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【廉頗(れんぱ)の生涯と最後】生涯年表や藺相如との『刎頸の交わり』

「趙国」の名将として、最強国「秦」を苦しめた「廉頗(れんぱ)」とは、一体どんな人物なのか?

その「生涯と最期」について、わかりやすく解説いたします。

「秦国と死闘を繰り返し、最期は亡命先で死去」

名宰相「藺相如(りんしょうじょ)」との友情「刎頸(ふんけい)の交わり」とは?


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この記事を短く言うと

・廉頗とは、戦国七雄「趙国」の名将にして、藺相如・趙奢とともに秦の侵略を防いだ人物

・廉頗は趙国で活躍した後、伝説の名将「楽毅」の一族である名将「楽乗」の軍を粉砕して「魏国」へ亡命。その後「楚国」へ亡命した

・廉頗と藺相如は、当初「犬猿の仲」だったが、趙国を守るために和解。後世「刎頸(ふんけい)の交わり」と呼ばれるほどの絆を構築した


廉頗とは何者なのか?偉大な功績を遺した歴戦の名将だった!

春秋戦国時代「趙国」の名将「廉頗」

その功績と生涯を解説いたします。

廉頗の功績

廉頗の功績を短く解説します。

・趙国の将軍として、最強国「秦」や「斉」の侵略を阻止した

・名宰相「藺相如」と「刎頸の交わり」と呼ばれる友情を育み、趙国を守った

・「斉」「燕」といった敵国を侵略し、趙国を守った

廉頗・・・・「藺相如」「李牧」と並ぶ名将。しかし、その末路は非常に不運なものでした。

簡単な年表

紀元前283年

趙国から将軍に任じられ、秦軍を撃破し「昔陽」という地を攻略

 

紀元前282年

斉国の軍を撃破し、「陽普」という地を攻略。

 

紀元前262年

趙へ侵攻してきた秦国の将「王齕(おうこつ・王騎と同一人物かもしれない)」を迎撃。

紀元前260年

王齕が名将「白起」と交代。

廉頗が敵の策略により罷免。愚将「趙括(ちょうかつ)」と交代させられ、「長平の戦い」で大敗

直後に、隣国「燕」が侵攻。

廉頗はこれを迎撃し撃破。

逆に燕へ攻め込み、首都「薊(けい)」を包囲して、5城を割譲して講和。

 

紀元前245年

魏の「繁陽」を攻略。

悼襄王が即位。廉頗を罷免。これに怒って後任者「楽乗」を撃破し、魏国へ亡命

その後「楚」へ亡命し、「寿春(じゅしゅん)」で亡くなった。没年不詳



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廉頗の生涯と最期

廉頗の生涯と最期を解説いたします。

趙の将軍として活躍

紀元前283年、廉頗は趙国の将軍となり、始皇帝の曽祖父「昭襄王(昭王)」が率いる「秦」と戦います。

これに勝った廉頗は「昔陽」という地を奪取。

翌年には、「斉」に勝利して「陽晋」を攻め落とします。

この頃、「斉」は名将「楽毅」率いる五カ国連合軍(合従軍)によって滅亡寸前に追い詰められていたため、そのスキを突いたのかもしれません。

廉頗は強国「秦」を相手に善戦を続け、世の中に名前を知られるようになります。

そして、「秦国」の圧力と対処することとなるのです。

藺相如・趙奢との関係

趙国には、「廉頗」の他にも二名の名将がいました。

「藺相如」と「趙奢」です。

廉頗は当初、宰相「藺相如」と仲が悪かったですが、藺相如の度量の大きさに敬服し和解、「刎頸の交わり」と呼ばれるほどの絆を育むようになります。

もうひとりの名将「趙奢」・・・「閼与(あつよ)の戦い」において、「廉頗」が「勝ち目なし」と諦めた戦いで、見事に勝利をおさめた名将。

「廉頗」と「藺相如」「趙奢」は、全員が趙国における最高の位「上卿(じょうけい)」に位置していた「宰相」と「将軍」たち。

この3人が健在であるうちは、最強「秦国」も趙国へ進行できなかったのです。



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長平の戦い

紀元前262年、秦国の将「王齕」が趙の上党へ侵攻。

上党の民衆は「長平」へ逃亡。

王齕は、これを追撃して「長平」へと進軍。

迎撃したのが「廉頗」でした。

40万の大軍団を率いた廉頗は「砦」を作り、長期戦を選択。

敵地で長期戦に持ち込まれた秦国は苦戦。

2年もの間、膠着状態が続き、秦軍は崩壊寸前。

廉頗の作戦は当たりました。

しかし秦国のスパイ工作により、廉頗は罷免。

代わりに趙奢の息子「趙括」が総大将となり、秦国の名将「白起」の罠にハマって大敗。

趙軍45万が殺害され、「趙国から若者がいなくなった」と言われるほどに、その国力は著しく衰退したのです。

直後に「燕」が趙へ侵攻してきますが、廉頗はこれを粉砕。

逆に燕の首都「薊」を包囲。

「5城を趙国へ割譲する」という趙にとってかなり有利な条件で、燕国と趙国は講和します。

魏へ亡命

紀元前245年、廉頗は魏国を攻撃し「繁陽」を陥落させます。

直後に、廉頗と仲が悪かった「悼襄王」が即位。

廉頗は即座に罷免され、かわりの将として「楽乗」が派遣されてきます。

「義侠の名将」と呼ばれた「楽毅」と同じ一族の名将「楽乗」・・・小説家「宮城谷昌光」さんの小説「楽毅」で・・・「楽乗」は、楽毅の弟子として描かれています。

いきなり罷免されたことに怒った「廉頗」は、味方であるはずの「楽乗」の軍を撃破。

そして、それまで攻撃していた魏国へと亡命。

悼襄王に呆れたのか・・・「楽乗」もまた、他国へと逃亡しています。



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奸臣・郭開の罠

趙国は廉頗が去った後、敵国「秦」の圧力に押され滅亡寸前。

「李牧」や「龐煖(ほうけん)」を大抜擢するなど、人物鑑定眼だけはあった「悼襄王」は、亡命した廉頗を呼び戻そうと使者を送ります。

「三国志」の英雄「黄忠(こうちゅう)」が、廉頗について「三国志演義」で語っています。

「その昔、廉頗は齢80にして肉10斤(約6キロ)を喰らい、秦国もまた廉頗が生きている間は攻め込まなかったという。

今、ワタクシ黄忠は60過ぎた程度。

まだまだ若いものには負けません。」

廉頗は趙国からの使者に喜び、肉10斤を食ってみせ、馬にも乗りこなしてみせ、まだまだ戦えることをアピール。

しかし廉頗と仲が悪かった奸臣「郭開」が手を回し、使者にこう言わせます。

「廉頗は3度失禁した」

と・・・。これを聞いた悼襄王は、廉頗がすでに年老いたことを知り、呼び戻すことを諦めました。

この奸臣「郭開」によって、趙国は後に、最期の名将「李牧」を処刑してしまうことになり、滅亡するのです。



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楚へ亡命

廉頗はその後、魏国から「楚国」へと亡命します。

その楚国で亡くなるわけですが、没年が定かではありません。

楚国は秦の将軍「王翦」の手で、紀元前223年に滅亡していますので、その頃には廉頗はすでに亡くなっていたということでしょう。

最期

廉頗は病気の床で故郷「趙」を想い、こんな言葉を残しています。

「私は趙の軍を率いて、また戦いたい」

この頃、趙国は度重なる秦国からの侵攻を受けて、存亡の危機にありました。

廉頗はおそらくそれを憂いたのでしょう。

楚国の「寿春」という都市で、廉頗は亡くなります。80歳を超えてなお戦っていたとのことですから、かなりの高齢であったことは間違いありません。



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廉頗と藺相如「刎頸の交わり」とは

廉頗は武功を次々と重ね、当時の趙国で最高の地位にいました。

しかし、そんな廉頗と唯一台頭の地位にいたのが宰相「藺相如」でした。藺相如は「和氏の璧」や「黽池(べんち)の会」で秦国を相手に堂々と趙国のメンツを保っていたのです。

藺相如は、死をも恐れぬ勇敢さで、秦国から趙国を守ります。しかし、廉頗と戦うことだけは恐れていました。なぜなら、秦国の昭襄王が「藺相如」と「廉頗」を恐れていることを知っていたから、二人が争ったら、趙国は滅亡する・・・それを藺相如は心配していたのです。
これを噂で知った廉頗は、自らの器の小ささを藺相如に謝罪。

「あなたのためなら、この頸(くび)を刎(はね)られても悔いはない」

と藺相如に伝えて、ともに秦国へ立ち向かうことを決意したのです。

藺相如は、「長平の戦い」において、廉頗が罷免されるときにも「趙王」へ、「廉頗を罷免してはならない」と説得工作をしています。この説得は失敗し、廉頗は罷免され、長平の戦いは大敗北することとなるのです。



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まとめ

本日の記事をまとめますと

・廉頗は「藺相如」「趙奢」とともに秦国に立ち向かった趙国の名将

・廉頗は秦軍に度々勝利したが、悼襄王に罷免されて魏国へ亡命。後に楚国へ亡命して寿春で亡くなった

・藺相如と廉頗は当初不仲だったが、後に和解して「刎頸の交わり」と呼ばれるほど仲が良くなり、ともに秦国に立ち向かった

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました



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