李信将軍の血筋は、その後も中国史に名を残し続けます。前漢の時代には、匈奴との戦いで活躍した名将・李広(りこう)が李信の子孫とされ、さらにその家系は三国志の時代にも武将を輩出したと伝えられます(李姓は多いため特定の血縁とは限らないとも言われます)。そして驚くべきことに、この李氏の血筋は約800年後の唐王朝の皇帝・李淵(りえん)にまでつながるという説もあります(後世の系図上の主張とも言われます)。つまりキングダムの主人公の子孫が、後の中国で皇帝を生んだ可能性があるのです。

余談ですが、李広はあまりに強かったため、飛将軍と呼ばれました。その強さから、三国志最強の武将・呂布も、李広にちなんで飛将軍と呼ばれたのです。

もちろん、これらの系譜には伝承や後世の脚色が含まれており、すべてが史実として確定しているわけではありません。しかし、一介の下僕から大将軍へと駆け上がった信(李信)の血筋が、三国志を越えて唐の建国にまでつながるかもしれないというのは、キングダムファンにとってこの上ないロマンです。漫画で描かれる「天下の大将軍を目指す」信の夢が、子孫を通じて壮大なスケールで実を結んでいくように感じられます。


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三国志を「史実」と「演義」で混同しない豆知識

キングダムから三国志に興味を持った方に、ぜひ知っておいてほしい豆知識があります。それは「三国志には正史と演義の2種類がある」という点です。私たちが物語として親しんでいる赤壁の戦いの諸葛亮の活躍や、関羽の華々しい武勇伝の多くは、明代に書かれた小説『三国志演義』の創作・脚色を含んでいます。一方、陳寿が記した歴史書『三国志』(正史)は、より淡々とした記録です。キングダムも史実をベースにしつつ創作を交える作品なので、この「史実と物語の関係」は両作品に共通する楽しみ方といえます。

正直に告白すると、私自身もかつては『三国志演義』の名場面をすべて史実だと思い込んでいました。諸葛亮が天候を操って東南の風を呼んだ場面などを「実際にあった出来事」と信じていたのです。後に正史を読んで創作と知ったときは少し寂しくもありましたが、同時に「物語として後世の人々がいかに三国志を愛したか」を実感し、かえって深く好きになりました。キングダムを史実と照らし合わせながら読むのと同じ面白さが、三国志にもあるのです。

蘇州を訪れた際、現地の人々が今なお三国志や春秋戦国の英雄たちを誇らしげに語る姿が強く印象に残っています。約2,200年前のキングダムの時代から、約1,800年前の三国志の時代まで、そしてそれを語り継ぐ現代まで、中国の歴史が一本の糸でつながっている。その連続性を肌で感じられたことは、両作品をより深く味わう原体験になりました。キングダムと三国志を時系列で結びつけて読むと、こうした壮大な歴史のロマンが何倍にも膨らみます。


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キングダムと三国志の時系列に関するよくある質問(FAQ)

最後に、キングダムと三国志の時系列や繋がりについて、読者からよく寄せられる質問をまとめました。記事を読んで生まれた疑問の解消に役立ててください。

Q1. キングダムと三国志はどっちが先の時代ですか?

キングダムが先で、三国志が後です。キングダムは紀元前3世紀(前245〜221年頃)の戦国時代末期〜秦の時代を描き、三国志は西暦2〜3世紀(184〜280年頃)の後漢末を描きます。両者の間には約400年の開きがあり、キングダムで生まれた統一国家が衰退した末に三国志の乱世が訪れます。

Q2. キングダムと三国志は何年離れていますか?

キングダムのゴールである中国統一(前221年)から、三国志の幕開けである黄巾の乱(184年)まで、約400年離れています。三国鼎立の完成(229年)まで数えると約450年です。間には前漢・後漢という2つの王朝の時代が約400年にわたって挟まっています。

Q3. キングダムと三国志に繋がりはありますか?

あります。両者は「秦→漢→三国」という王朝の流れで地続きにつながっており、人物の血筋でも繋がっています。キングダムの趙の名将・司馬尚と同族と言われる一族からは三国志の司馬懿が、楚の項燕の子孫とされる一族からは秦を滅ぼす項羽が出るなど、世代を越えた繋がりが語られています。


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Q4. キングダムの主人公・信の子孫は三国志にいますか?

信(李信)の血筋は子孫として受け継がれたと伝えられます。前漢の名将・李広が子孫とされ、さらに唐の皇帝・李淵にまでつながるという説もあります(後世の系図的な主張とも言われます)。三国志の時代にも李氏の武将がいたとされ(李姓は多いため不確定ですが)、キングダムの主人公の血脈が後世の中国史に長く影響を残した可能性があります。

Q5. キングダムと三国志はどっちから読むのがおすすめですか?

歴史の流れに沿って楽しみたいなら、キングダム→三国志の順がおすすめです。先にキングダムで中国統一までを追い、その後に三国志でその国の行く末を見届けると、約400年の歴史が立体的に理解でき、子孫や血筋の繋がりもより深く味わえます。

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まとめ|キングダムと三国志の時系列と繋がり

キングダムと三国志は、同じ中国を舞台にしながらも約400年離れた別時代の物語です。キングダムが紀元前3世紀の「統一国家の成立」を、三国志が西暦2〜3世紀の「分裂」を描き、その間を前漢・後漢という約400年の漢王朝が埋めています。「秦→漢→三国」という王朝の流れで両作品は地続きにつながっているのです。

さらに、司馬尚と同族と言われる一族から三国志の司馬懿が、項燕の子孫とされる一族から項羽が、そして主人公・信(李信)の血筋が前漢の李広や唐の李淵にまでつながるなど、人物の血脈を通じた繋がりも両作品の大きな魅力です。キングダムと三国志を時系列で結びつけて読むと、約400年を越える壮大な中国史のロマンを存分に味わえます。ぜひ年表を片手に、両作品の繋がりを楽しんでみてください。

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