秦の始皇帝の本名は、嬴政(えいせい)です。
まんが・キングダムでは、主人公の李信や河了貂が、始皇帝の本名を呼び捨てにしてました。
しかし実は、始皇帝の本名を、李信や河了貂が知っているはずがないのです。
始皇帝の本名を知っていたのは、彼の父親の荘襄王や、母親の太后だけでした。
本名を呼び捨てになんかしたら、実際には即死刑です。
この記事では、始皇帝の本名と、当時の名前の風習について、わかりやすく解説いたします。
歴史専門サイト「レキシル」へようこそ。
どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。
この記事を短く言うと
- 李信が、後の始皇帝・贏政(えいせい)を呼び捨てにすることは、現実ではあり得ないことだった。
- 諱(いみな)は、家族以外には知られてはならないものだった。諱とは、始皇帝の本名・嬴政という名の、政という部分のこと。
- 諱を呼ぶことが出来たのは先祖・両親などのいわゆる直系尊属と、王様または皇帝などの主君だけだった。
始皇帝の本名を、信は呼び捨てに出来なかった?
人気まんが・キングダムに登場している、のちに始皇帝となる秦王・嬴政(えいせい)。
この秦王・贏政が、成蟜(せいきょう)の乱をともに乗り越えた戦友・李信と河了貂から、政、と呼び捨てにされています。
あくまでもキングダムはマンガでありフィクションなので、史実を土台にしているとはいえ、そのほとんどが創作でしょう。
しかし、当時の常識からすると、王様を呼び捨てにすることは、絶対にあり得ません。
万が一、秦王・贏政を大勢の家来たちの目の前で呼び捨てになどしたら、即座に処刑されているでしょう。
そもそも現実では、李信や河了貂が、秦王の本名を知っていたはずがないのです。
そもそも始皇帝の本名は、誰も知らなかった!
実は、始皇帝の贏政という本名を知っていた人物は、非常に限られていました。
- 父・荘襄王
- 母・太后
- 祖父・孝文王
こういった直系尊属のみが、始皇帝の政という名前を知っていたと考えられます。
部下であった李信や河了貂が、秦王から、政という名前を教えてもらえたとは、到底考えられないのです。
秦王の本名は、贏政(えいせい)です。
姓が贏で、名前が政となります。

≪始皇帝≫
「引用元ウィキペディアより」
実はこの政という名前は、諱(いみな)というものであり、家族以外の者が、この諱は知らされることはありませんでした。
王族・貴族の諱を家来が知らされることなど、ほとんど有りえなかったといっていいでしょう。
諱(いみな)は、忌(い)むべき名、つまり人に呼ばれるべきではない真の名前、という意味なのです。
世界の一部地域では、昔からこの諱を誰もが持ち、それを赤の他人に知られてはならない、という習慣があったようです。
習慣に従い、始皇帝を本名の政と呼ぶことが出来たのは、祖父にあたる孝文王や、父の荘襄王、または母の太后だけだったでしょう。
日本においても、この諱を下手に呼んでしまったため、戦争となった例があります。
大坂の陣をご存知でしょうか?
1614~1615年、天下人だった豊臣秀吉の息子・秀頼が、徳川家康に滅ぼされた戦いです。
この大坂の陣の発端となったのが、方広寺鐘銘事件(ほうこうじしょうめいじけん)でした。
この事件は、方広寺の鐘に刻んだ徳川家康の諱・家康という文字を、二つに分断したことで、大騒ぎになった事件です。
後世においてこの事件は、家康の言いがかりといわれていますが、実際にはそうではありません。
家康という諱を二つに分断したことは、呪いというわけではないものの、きわめて失礼なことだったのです。
古代中国での名前の使い方は、かなり特殊だった
実は古代中国の人達には、2つの名前がありました。
- 諱(いみな)
- あざ名
つまり
- 家族内だけで使う名前(いみな)
- 外で使うための名前(あざな)
この2つの名前を、当時の人々は、使い分けていたのです。
有名な三国志の英雄・曹操孟徳は
- 苗字・姓が曹
- 家族だけで使う諱が操
- そして外で使う名前つまり、あざ名が孟徳
だったのです。

曹操孟徳
「引用元ウィキペディアより」
ですので、曹操孟徳さんが、他人に自己紹介をする際には、諱は名乗りません。
「はじめまして。曹孟徳です」
と名乗っていた、ということです。
キングダム主人公の信という名前も諱(いみな)です。
李信と名を改めた彼は、李が姓で、信が諱なのです。
ということは、信という諱は、家族以外に呼ばれることはなかったはずです。
では秦王・贏政が、李信の諱を呼び捨てにすることも、許されないのでしょうか?
実は、家族以外に人々の諱を呼ぶことが出来る人物が、世界に1人だけ存在していました。
それは王様または皇帝です。
「両親は、皇帝や王様よりも偉くて尊い、つまり偉い存在である」
というのが中国の思想でした。
その思想に従って、諱を呼ぶことが出来たのは
- 王様・皇帝
- 両親・先祖
という理屈なのです。
ですので秦王・贏政が、信を呼び捨てにするのは、当然のことだったのです。
李信について、よろしければ、以下のリンク記事も合わせてご利用下さいませ。
まとめ
本日の記事をまとめますと
- キングダム主人公・李信が、秦王・贏政を、政と呼び捨てにすることは、現実ではあり得ない
- 秦王の本名・政を呼ぶことが出来たのは、祖父・父・母など直系尊属だけだった
- 諱を呼ぶことが出来たのは先祖や両親、そして王様や皇帝などの主君だけだった
以上となります。
本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。
よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。
ありがとうございました
キングダム関連記事
以下のリンク記事でも、キングダムの人物・逸話などについて簡単に理解できるように、わかりやすく解説させていただいております。
よろしければ、こちらの記事も、ぜひお役立てくださいませ。
リンク記事は別タブで開きます。
秦の武将・軍師たち
王翦・王賁
昭王・六大将軍
秦の始皇帝
呂不韋
趙・三大天
戦国四君
キングダムの脇役・雑学
コメント