皆さんは【安土桃山時代】を、ご存知でしょうか?
この記事の内容を簡単にまとめますと以下のとおりです。
- 安土桃山時代とは、諸説あるが【1573年】から【1603年】までをいう
- 安土桃山時代とは、この時代の支配者・信長と秀吉の居城の場所からとった名前で、戦国時代とは日本で内戦が起こっていた時代を指す
- 安土桃山時代と呼ぶ理由は、この時代に日本を支配していた支配者が最後に住んでいた場所が、安土城と伏見桃山城だったから
日本の歴史には、『安土桃山時代』と呼ばれる時代区分が存在します。
この時代は通常、戦国時代と重なっており、その境界が明確でないことがあります。
そこで、安土桃山時代を焦点に当て
- 戦国時代との相違点
- 室町時代との境界線
などについて詳しく説明していきたいと考えています。
歴史専門サイト「レキシル」にようこそ。
どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。
安土桃山時代は【いつからいつまで】なの?
安土桃山時代の【開始年と終了年】
安土桃山時代とは、【1573〜1603年】です。
これらの年に何があったかというと、1573年に【室町幕府が滅亡】しています。
1603年に、徳川家康が【江戸幕府を開く】のです。
学校の日本史カリキュラムでは、時代の順番は
- 室町時代(1336〜1573年)
- 安土桃山時代(1573〜1603年)
- 江戸時代(1603〜1868年)
となります。
つまり安土桃山時代は、室町時代と江戸時代のあいだに位置しているのです。
西暦1573年、織田信長によって、室町幕府最後の将軍・足利義昭が京都から追放されました。
その後、足利将軍家は京都への復帰を果たすことなく、室町幕府が滅亡します。
→→→→→【室町幕府をつくった人と、滅ぼした人は誰?】についてくわしくはこちら
この足利義昭の追放を境に、室町時代が終わり、安土桃山時代が幕を開けたと一般的に考えられています。
そして安土桃山時代の終焉は、1603年です。
1598年、天下統一を果たした豊臣秀吉が亡くなり、豊臣政権は内乱状態におちいりました。
1600年、徳川家康と石田三成の対立が頂点に達し、関ケ原の戦いが勃発。
1603年、関ヶ原の戦いに勝利した家康が、江戸幕府を開きます。
江戸幕府誕生により、安土桃山時代は幕を閉じ、江戸時代へと移行します。
1573年(室町幕府滅亡)から1603年(江戸幕府誕生)までの30年間が『安土桃山時代』と呼ばれる期間となります。
【戦国時代】と安土桃山時代の違いとは何か?
戦国時代とは、日本国内で【戦国】と呼ばれる内戦の時代のことをいいます。
諸説ありますが、1467年から1590年まで、【応仁の乱〜全国統一】を、戦国時代と呼びます。
この二つの時代は、時期的に重なっていますが、意味するところはそれぞれ違います。
安土桃山時代とは、安土にを居城としていた織田信長と、伏見桃山城を居城としていた豊臣秀吉が支配していた時代です。
対して戦国時代とは日本が、秦の始皇帝が活躍した古代中国の【春秋戦国時代】のような、内戦の時代を指しています。
古代中国の【春秋戦国時代】をマネして、【戦国時代】と名付けられたのです。
歴史の区分において、通常は
- 室町時代(1336〜1573年)
- 安土桃山時代(1573〜1603年)
- 江戸時代(1603〜1868年)
という順序に従いますが、戦国時代は具体的にいつからいつまでを指すのでしょうか?
戦国時代の定義は、実は明確に決まっていません。
基本的には1467年の【応仁の乱の勃発】から、1573年の【室町幕府の滅亡】までを、戦国時代と位置づけています。
この定義に従うと、安土桃山時代(1573〜1603)は、戦国時代(1467〜1573年)に含まれないことになります。
ただし、戦国時代の始まりと終わりにはさまざまな見解が存在します。
例えば、豊臣秀吉が全国統一を達成した1590年を、戦国時代の終わりとする説もあります。
最も広い範囲で見れば、1467年の【応仁の乱の勃発】から始まり、1615年の【大坂夏の陣】で豊臣家が滅亡するまでを、戦国時代と位置づけることがあります。
この範囲でいえば戦国時代は
- 室町時代(1336〜1573年)
- 安土桃山時代(1573〜1603年)
- 江戸時代(1603〜1868年)
この3つの時代にまたがることになります。
その他にも戦国時代は、1493年の【明応の政変】から始まり、1590年の【豊臣秀吉による全国統一】で終焉する見解もあります。
つまり戦国時代の終わりの頃が、安土桃山時代であると考えれば良いかと思います。
筆者の個人的な考え方ですが、【応仁の乱】という内戦が始まった1467年から、【全国統一達成】された1590年までの123年間が、戦国時代であると思っています。
1600年に関ヶ原の戦いという内戦が再び起こるものの、内戦が一度は終結した1590年が、戦国時代の終焉と呼ぶのにふさわしいのではないでしょうか。
なぜ【安土桃山時代】と呼ぶのか?
安土桃山時代と呼ばれる理由は、この時代を支配していた織田信長と豊臣秀吉が最期に住んでいた居城【安土城】と【伏見桃山城】の名前に由来しています。
なぜ安土桃山時代と呼ぶのかというと、この時代に日本を支配していた人物が住んでいた場所の名前が理由なのです。
織田信長と豊臣秀吉は、その生涯を終えた際に、それぞれ【安土城】と【伏見桃山城】を居城・住居としていました。
ちなみに、信長と秀吉の最期の住居は、信長は本能寺、秀吉は大坂城じゃないのか?と思われるかもしれません。
しかし、本能寺は信長が最期をむかえた宿泊先であり、住んでいた場所はあくまでも安土城です。
秀吉は、晩年は大坂城から出て、京都郊外の伏見城に住んでいました。(後世この地に桃が植えられたため、伏見桃山城と呼ばれるようになった)
日本の歴史は、その時代に日本を支配していた人物が、どこに住んでいたのか、日本の政治の中心地がどこなのかで名付けられています。
平安京が日本の中心だった平安時代。鎌倉が日本の支配者の拠点だった鎌倉時代。
そして室町時代・安土桃山時代・江戸時代など、そのときどきの支配者が君臨した場所が、時代名前となっているのです。
→→→→→【平安京は今現在どこにあるの?】についてくわしくはこちら
たまに、支配者の居場所以外に、日本で起こっていたことを時代の名前とする場合もあります。(戦国時代や南北朝時代など)
まとめ
本日の記事をまとめますと
- 安土桃山時代とは、諸説あるが【1573年】から【1603年】までをいう
- 安土桃山時代とは、この時代の支配者・信長と秀吉の居城の場所からとった名前で、戦国時代とは日本で内戦が起こっていた時代を指す
- 安土桃山時代と呼ぶ理由は、この時代に日本を支配していた支配者が最後に住んでいた場所が、安土城と伏見桃山城だったから
以上となります。
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