マンガ【キングダム】に登場する名将【蒙恬】は、いったい誰と結婚するのでしょうか?
蒙恬の嫁は、いったい誰なのでしょう?
世界遺産【万里の長城】は、蒙恬が建設したものだったといわれていますが、本当なのでしょうか?
【筆】を発明したのも蒙恬だったという噂がありますが、それについても解説いたします。
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この記事を短く言うと
・蒙恬は、秦国の将軍で、北方の騎馬民族討伐に功績のあった人物
・始皇帝のお気に入りの宦官(皇帝の秘書)だった趙高の罠で亡くなった
・蒙恬の妻は、史実上でもマンガ【キングダム】でも不明
・万里の長城や筆は、蒙恬がつくったといわれているが、実際には蒙恬が最初につくったわけでも、発明したわけでもない
蒙恬とはどんな人?どんな功績をのこしたのかを解説
蒙恬とは、始皇帝がもっとも信頼した将軍で、秦の天下統一戦や北方の騎馬民族討伐そして万里の長城建設などで功績をあげた名将です。
秦国の始皇帝に仕え、絶大な信頼を勝ち取った名将・蒙恬。
元々は内政の官僚つまりデスクワークが中心の公務員として活躍していた蒙恬ですが、彼の祖父・蒙驁は、始皇帝から将軍に任じられた軍人でした。
また、蒙驁の息子で、蒙恬の父である蒙武も始皇帝に部下としてつかえて、功績をあげています。
蒙恬は、さすがに祖父と父親の血を引いていたらしく、始皇帝から将軍に任命され、李信と一緒に楚国へ進軍します。(紀元前225年・城父の戦い)
しかし、楚の大将軍であり、覇王・項羽の祖父にあたる名将・項燕に大敗北して撤退することとなります。
その後も始皇帝から処刑されていないところをみると、李信と同様に蒙恬も、始皇帝から相当に信頼されていたみたいです。
楚国はその後、蒙恬の父・蒙武や王翦将軍により滅亡させられます。
蒙恬はその後、李信・王賁とともに、斉国を滅ぼして天下統一を達成。
その後も蒙恬は、北方の騎馬民族を討伐して功績を上げ、始皇帝の信頼を勝ち取ります。
始皇帝が亡くなる直前、蒙恬は始皇帝の長男・扶蘇を補佐して、騎馬民族の動きを警戒して北方の警備を担当していました。
しかし、始皇帝が死ぬと
- 始皇帝の末っ子・胡亥
- 宰相の李斯
- 宦官の趙高
この3人が協力して、始皇帝の死を隠します。
そして3人は始皇帝の名前で扶蘇と蒙恬に死を命じます。
蒙恬は死の間際に、こう言っています。
「なぜ私が死ななくてはならないのだ。
その理由は、おそらく万里の長城をつくって地脈を断ち切ってしまったからだろう。
それ以外に罪があるとは思えない・・」
対して歴史家の司馬遷は、蒙恬に厳しい評価を下しています。
「蒙恬は始皇帝の信頼が厚かったのだから、万里の長城なんてつくることで民を苦しめるのではなく、そんなものをつくらないようにと、始皇帝を説得すべきだった。
それをしなかったことが、蒙恬の罪だ」
蒙恬の弟・蒙毅もまた、趙高の策略で処刑されています。
ちなみに、この蒙恬の弟・蒙毅は、映画「THE MYTH」で「ジャッキー・チェン」が演じていたキャラクターです。
映画では、めちゃくちゃ強い将軍として描かれていますが、実際には内務官僚だったみたいです。
蒙恬の嫁は誰?誰と結婚するのか
蒙恬の嫁が誰なのかは、史実では不明です。マンガ「キングダム」では許嫁・婚約者がいると言っていましたが、おそらく名家の娘と婚約していたのでしょう。
マンガ「キングダム」で、蒙恬は軽い感じのヤンチャなイケメンとして描かれています。
しかしその実力は本物で、王翦の子・王賁や主人公・李信と並んで、若きホープとして期待されています。
そんなイケメンな蒙恬ですが、人気はかなり高いです。
さて、そんな蒙恬は、一体どんな人を妻とするのでしょうか?
史実では、蒙恬の妻が誰なのかは定かではありません。
子孫がいるかどうかも、記録がないので不明です。
ですが、当然ですけども妻くらいいたはずです。
少なくともマンガ「キングダム」で、蒙恬の妻は誰になるのでしょうか?
詳しいことはわかりませんが、それらしい人物といえば
といったところでしょうか・・・。
河了貂は、おそらく李信の妻となると思います。
楊端和は、山の王様という設定なので、蒙恬と結婚するとは思えません。
羌瘣も難しいでしょう。
羌瘣は李信の子供を産むと宣言していますし。
そもそも蒙恬の妻が、マンガ「キングダム」に登場するかどうか、不透明だと思われます。
蒙恬は、祖父の蒙驁から始まって、3代も秦の将軍を務めている名家の出身です。
史実では、かなり身分の高い人を妻としていたはずです。
おそらくは、政略結婚をしなくてはいけなかったのではないでしょうか。
そのため、若くして許嫁つまり婚約者がいたのでしょう。
だれが蒙恬の妻となるのか、それらしい候補は、今のところキングダムには登場すらしていないとおもいます。
【万里の長城】と【筆】は蒙恬が造った?
【万里の長城】は、蒙恬が建設したが、造ったわけじゃない
蒙恬は、万里の長城や筆をつくった人物といわれていますが、実際には違います。
万里の長城の工事をおこなったのは事実ですし、筆を改良したのも事実ですが、蒙恬が最初につくったわけではないのです。
蒙恬は「万里の長城」の建設工事にたずさわった人です。
2017年公開の映画「グレートウォール」で、「万里の長城」は怪物をむかえ撃つための砦、という設定がされています。
当然そんなことはなく、「万里の長城」は中国の歴代王朝が、長年苦しめられてきた北方の騎馬民族(モンゴル)からの敵を防ぐためのものです。
世界遺産・万里の長城は、始皇帝の時代に完成したのです。
実は、この万里の長城は、始皇帝の命令で蒙恬が建設したわけではありません。
もともと、万里の長城の大半は、蒙恬が生まれる大昔から存在していました。
なぜ存在していたのかというと、秦が天下統一をする前の春秋戦国時代に、北方の騎馬民族の攻撃を受けていた、秦国・燕国・趙国が長城を建設していたのです。
つまり長城は、燕国にも趙国にも秦国にも、すでにすでに存在していたということです。。
蒙恬は、それらの3カ国の長城を繋げたに過ぎません。
そして、秦の時代よりも後世においてさらに長城の建設や強化がされた結果として誕生したのが、現在の世界遺産・万里の長城なのです。
蒙恬は【筆】を発明したのではなく、改良しただけだった
蒙恬は、現在でも使用されている筆記用具である筆を、改良した人物とされています。
以前、蒙恬は筆を発明した人物と考えられていました。
どうやら、蒙恬が筆を始皇帝に献上したという記録があるようなのです。
しかし現在では筆は、蒙恬が生きていた春秋戦国時代よりも1000年近く前の殷(または商)という王国の時代に発明されたのではないか、と推測されています。
どうやら蒙恬は、筆に改良を加えた人物だったようです。
軍事関係者には発明家が多いようで、蒙恬の時代より後世の軍師・諸葛亮孔明もまた、運搬用の手押し車(木牛流馬)など、数々の兵器等を発明した人物といわれています。
まとめ
本日の記事をまとめますと
・蒙恬は斉国の討伐・北方の騎馬民族討伐に功績があったが、宦官・趙高の罠で亡くなった
・蒙恬の妻は、史実上では不明。マンガ「キングダム」でも登場するかどうか不明
・万里の長城も筆も、蒙恬が造ったわけではない
以上となります。
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