人気まんが・キングダムに登場する秦の丞相・呂不韋。
一方、三国志に登場する、最強無敵の猛将・呂布。
同じ苗字・呂を持つ二人の関係とは、いったいどういうものなのでしょうか?
二人は、先祖と子孫の関係なの?
紀元前3世紀の丞相・呂不韋と、2世紀の猛将・呂布。
この二人の関係について解説いたします。
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この記事を短く言うと
呂不韋と呂布の関係とは?
結論からいうと、二人の間には何の関係もありません。
- 秦の始皇帝に仕えた丞相・呂不韋
- 三国志最強の猛将・呂布
二人とも、呂という苗字を名乗っていますが、偶然です。
呂不韋の出身地は、2つの説があり、1つが衛という国の濮陽という場所、現在の河南省です。
呂不韋の出身地とされるもう一つの説は、韓という国の陽翟県(ようてきけん)という場所、こちらも同じく現在の河南省です。
呂布の出身地は、五原郡という場所、現在の内モンゴル自治区です。
ふたりのあいだには、なんの接点もありません。
呂不韋の経歴
韓または衛という国の出身だった呂不韋は、もともと諸国をめぐる商人をしていましたが、最後には大国・秦の最高位である丞相にまでのぼりつめました。
彼の運命は、1つのある出会いから、劇的に変わり始めます。
ある日、趙国の人質となっていた秦王の孫である、異人(いじん・のちの荘襄王)と出会います。
貧しい生活をしていた異人を見て、呂不韋は
「奇貨居くべし(掘り出し物を見つけたぞ)」
と叫び、異人へ投資し、秦国への脱出を手助けするのです。
呂不韋はのちに、異人の息子である贏政(えいせい・後の始皇帝)も救出し、異人を秦国の次の王様にするよう工作をはじめます。
(異人の妻であり、始皇帝の母となった女性は、もともとは呂不韋の愛人だったが、彼女を気に入った異人に求められて、愛人として差し出していた)
異人を秦国の王に即位させた呂不韋は、その手柄で秦国のナンバー2の地位にあたる丞相へと大出世を遂げます。
異人こと荘襄王の補佐をし続けた呂不韋でしたが、その荘襄王が亡くなったあとに王位を受けついだ始皇帝・嬴政の母親である太后と密通をしたことが発覚してしまいます。
このことで始皇帝と争った呂不韋は、丞相から失職し、僻地であった蜀国へと左遷されてしまいます。
蜀の国へ左遷された呂不韋は、みずからの運命に絶望し、服毒自殺してしまうのでした。
呂布の経歴
呂布奉先(りょふ ほうせん)は、三国志に登場する、裏切りをくりかえす最強無敵の猛将です。
人中の呂布・馬中の赤兎
とたたえられた呂布は、紅の名馬・赤兎馬を愛馬としてあやつり、三国志において、最強の武人として活躍します。
もともと呂布は丁原(ていげん)という武将の養子でした。
しかし丁原のライバル董卓にそそのかされた呂布は、養父であり主君でもあった丁原を暗殺してしまうのです。
丁原を暗殺したあと、呂布は董卓につかえるようになります。
しかし今度はその董卓を裏切って暗殺し、独立を果たします。
各地を転戦した呂布でしたが、最期は部下たちに裏切られてしまいます。
そして、ライバルだった曹操に捕らえられ、呂布は無残にも処刑されてしまうのです。
最強の武力を持っていながら、人の心をつかむ事ができず、味方に裏切られた呂布は、あっけなく亡くなったのでした。
呂不韋の子孫が、三国志で活躍していた!
南蛮征伐に登場した武将・呂凱
じつは呂不韋の子孫が、小説・三国志演義に登場しています。
呂凱(りょがい)という人物です。
主人公の1人である劉備が亡くなったあと、劉備の忠臣・諸葛亮孔明が守る蜀の国に、南蛮王・孟獲が襲来します。
その孟獲を服従させる為に、諸葛亮孔明は南蛮へと出陣するのです。
そんな孔明の前に、呂凱という武将が現れます。
彼は、南蛮征伐をしようとする孔明に対して、平蛮指掌図(へいばんししょうず)という、南蛮についてのくわしい地図を献上したのでした。
呂凱は、三国志演義の中で、忠誠心にあふれる功臣として描かれています。
実は、呂不韋が亡くなった約100年後の前漢・武帝の時代に、呂不韋が左遷された地に、その名をとって不韋県という地名がつけられます。
呂不韋の子孫たちは、その不韋県へと赴任したといわれています。
この不韋県に赴任した呂氏の末裔が、呂凱だといわれているのです。
史実では、呂凱は諸葛亮が南蛮を制圧したあとで、ふたたび起こった南蛮軍の反乱によって戦死しています。
呂凱の子・呂祥は司馬懿の孫・司馬炎が建国した晋につかえたといいます。
晋が滅亡したあとの五胡十六国時代にも、呂凱の子孫は活躍したとされています。
呂不韋は劉備のご先祖様なの?
一説よると、呂不韋は劉備の先祖なのではないか、という噂があるようです。
劉備の先祖は、前漢を建国した高祖皇帝・劉邦です。
じつはその劉邦の妻・呂雉(りょち)が、呂不韋の子孫ではないかと噂されているのです。
とはいえ、呂雉の息子は皇帝になることが出来ずに失脚していますので、劉備と呂雉のあいだに血縁はありません。
劉邦と薄大后という女性のあいだに生まれた子が、前漢の5代皇帝・文帝となっています。
劉備は、その文帝の息子で、6代皇帝・景帝の子孫に当たるのです。
つまり劉備は、呂不韋の末裔である呂雉の血を引いていないということです。
劉備は、前漢6代皇帝・景帝の第9子である中山靖王・劉勝の子孫を名乗っていました。
ちなみに、三国志に登場する後漢最後の皇帝・劉協や、その兄・劉弁は、景帝の第7子である長沙王・劉発の子孫にあたります。
三国志で活躍したキングダム登場人物の子孫たち
司馬懿仲達
キングダムに登場するキャラクターの子孫が、他にも三国志演義で活躍しています。
例えば、天才軍師・諸葛亮孔明の最大のライバルとして登場する司馬懿仲達の先祖が、キングダムに登場しています。
司馬懿は、キングダムに登場する最期の三大天候補者・司馬尚の子孫なのです。
司馬懿の孫・司馬炎は、曹操が起こした魏国を滅ぼして、晋という国の皇帝となり、三国志を終わらせた人物です。
馬騰・馬超・馬岱
キングダムに登場し、長平の戦いで王騎将軍に瞬殺された趙国の武将・趙括(ちょうかつ)をご存知でしょうか。
この趙括という人物は、キングダムでいうところの三大天の1人である趙奢(ちょうしゃ)の息子にあたります。
趙括は、かなり能力の低い人物だったようです。
この趙奢・趙括の末裔が、三国志で活躍する馬騰・馬超・馬岱です。
あつよの戦い、と呼ばれる戦争で、趙奢は秦国の軍団を撃破しています。
その功績により、趙奢は馬服君(ばふくくん)という称号を授かっているのです。
趙奢の子孫はその称号から、馬の一字とって、自分たちの姓にしたといわれています。
司馬尚については、よろしければ以下のリンク記事をご利用下さいませ。
まとめ
本日の記事をまとめますと
- 呂不韋と呂布は、名前が同じだけで、無関係
- 呂不韋の子孫・呂凱が三国志で活躍している
- 三国志の英雄・司馬懿仲達は、キングダムの登場キャラ・司馬尚の子孫
以上となります。
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