マンガ「キングダム」に登場する「昭王に仕えた名将たち・六大将軍」
「六大将軍」をウィキペディア風に解説致します。
そもそも「六大将軍」は、実在したのかというと、実在はしませんでした。
ただ、六大将軍の中には「白起」のように、史実でも極めて優れた名将もいたのです。
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この記事を短く言うと
・『六大将軍』とは「白起」「司馬錯」「王齕」「胡昜」「摎」「王騎」
・史実において、『六大将軍』も『三大天』も、実在はしない
・歴史上極めて優れた名将だった「白起」だが、最期は昭王に自刃させられた
目次
「六大将軍」とは?
マンガ「キングダム」に登場する「秦国・六大将軍」
「戦神」と呼ばれた秦国王「昭王(昭襄王)」と、堅い信頼関係で結ばれた六人の将。
「白起」「司馬錯」「胡昜」「王齕」「摎」「王騎」
彼らはその圧倒的な強さと、昭王への絶対的な忠誠心から「開戦の自由」という特権を与えられて、六国を相手に暴れまわっていたとのこと。
「戦争を自由に始められる権利」・・・織田信長が、家来の「明智光秀・柴田勝家・羽柴秀吉・滝川一益」の4名に軍を預け、今で言う「方面軍」のような扱いをしていたとのことですが、それに近い形だったのでしょう。
将軍に軍を与え、戦争の自由という権利を与えることは、「謀反」を起こされるリスクが高かったですが、「絶対的な信頼関係」を構築していた「六大将軍」と「昭王」だからこそ、六大将軍の制度は可能だったのだとか。
長平の戦いで45万人を生き埋めにした「白起」
史実上では、蜀を征服して秦国を肥大化させた「司馬錯」
昌平君の師にして天才策士「胡昜」
六大将軍随一の怪力「王齕」(汗明に敗北し負傷)
昭王の娘にして王騎の婚約者「摎」(龐煖の刃に倒れる)
最後まで生き残った秦の怪鳥「王騎」(李牧の策に落ち、龐煖に敗れる)
カッコ内には、マンガ「キングダム」での最期や経歴を記しました。
史実で「六大将軍」「三大天」は実在したのか?
史実において「六大将軍」は実在していません。
ただ、「白起」達6名の将は実在していました。
とはいえ、例えば「王齕」と「王騎」は同一人物だった説・・・・など、不確かな部分も残っています。
「六大将軍」という地位が存在していなかったことは確かです。
「三国志」における蜀国の「五虎大将軍」や魏国「五大将軍(朱霊を含め六大将軍)」など、物語に登場する人物に箔をつけるための創作。
ちなみにマンガ「キングダム」には、「趙国・三大天」なる将軍たちが登場し「藺相如・廉頗・趙奢」が任命されていた事になってます。
この三人が趙国にいる間、秦国は趙国に手出しできなかったというのは、史実にも語られていますし、三人が趙国で最も高い地位にいたことも確かです。
しかし「三大天」という位が存在していたわけではありません。
そもそも「藺相如」は宰相・政治家であって、将軍ではありませんしね。
余談ですが、「王翦・蒙武・桓騎・王賁・蒙恬・李信」の六人を「六虎将軍」と呼ぶ・・・という噂がありますが、どうやらこれも、台湾のとある漫画に登場する創作のようです。
空前絶後の名将「白起」
他の5名と一緒に、六大将軍と一括りにすべきでない人物が一人います。
「白起」
実は白起は「昭王の命令で自害」させられているのです。
この白起、生涯において100万人近い敵兵を葬った、中国史上でもトップクラスの名将。
同じ時代を生きていた中山国・燕国の「楽毅」とよく比べられますが、残した功績としては、前人未到と言っても良いほどでしょう。
・紀元前294年、「韓」を攻撃・・・・・・「韓の新城を制圧」
・紀元前293年、「韓」「魏」を攻撃・・・「敵兵24万人を殺害・5城を制圧」【伊闕(いけつ)の戦い】
・紀元前292年、「魏」を攻撃・・・・・・「61城を制圧」
・紀元前278年、「楚」を攻撃・・・・・・「楚国の首都・郢を制圧」【鄢郢(えんてい)の戦い】
・紀元前273年、「魏」を攻撃・・・・・・「三晋(魏・趙・韓)の兵士13万人殺害」【華陽の戦い】
・紀元前273年、「趙」を攻撃・・・・・・「2万人を溺死させる」
・紀元前264年、「韓」を攻撃・・・・・・「敵兵5万人を殺害・5城を制圧」【陘城(けいじょう)の戦い】
・紀元前260年、「趙」と戦闘・・・・・・「45万人を生き埋めにし殺害」【長平の戦い】
・紀元前257年、宰相・范雎の罠により、昭王から自害を命令され自刃。
上に記した分だけでも、白起が生涯に葬った敵兵の数は、89万人。実際にはもっと多いでしょう。
攻め落とした城の数は、実に「71」
伝説の名将「楽毅」も、斉国の城「70」余りを落としていますから、白起は「楽毅」にも負けない名将だったということになります。
白起が自害した理由
紀元前260年、長平の戦いで趙軍45万を倒した白起。
その勢いのまま、趙の首都「邯鄲(かんたん)」へ進軍しようとしました。
しかし秦国の宰相「范雎(はんしょ)」は、白起の圧倒的な功績を妬み、趙国と勝手に講和。
翌年、秦国は「王陵(おうりょう)」という将軍に命令して、再び「邯鄲」を包囲。
更に翌年、「王齕(おうこつ)」将軍に交代させましたが、魏の信陵君・楚の春申君が、趙国の援軍に駆けつけたため、敗北。
昭王と范雎は、敗北に焦って白起を出陣させようとしますが、范雎を嫌っていた白起は仮病で出陣を拒絶。
白起は、いま自分が出陣しても、援軍を得た趙国を滅ぼすことは出来ない、と知っていたのです。
しかし、それを知らない昭王は、命令に従わない白起に怒り、身分を庶民へと落とし、更には自害を命令。
白起は「長平の戦い」で多くの敵兵を殺害したことを悔やみながら、自害したと言われています。
ちなみに、同じ時代を生きた名将「楽毅」は、同じく王様から疑いをかけられましたが、逃亡したため生きながらえました。
そのため、白起と楽毅はよく比べられ、楽毅のほうが当時から人気があったようです。
まとめ
本日の記事をまとめますと
・六大将軍「白起」「司馬錯」「王齕」「胡昜」「摎」「王騎」は、戦争を自由に開始できる権限を持っていたらしい。
・史実上、六大将軍も三大天も、存在していない
・白起は生涯に89万もの敵兵を殺害した将だが、昭王により死を命じられた
以上となります。
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