【キングダム】王騎将軍は史実で実在していたの?記録がない理由とは

人気漫画「キングダム」に登場する名将「王騎」について、「史実で存在していたかどうか」を、わかりやすく解説いたします。

「六大将軍」最強の武将。「秦の怪鳥」などと呼ばれている王騎将軍。

実はそれほど「名将」ではなかった。

「王齕(おうこつ)」という武将と同一人物という説もあり、その実態ははっきりしていません。

「キングダム」では「李牧」「龐煖(ほうけん)」に敗れて、壮絶に戦死した「王騎」ですが、実際には「病死」「自然死」していた?


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この記事を短く言うと

  1. キングダムに登場する名将「王騎」は、確かに史実で実在していたが、「キングダム」でいうほどの「名将」ではなかった
  2. 「王騎」は、キングダムに登場するいわゆる「六大将軍」の1人「王齕(おうこつ)」と同一人物という説がある。おそらく「同一人物」だろう
  3. 「王騎」は紀元前244年に亡くなっている。しかし「キングダム」のように「李牧」「龐煖」に敗れて亡くなったわけではない。

王騎将軍は史実で実在していた!しかし名将ではなかった

人気漫画「キングダム」において、戦神「昭襄王(昭王)」につかえた名将たち「六大将軍」。

「白起」を始めとして、「王騎」ら六大将軍は、中華全土を震えあがらせた・・・。

ということですが、そもそも「王騎」将軍は実在していたのか?


結論からいえば、王騎将軍は実在していました。史実にも記録が残っています。

しかし、キングダムで言うほどの「名将」ではありません。


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王騎の功績で、歴史書に記されているものといえば

・紀元前258年、趙国の首都「邯鄲(かんたん)」を包囲するも、落とせずに撤退

・韓の国の、「上党」を攻撃

・紀元前246年、のちの始皇帝嬴政」が秦の王位に即位すると、「蒙驁(もうごう)」「ヒョウ公」とともに「将軍」に任命された

というくらいです。

王騎将軍は、いわゆる「六大将軍」の筆頭「白起」将軍が「長平の戦い」で趙軍「45万」を撃破した2年後、趙国の首都「邯鄲」を包囲。

しかし魏国の「信陵君」と楚国の「春申君」、そして趙国の「平原君」ら、「戦国四君」と呼ばれる名将たちに敗北。(ちなみに戦国四君最期の1人は孟嘗君

「邯鄲」を落とせずに撤退しています。

王騎・・・実はそれほど「記録」が残っていません。

なぜ記録が残っていないのか・・・。

理由は簡単で、「それほどインパクトのある功績を残していないから」です。

それほどの名将ではなかったということでしょうね。


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【キングダム】のような六大将軍ではなかった!王齕と同一人物?

王騎将軍は、「昭襄王(昭王)」につかえた「六大将軍」・・ではありません。

そもそも「王騎」が将軍に任命されたのは、「嬴政(えいせい)」が王位についた時です。

「キングダム」での「秦の怪鳥」と呼ばれるような大活躍は、創作ということになります。

「王齕(おうこつ)」の功績

一説によると王騎は、いわゆる「六大将軍」の1人「王齕(おうこつ)」と同一人物と言われているのだとか。

「王齕」といえば、「昭襄王」「孝文王」「荘襄王(始皇帝の父)」と3代につかえた武将。

「長平の戦い」で、趙のいわゆる「三大天」の1人「廉頗」と戦った武将です。

この「長平の戦い」で王齕は、名将「白起」と交代し、その副将として「廉頗」の後任「趙括」と交戦しています。

「長平の戦い」は白起の活躍により、秦の大勝利。

王齕はその後、「邯鄲」を包囲する陥落させられず、方針転換して「魏国を攻撃」。2万人以上を撃破しています。

紀元前247年、魏の信陵君がひきいる「五カ国連合軍」を蒙驁とともに迎撃し、敗北しています。

王齕はその後、歴史から忽然と姿を消します。

もしも王齕と王騎が同一人物ならば、「紀元前246年」に嬴政(始皇帝)が即位すると同時に、将軍に任命されているはず。

そして紀元前244年に死亡。

王騎と王齕・・・筆者の個人的な予想でしかありませんが「同一人物」だと思っております。

なぜなら、「王騎」の活躍が、あまりにも少なすぎるため・・。

紀元前246年に将軍に任命され、2年後に死亡・・・活躍が乏しいわりにはしっかりと「王騎」という名前が残っているのです。

おそらく「王齕」と同一人物で、長く戦った功績をたたえられて、「王騎」として記録が残されたのではないでしょうか。

もちろん、それを裏付ける証拠もなにもありはしない、ただの推測なのですがね。


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王騎の最期!李牧や龐煖にやられたわけではなかった

王騎が亡くなったのは「紀元前244年」。

趙国の将軍「廉頗」が、『楽毅』の一族「楽乗」を撃破して魏に亡命した「翌年」のことです。

漫画「キングダム」で、「王騎」を倒した事になっている名将「李牧」は、この時なにをしていたのか・・・。

李牧はこのとき、趙国の北方で「雁門関(がんもんかん)」という関所の守備をしていました。モンゴルの騎馬民族と戦っていたのです。

李牧が「将軍」に任命されて、秦と戦い始めるのは「紀元前234年」です。

つまり「王騎が亡くなる10年後」に、李牧は活躍し始めるので、当然「王騎」の死に李牧がかかわっているはずがありません。


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「龐煖」は、王騎が死んだ時、どうしていたのでしょうか?

「紀元前245年」、廉頗が魏に亡命してしまった直後、龐煖は趙国の「悼襄王」に呼び出されて将軍に任命されています。

実は龐煖・・・このときかなりの高齢でした。おそらく「70~80歳」くらいだったはずです。

紀元前244年、王騎と戦った・・という記録がないので、龐煖も「王騎の死」とは無関係だと考えられます。

 

おそらくですが、王騎は病死したのではないでしょうか。

もしも「戦死」なら、どこの戦いで死んだのか、記録が残っているはずです。

病死または自然死では、記録がないことも理解できます。


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『王騎』について「ひとこと」言いたい!

王騎・・・・・・キングダムでは名将の中の名将として描かれていますが、おそらく「史実における記録が少なかったため、創作しやすかった」という事情があって、名将として描かれているのでしょう。

秦国には「白起」と「王翦」という、2人の名将がいました。

昭襄王(昭王)につかえ、100万人ちかい敵兵を倒した名将「白起」。

楚の大将軍「項燕」を倒して、秦の天下統一を決定的にした「王翦」。

大歴史家「司馬遷」は、「白起」「王翦」という2人の記録を、歴史書「史記」に「白起王翦伝」という一巻にまとめて記しています。

もしも史実で「王騎」が「白起」や「王翦」にも負けない名将であるなら、「司馬遷」に記録されていないはずがありません。

王騎・・・・。

漫画では「李信」将軍の「師」であるかのように記されていますが、そういう関係ではなかったと思います。

余談ですが、王騎は「」という猛将を従えていることになっていますが、そもそも「騰」は「武将」ではなかったようです。

 

李信」「」について、よろしければ以下のリンク記事をお役立てくださいませ。

「李信の最後は悲惨?嫁が超大物で子孫が王様になったって本当か」の記事はコチラ
「【キングダム】騰は史実ではどんな人?今後の活躍と死に方(最期)を解説」の記事はコチラ

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まとめ

本日の記事をまとめますと

  1. 王騎は史実でも確かに存在していた。しかし、キングダムでいうところの「六大将軍」ではなく、名将というわけでもない。
  2. 王騎は、いわゆる「六大将軍」の一人「王齕」と同一人物であるという説がある。おそらく「同一人物」だろう
  3. 紀元前244年、王騎は亡くなっている。しかし「李牧」「龐煖」に殺害されたわけではない。おそらく「病死」「自然死」だろう

以上となります。

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